山登りを始めた高校生時代、夏山縦走で泊まる山小屋の晩ごはんといえば何処も決まってカレーライスだった。
その当時はそれが当たり前だと思っていたので何の疑問も希望も持たなかったのだが、3年生の夏、北アルプス立山から剣岳への縦走の最後、伝蔵小屋に泊まった時は衝撃を受けた。
晩ごはんはカレーライスじゃなかったのだ。
もう具体的には覚えていないが、野菜や山菜料理だったと思う。
煮物、和え物、揚げ物もあったような・・・。
食に対しての意識などまだ未熟な高校生の私が、ここでの晩ごはんに驚きと感動を覚えたことだけは確かだった。
早月尾根を下りた記憶など全くないのに、伝蔵小屋のごはんが美味しかったということだけは今も忘れていない。
その後の山はテント泊や避難小屋泊が主だったので、山小屋のごはんとは疎遠になっていた。
しかし年数を経て、テントを担ぐことが辛くなってきた軟弱の身は、再び山小屋の世話にならざるを得なくなる。
噂によると近頃(けっこう昔だけど)の山小屋は何処も個性的な食事を提供してくれると聞き、ちょっと期待してしまう。
2008年の秋、常念〜蝶ヶ岳を歩き、翌日は霞沢岳という予定が悪天で停滞となった。
早目に着いた徳本峠小屋で雨の音を聞きながら、読書して時間を潰す。
やがて楽しみな晩ごはんの時間となり、食卓についた私はびっくり。
宿泊は夫と私だけなのに、丁寧な栗ごはんが出たのだ。
他にも美味しいものが並んだのだろうが、栗ごはんが大好物の私はそれだけで胸がいっぱいになった。
2013年の夏、八方尾根から栂海新道を歩いた間に泊まった朝日小屋での晩ごはんは格別だった。
ほっかほかの白いごはんにブリ刺身の昆布〆、ホタルイカの沖漬、小鉢のおでん、茶蕎麦まで並んでいる。
他にもいろいろあったが、和菓子が添えられていた。
その和菓子は「栂海新道」という名のきんつばだった。
無事に下山して、日本海の波打ち際で靴を浸けたら山行は終了。
最後に泊まった親不知観光ホテルでこのお菓子を見つけ、もちろん土産に買って帰った。
北アルプスの山小屋ばかりになってしまったが、最後に、御坂山塊の山小屋での忘れられないごはんがある。
まだ保育園児だった娘2人を連れて・・・のことだから30数年前、御坂山へ行った。
天下茶屋から御坂峠小屋へ、下の娘など落ち葉に埋まってしまいそうな山道を歩いた。
とても古い小屋で、小屋番のおじいさんが一人で賄っている。
数人の泊り客の食卓に並んだ晩ごはんは、モツ煮だった。
鳥モツと大根やごぼうやコンニャクが煮込んであり、懐かしい味だった。
子供の頃母が作ってくれた味を思い出した。
我が家では鳥のモツ煮をたまに作るが、そのたびにあの小屋で食べたモツ煮が美味しかったことが頭に浮かんでくる。
小屋前の草っぱらで娘達は遊び、道のちょっと先から見えた富士山が素敵だったあの小屋はもう無いんだろうな、と思いを馳せる。
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