![]() |
|
上高地に着いた時は雪が舞い始め、横尾へは雪降る中を寄り道しながら歩いた。
しかし予報では明日は晴れ、お風呂にも気持ちよく浸かり、ぐっすり眠る。
温かい朝食を頂き、玄関で靴を履いて準備は万端、少し腕を伸ばしてザックを引き寄せたその瞬間、腰に電撃が走る、声も出なかった。
あれ、これは・・・やっちゃったかな、いや、違うかも、気を落ち着けて、様子を見て・・・。
いわゆるギックリ腰は経験済みなので、感覚はよく分かっている。
分かってはいるけども、そうではない、大したことではないようにと願いながら板の間にぺたりと座った。
しかし腰は徐々に固まっていくし、立ち上がろうとする時に感じる違和感と痛みは決定的となる。
困ったことになったと思いながら戸口まで腰をかがめたまま移動した。
顔を出せるくらい引き戸を引き、外で待っている夫を呼ぶ。
私の顔があまりにも低い位置から覗くので夫は不審がりながら近づいて来る。
こんなことになってきっと怒るだろうなぁと思いきや、何か面白がっている感じだ。
本当にすまないという気持ちでいっぱいだったので、私はここで二日間静養しながら待っているから一人で高みを目指してくれるよう夫に頼んだ。
ところが夫は、仕方が無い、一緒に下りようと言う。
そうと決まると夫は自分のザックに私のザックを載せて括り付け、それを背負おうとするのだが、とてもじゃないけど立ち上がれない。
それでも奮闘する夫に、共倒れになってしまうから止めるよう懇願した。
その様子を見ていた小屋の人が、宅急便を頼む時に私のザックも送るよう手配してくれるというのだ。
わぉ、それは有難い!ここで夫の態度は急転回し、自分の荷物から重い装備を取り出して私のザックに詰め込み、小屋の人に託しての出発と相成った。
腰を痛めても、上高地までは自力で歩かなければならない。
右手に見える稜線は青空をバックに雪煙を舞い上げている。
それがとても恨めしく、私はストックを突き突き、きっとおかしな格好で歩いていたことだろう。
上高地に着いたのはお昼過ぎ、ゆっくりついでに帝国ホテルでランチとコーヒーとする。
ホテル前から、車を置いてある駐車場までタクシーで行き、後は夫の運転する車に乗っかって東京へ帰るのみとなった。
タクシーの運転手さんから聞いた話だが、穂高山荘でギックリ腰になったご夫婦のだんなさんが下山できずに小屋で二日ほど様子を見て、やはり下山は無理と判断してヘリを要請したとの事。でも奥さんはヘリに同乗させてはもらえず、歩いて下山したとか。
そんなこともあるんだなぁ、私は横尾で良かったなんて言ってみたが、高い山岳保険料を払っていることだし、ヘリで下山するのも悪くないなと思った。
この時のギックリ腰で、私は夫に大きな借りを作ってしまった訳だ。
しかしこの借りは、3年後のゴールデンウィークにはチャラになった。
二人で南アルプスの縦走に出かけ、まだ序の口の二日目に三伏峠の手前で夫が滑落し足首捻挫、縦走は断念、捻挫した足をかばいながら長い林道を引き返したことがあった。
実にゴールデンウィークは油断ならない時期なのだ。
なぜ9年前のこんな山の思い出をここで蒸し返したかというと、実は今年の10連休の初日の朝にギックリ腰をやってしまったからだ。
世の中、10連休と盛り上がっていたが、我が家はこれといった山の計画は立てなかった。
こんな時期はきっと主要な山は人が多いだろうし、前半は天気も悪そうだ。
それに愛鳥のポーちゃんを数日家に置き去りにするのはとても気懸りだ。
まあ、日帰り山行を2〜3回できれば満足だと思っていたのだ。
ところがそれすら、出来なくなってしまった。
考えようによっては、10連休にギックリ腰はラッキーだったといえる。
そういえば去年のゴールデンウィークは、直前にインフルエンザに罹り連休中熱にうなされたが、休み明けから仕事に出られ、まあちょうど良かったといえた。
しかし今回は仕事が始まってるのに、完治してない。
年を取ればそれだけ治りも遅いとみえる。
それでも仕事には行かなければならないのが貧乏人の辛いところだ。
ギックリ腰のおかげで、この10連休は夫が家事のほとんどをこなしてくれた。
本当に感謝している。
そしてポーちゃんは朝から寝るまで、家の中で好き勝手に過ごした日々だった。
写真左:9年前の帰り道、恨めしく思いながら携帯で撮った稜線
写真右:こんな目で見つめられると抱きしめたくなるポーちゃん(かなりの鳥ばか)
面白く読ませていただきました
コメントありがとうございます。
どんな災難にあっても、のちに楽しく面白く思い出せる日が来ることは最高です。
コメントを編集
いいねした人
コメントを書く
ヤマレコにユーザー登録いただき、ログインしていただくことによって、コメントが書けるようになります。ヤマレコにユーザ登録する