Yahooニュースに文集オンラインによるバックカントリーの事故報道に関する記事が掲載された。
羽根田治氏の解説による内容だ。
事実とルール、実態に基づく分析がなされた内容であり、私個人の感想ではあるが、やっとまともな事実報道がされたな、と。
しかし、記事に対するコメントは相変わらずバックカントリー滑降に対して批難の言葉が多い。
ここで考察した。
事実が正しい前提で、許されている範囲のバックカントリー滑降に批難の言葉が出る理由はなぜだろうか。
それは「考える」という行為が人によって千差万別であるからではないだろうか。
私は人々の思考はざっくりと文系的思考と理系的思考に大きく分けられると考えている。
色々語弊があるかもしれないが、文系的とは感じる事、思う(想う)事など、精神論、文化、気持ちなどを判断材料としている。
理系的とは事実、現象、計算、統計結果、証明、法則など数字や取り決め(ルール)などを判断材料としている。
端的に言うと(もの凄く批判を浴びそうだがw)文系的とは主観であり、理系的とは客観である。
この観点で、信号の無い横断歩道を渡ろうとする歩行者問題を考察してみる。
歩行者が横断歩道上を通過し、道路を横断しようとしている所に自動車がやってきた。
自動車は歩行者優先の道交法に従い停止したが、歩行者が自動車に「先に通過せよ」と合図し、自動車を通過させた。
少し前に話題になった件である。
文系的に考えると問題無しとする判断が多かったのではないだろうか。
しかし、理系的に考えると当然道交法違反である。
社会は秩序を守る為にルールが制定されている。
ルールを守る事で社会秩序を維持している。
ルールとは客観であり、決まっている以上従わなければならない。
ルールがおかしい!と言う人が偶に居るが、ルールを守りたくないのであれば、ルールを変えるか、そのルール適用外の社会に身を置けばよい。
(要は日本のルール(法律)が嫌なら法律を変えるべく政治的活動を行うか、自身が国外に移住するかである。)
少々話がズレた。
世の中はルールに基づき機能している。
しかし、世の中を形成しているのは人々である。
誰しも考察判断を常に客観的に行うことは難しい。
むしろ、主観で判断する傾向が強い。
この日記の内容も私個人の主観である。
それはヒトという生き物の特性なので仕方がない。
しかし、主観で物事を進めようとすると社会は成立しない。
なかなかにして難しい人の業である。
コメントを編集
いいねした人
コメントを書く
ヤマレコにユーザー登録いただき、ログインしていただくことによって、コメントが書けるようになります。ヤマレコにユーザ登録する