24時位だったんですが、族の最後尾にパトカーが1台追尾していて、その尻を私が追っかけていた感じです。
パトカー煽ってブンブン♪させないとイカンかな!?と、思ったんですが、私のバイクは「エコ仕様」なもので、爆音どころか情けない音しか出ないんですが、気持ちだけは「斬込隊長」と化しておりました

人付き合いの嫌いな私が参戦した事だし、族の名前を
「acchi1979とリンリン倶楽部♪」
これに改名するしかない!と、思ったものの、なんだか売れない「テレクラ」の名前みたいで、やっぱり格好悪いですよね〜

最近全然見ませんけど、も〜絶滅しちゃったんですかね〜〜・・・
一度やってみたかったんですが、多分、「テレホン・クラシック」の略だと私は思っております(嘘)
族の一味が旗みたいな物をなびかせていたので、私も昔に働いていたお店から旗を取り寄せ、やつらと一緒に突撃したいな〜〜て、思ったんですが、如何せん旗の内容が
「i'm lovin' it

だったことを思い出し、止める事に致しました。(笑)
沿道から、「ハッピーセットでも売ってろ!」とか、「スマイルください!」など言われたら格好悪いですからね〜

これで何のお店で働いていたか分かる方は「通」だと思いますが、高校生の頃から掛け持ちで働いていたもので、結構な期間在籍してました。
勤務していた時代は「クローザー」と言われる「閉店業務」を主にやっていたんですが、深夜になるので時給も高く、今でこそ23時には気絶しちゃいますが、その当時は夜遅くまでモリモリギラギラし「夜の帝王」と勝手に自称しておりました

「夜の帝王」と言うだけのことはあって、何故か私のシフトの時間には女性が入ってくれず、いつも男だけで切り盛りする事が多かったです

女性が寄り付かないのは今に始まった事ではない!て、事だけ伝わればそれでエエのです・・・。
なんだか寂しい気持ちになってきましたが、この「マックラ・ナルド」の話は尽きないので、またどこかで書きたいな〜て思いつつ、結局、暴走族って何がしたんでしょうかね!?
特攻服こそ着てませんでしたが、菊の紋章に日章旗、旭日旗や「神風ステッカー」をベタベタ貼り付けて走る姿に違和感だけが残ります。
先日でもないんでが、こんなのを見つけてしまい、色々と考えてしまいました。
*長い動画で申し訳ございません
本格的なオジサンに昇格したせいか、最近涙もろくていけません

こんな感じのが「靖国神社」に隣接している「遊就館」にも数多く展示されていますが、あそこも涙なくしては見られないオジサン泣かせのスッポットでございます。
もし自分が動画の大石伍長と同じ立場なら、死んでも死にきれませんよね〜〜
愛する祖国のため、愛する人を守るため・・・ってな気持ちしかなかったんだろうな〜て、色々考えてしまいます。
とても勇敢ですし、私には真似できませんが、こ〜ゆ〜時代の出来事を知っていてワザと目立つところに旭日旗や「神風」などのシールを貼ったりしているならば怒りを禁じえません。
主義主張が有るのかどうか知りませんが、人様に迷惑をかける行為をしているのに、目立つ所にベタベタと・・・、冒涜以外のなにものでもないですよね。
ちなみに「神風」を「かみかぜ」と呼ぶ人が多いですが、正解は「しんぷう」です。
あまりにも「かみかぜ」が有名なってしまってアレですが、私みたいに少し「右利き」の人間と話す時に「しんぷう特別攻撃隊」と話せば、ビールの一杯くらいは奢って貰えるかもですよ

話があちこち飛んでおりますが、先日のGWに奈良・和歌山方面へ行ったんですが、帰途に着く時に「新宮駅」へ寄りました。
動画の最後の方にもありますが、大石伍長の句に「新宮駅にて訣別」とあって、駅に着いた時に色々と考え込んでしまいました。
多分、和歌山の「新宮駅」だと思っているんですが、ここで色々な葛藤があったんだろうな〜〜て、駅のロータリーを眺めながらシミジミしてました。
40歳になる前に「屋久島」へ行ってみたいと考えているんですが、鹿児島からフェリーに乗り換えて行くのが一般的みたいですので、その時に「知覧特攻平和会館」へ必ず行きたいな〜て、考えております

<参考>
http://www.chiran-tokkou.jp/index.html
南の海がだいぶキナ臭いですが、こんな悲しい事が2度と起きて欲しくないよな〜て、思ってしまいます。
ま〜良く知らないからこそ、特攻隊が暴走族のネタになっているんでしょうけど、やっぱり今の教育にも問題があるんだろうな〜て、思ってしまいます。
お前ら如きが「神風」を使うんじゃない!!て、ブツブツ言いながら色々と妄想に忙しい誰かさんでした

やっぱり屋久島行きたいですね〜〜縄文杉と知覧が私を呼んでおります!
今以上に節約せんとな〜〜〜・・・
acchi さん、初めまして。 mesner と言います。
今時の暴走族が「神風」のまねをしている事知りませんでした。
それに動画、いい動画ですね。
私は靖国神社には行った事ありませんが、知覧には行きました。
特攻隊には海軍と陸軍があります。知覧は沖縄戦が始まって、海軍を真似て(それ以外の戦術も無く)陸軍が始めたものです。
1945 年3月26日から始まりました。
陸軍の総数は 1388 人で、その内 1036 人が知覧にありますが、残りの 352 人はそれ以外の地区です。
そもそも特攻を始めたのは海軍で、レイテ沖会戦で破れた海軍は、フィリッピンを飛び立つ飛行機が、アメリカ軍の防空網を突破できず、全て打ち落とされ戦果が無く、万策尽きて大西滝治郎中将が提案したものです。
44年10月21〜25に、関大尉以下22機がレイテ湾のアメリカ艦隊に突入したのが始まりです。(大西中将は敗戦後直ぐに自殺)
敗戦までに、2400機が出撃、2520人が戦死しています。最初は、志願兵みたいでしたが、その内に強制になって行きました。
私は長い間、どうして日本軍にこんな人命無視の野蛮な作戦が生まれたのか? 何故自分の部下が、皆んな死んでしまうような作戦を平気でやれるのか? を考えて来ましたが、未だに答は分りません。
日本の伝統の中に、こう言ふ非人間的な、野蛮な要素が何処かにあるのだろうと思います。
歴史学者や研究者からも、これに対する納得できる回答を聞いた事がありません。
私が、思い当たるのは、江戸時代中期に武士道に就いて書かれた「葉隠」です。これには「武士道とは、死ぬ事と見付けたり」とあります。
つまり、「日々死と一体になり、生命への執着と言ふ自己愛を捨て、主君に対する心情の浄化を成就する」と言ふものです。
それから、捕虜になるなと言って、「玉砕」を命じた司令官たち、こう言ふ野蛮な作戦で死んで行った犠牲者、本当の「英霊」と、それを命令した、無責任に責任も取らなかった軍の幹部とは、当然同じではありません。
その点から、A級戦犯を英霊と同じ様に、一緒に靖国神社に祭ってしまっては、国民感情を無視した、余りにも無神経と言ふものです。
昭和天皇はそれが嫌で、靖国にはそれ以後行かれませんでした。今の天皇も同じです。
その他、沢山の悪行を東南アジア各地で行った日本軍、敗戦後、我々の父親や祖父は、命からがら日本へ帰ってきたものの、それを子や孫に話す事も出来ず、人が変わったようになって死んで行った無念さを思うと、全くやり切れません。
mesner さん!
遅くなりまして申し訳ございませんm(_ _)m
知覧、行ってみたいですね〜〜!
百聞は・・・て、言いますからね!
自分の目で見て色々と感じてみたいです♪
靖国神社も機会があれば是非参拝してみてください
mesner さんと私の歴史認識が違うような気が致しますが、何時までも平和であって欲しいという根っ子の部分は一緒だと思っております
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