私は、登山における「リベンジ」という表現があまりしっくりこず、「リトライ」という表現に置換(というより最初からその表現を使用)しています。
何故なら、山なんてあまりに大きすぎて、いくら足掻こうが太刀打ちできないものだからです。太刀打ちできないものに対して、リベンジも何もないなあ、と思いました。
名詞は、特定のものの印象を強く映し出すものですから、ひとつ間違えるとぜんぜん意味の違うものになるし、そもそも人によって捉え方が異なります。
「リベンジ」だって、私が捉えている意味と、みなさんが捉えている意味が異なることでしょう。
ですので、これは単なる個人的なこだわりに過ぎないのかもしれません。
昔ですと、「精神分裂病」という病名が2002年に「統合失調症」に変更されましたし、最近ですと、「糖尿病」という病名が変更される、という話もあります。
名称そのものは、物事の本質と直接的な関係はないと思っているのですが、人それぞれで捉え方が変わる、場合によっては心に負の感情を芽生えさせる、という点において、できるだけ多くの人にとって穏やかな意味で捉えられるような表現を心がけたいなあ、と思う次第です。
写真は、私にとって最大のリトライ山行である、表妙義・相馬岳北稜のP2です。2014年4月、この稜線のP5とP6のコルで滑落事故を起こし、腰を骨折してしまいました。以後、腰には後遺症がありますが、この山行での怪我とその治療過程が、今の職業を志す理由の一つとなりました。
そして同年12月にリトライし、無事に完歩したのですが、己の不注意で怪我を負った山に対して、リベンジだなんてむしろ大それており、粛々たる気持ちでリトライさせてもらったことを、9年近く経った今でも昨日のように思い起こされます。
ことばは、心がけを変えるし、心がけは、行動を変える。
行動が変われば、人生も変わる。
割と何処かで聞いたことがあるような言い回しですけれど、真ですね。
写真1:2014年4月27日
写真2:2014年12月9日
わたくしも、山歩きに関して、リベンジということばは積極的に避けていますので、コメントさせていただいてしまいます^_^
せっかくの雄大な自然、宇宙に包まれ、人間の、自分のありかを実感できる場所で、リベンジというのは、自然を尊重していないようにも思えてしまうからです。
これは一般登山者だからであって、アスリートやレースなど勝負事として捉えているなら別だとも思います。
ちなみに、撤退はまだしも、敗退というのもちょっと。不注意や判断ミスで遭難したわけでもなく、安全に引き返したものを敗退と考えると仮定した時、一体自分は何と闘っているのだろう、という不思議な気持ちになります。
感じ方は人それぞれでかまわないと思いますが、ことばは心がけを変える。なるほどです。わたくしには、いい言い回しです。ありがとうございます。
(心がけがことばになる、とも言えるのかもしれません)
こんばんは。コメントありがとうございます。
ことばの表出は、物事に対する捉え方を表しているとよく思います。
敗退、という表現もそうですね。
私自身の山に対する捉え方は、あくまで敬意と尊重が大元にあるので、
制覇や踏破などといったことばもしっくりきません。
こうした心がけは、リスクに対する捉え方や、
身体のコンディショニングなども自ずと考えるようになるな、と思います。
できるだけ長く山に居させてもらえるよう、
ことばも、心がけも、行動も、顧み続けたいなと思います。
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