短歌で詠う百名山36 男体山
「うたのわ」という短歌ネットから、男体山を詠んだ歌を紹介しよう。
富士浅間榛名赤城に男体山吾をぐるりと守護の山々 桜ねこ
「うたのわ」はネットで短歌愛好家が歌人登録をして歌を投稿しているもので、そから該当する歌を紹介させてもらっています。これはどこから詠まれたのでしょうかね。
前回の高妻山に比べて男体山は、特に有名なヤマであり、開山の由緒も明らかで、古くから日光の山として有名であっただけに多くの歌人に詠われているのです。
以下「日本山岳短歌集」に納められている歌を見てみよう。
男体山(二荒山)
たまくしげ二荒の山に旅ねして秋来にけりとけさぞお覚ゆる 三條実美
ふたら山谷さくなだり流れおつる滝尻の水の音のさやけさ 武島羽衣
二荒山山火事との立枯の白木の林うぐひすの啼く 輿謝野寛
白雲の深くこもれる二荒の山より落つる七十二瀧 正岡子規
夏山の茂きに光る國の宮再び来り見れども飽かず 同
(二荒山に紅葉狩して)
瀧つぼの岩間だひろみ青淀にもみぢ葉散りてうづまき流る 伊藤左千夫
濡れにけり慈悲心鳥の啼く山のしら樺を匍ふ雲のしづくに 与謝野寛
断崖にすがりて見れば秋霧にくだらんとする谿は真白き 窪田空穂
男腿の山むらさきに秋ぞらにうねりのぼりて空のさやけき 同
この原ゆただにそばだつ男体の山をかしこみ草に坐てあふぐ 半田良平
雲の行き著くしあれや男体の山のかげりのややに動く見ゆ 同
ぬばたまの黒髪山は頂に雲を居らせて聳えたり見ゆ 松村英一
男体の山をかしこみ見し時し峯に立つ雲は光りたりけり 同
人の世の塵のとどかぬ山頂の石楠の花に霧の降りをり 菊池知勇
白根山男体山の雲蒼く雲をしのげり峡のくもりに 中郷三郎
下つ毛のふたあら山の裾野原草ひろぐと秋満ちにけり 依田秋圃
河幅にどよもし落っる滝水のあぐるしぶきに虹顕ちて見ゆ 西村 孝
水谷のちかくきこゆる下肢をのぞけばふかし紅葉照り映ゆ 同
深山路は落葉ぞふかしわがそばゆ鋭脈をたてて維子とび立つ 同
更に私が見つけた歌
五月なほ深きみ雪の男体の山に解けてはみずうみとなる 窪田空穂
床の上からうっすらと黒い男体の頂きが見え夜が明けてゐる 前田夕暮
あをあをと濡れて冷たき男体のまろはだ近し硝子戸の外に 々
男体の裾めぐりつつ幾たびかあらたまる山姿やうやうきびし 岡山 巌
男体のくづれのあらわなる土に夕日のさせるあわれさ 木下利玄
男体のうえへの青空しろき雲山の秋の日おだやかに暮る 同「銀」
男体の樅の紅葉に午後の日弱まりて行く暮れのしずけさ 同
など、短歌を学ぶ人には知られた歌人が詠っています。
私は半田良平最初の1首の歌が「いいね」ですね。
男体山と言うのは、間直に見ていると正直その尊大さがわからず、数並ぶ日光連山の一つに思えるかもしれないが、先日熊の寝釈迦のある袈裟丸山に行き、手前の小丸山から眺めた日光連山と男体山を見て、改めて男体山が一つの独立峰に見えた。
この山には1998年に独りで登り、2012年の2月にユメさんと登った。帰りはスキー場の山頂駅からスキーで滑り降りたが、きつかった。
そのいずれの時も男体山を眺めていたが、小丸山から独立峰感は起きなかった。
この男体山については、ときた時氏の「山の神々いらすと紀行」におもしろい天狗の話が書かれている。男体山には日光坊という天狗がいたが、突然に妙義山に山移りしてしまったと言う。その後に東光坊という天狗がこの山にきた。新参者なので奥山の天狗たちと折り合いが上手くいかないのか、慾騒ぎを起こしたと言う。それで江戸後期、1824年に天狗どもに日光の奉行が、天狗たちに騒いではならぬという「高札」を立てたと言うのだ。
いずれにせよ男体山は関東では、2500m級の山であるので貴重だ。男体山と奥白根山は群馬県の片品村に属す。
コメントを編集
いいねした人
コメントを書く
ヤマレコにユーザー登録いただき、ログインしていただくことによって、コメントが書けるようになります。ヤマレコにユーザ登録する