昨年の11月からヤマレコにもレコした山の記録で、一緒に行ってくれる人たちを「愉快な山仲間」とYouTubeや記録にも記載してきたけれど、このたび解消して、新しい仲間をつくることにしました。
新<愉快な山の仲間たち>グループです。
今回のグループは、気の合う山好きが、それぞれの都合のよいときに集まっていくもので、メールやレコを通じて連絡を取り合って、山行を企てるものです。そのかわり、山の計画や山行報告をみんなで共有して、行きたい人たちに参考になり、また自分の体験を喜んで皆さんと分かち合うことのできるグループにしたいと思います。
このグループの原則は、山に行くこと行ったこと、行きたい山、一緒に行く人、行った人についてオープンにすることで、友達の友達はみな友達になるということが原則です。
この基本原則に反する行動をして、身勝手な行動で、周囲の人に心配をかけたり、山へ行くのに嘘をついたりする人は、仲間にはなれません。
まあ、もっともこれは私の<愉快な山の仲間たち>なので、本人が私の仲間にならないことも自由です。そのときは、その後、一緒に山に行くことはありません。なぜなら私からみて、一緒に山を歩く仲間の<資格>がなくなるからです。
私が一緒に歩きたくもないと思う人と一緒に行くことはありません。その人は別のグループで自由に違う山をやればいいのです。
ひげじいの新<愉快な山の仲間たち>は9月からスタートです。乗鞍岳から始まります。
私が山に行く人をこのように<友達=仲間>とするのは、一緒に山を共有して楽しいからです。私と違う山を行きたければ、違う人と行くことをオープンにしておけば良いだけのことです。
だれも行きたい山を制約することはないし、技量のある人と行くのはいいことです。それは仲間に秘密にすることではなく、みんなと共有していくことです。日程でいけない人、天気で中止になった人、それでも歩けたり歩けなかったり、だけど歩けた人が仲間と会ったときに山の話をできること。これが何よりで、歩いたことを話せないような形で山を歩くなら、その人には仲間はいりません。
今回、仲間と思っていた人たちに、私としては非常に嫌な思いをしましたので、自ら去る人たちを除いて、私は新たな気持ちで山の仲間を再構成したいと思って、昨年からこの8月まで一緒に歩いたグループを、私は勝手に解散させます。新たなグループとして、<愉快な山の仲間たち>を構成します。
山の友は人生の友であってほしいけれど、人としての道を外れるようでは、付き合うことができません。
とても残念なことですが、生き方の原則が違うので、二度と山に行くことはありません。
嫌な思いをもって山に行くことはできません。楽しい仲間となれる人だけが集えば良いと思います。
人生66年生きて、仕事以外で、いずれはわかることなのに、はじめて嘘をつかれて欺かれた出来事が、生き方と重なり合う山をとおして起こりました。
私にとっては悲しい出来事です。
私の意思を明確にしておきます。そして、わたしは残りわずかの山人生を愉快な人たちとともに過ごして楽しみたいと思います。人の心をもてあそぶような人たちと山には行きたくありません。
<仲間>というのはお互いを思いやる気持ちが重なり合ってできるもので、その気持ちがない人は仲間にはなれないのです。
断っておきますが、それは私にとってのことであって、他の人がその人たちを仲間と思えば一緒に行くことを拒むものではありません。ただ私は二度と一緒には行動しないこと、そして新たな愉しい人たちと山をめぐることを明確にしておきたいのです。
人生において嘘をつくということがいかに生き方のなかで罪悪であるか、またそう思わない神経を持ち備えているとすれば、私の生き方と違うので、その人を仲間と思うことはとうていできません。
私達は所詮、小市民で、毎日をせっせっと蟻のように生きていますが、それでも人を裏切ることなく、人の心を傷つけることなく、嘘をつかず、人の幸せを願い、<人>としての人生を全うしたいとそれぞれ考えていると思います。
裏切ることに慣れ、うそをつくことに慣れた人は、裏切られた人の心の痛みや、嘘をつかれた人の心の悲しみがわからなくなるのです。
私は一人ひとりが抱える心の悲しみや痛みをわかりあい、助け合い、励ましあい、明日へのために喜びを分かちあえる<仲間>と山を登りたい。
これからもそういう人たちに出会えますように。 合掌
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