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2023年01月14日 22:23山岳遭難全体に公開

ある山岳遭難事故を通じた考察11(終)

本投稿は、北アルプス、湯俣川沿いの伊藤新道で起こった遭難事故に関する一連の報告と、それに基づいた考察の最終項(その11)です。

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その10
https://www.yamareco.com/modules/diary/19423-detail-289427

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・今後の私がなすべきことについて
過去10回に渡り、いち遭難事故を考察してきた。その総括として、今後の私がなすべき3つのことを表明し、己の行動指針とする。

1.リスクマネジメント
リスクマネジメントは、事前と事後に二分される。日常生活圏内のリスクは、冗長化やチェック強化などで事前に回避できる可能性が上がるが、人間は機械とは異なり体調や情動などによる変化がある。故にヒューマンエラーが発生する。
一方、山などの自然と対峙する際は、本人以外の要因によるリスクが多い。他者の個性、関係性、装備、悪天候や落石等の環境因子が該当する。このことは、山でのリスクが日常生活よりも回避困難であることを意味する。
リスクを回避できずに事案に遭遇した後のマネジメントも必要となる。例えば、山岳遭難時に受傷した場合、「早急な救助の要不要」が境界線となる。救助を要する場合、医療機関への搬送時間、遭難現場での応急処置内容によって、遭難者の転帰が変化しうる。本件では、それが及ばなかった。
また、遭難者のご遺族への対応や関係機関への説明、謝罪。そして他山の石としての事実の発信、第三者評価も含まれる。これは、当事者への心理的負担が大きいが、遭難予防の観点から意義のあることと考える。
私は、事故当事者として山のリスクマネジメントを学び、実践していく。

2.山岳医療活動
私が関わっている「山岳医療」は実に曖昧なカテゴリと考える。山小屋の診療所運営、登山道での声掛け、有事の際の応急処置、警察等の機関への引き継ぎ、登山口での水分摂取の啓蒙活動など、多岐に渡る。つまり「何でもあり」と言える。現在、その活動に携わる医療職は、大半が山岳医と山岳看護師と呼ばれる人々である。
一方、私は理学療法士であり、運動に関する医療専門職と見做されている。実際、医師や看護師とは異なり、医療行為に直接かかわることはない。故、山岳医療に私の職域は不要という声も一部聞かれる。
しかし、私の職域は筋骨格系の専門職であると共に、他の器官系との相互作用の知識も有する。また、救命士は救急救命措置、栄養士は栄養素や調理、薬剤師は医薬品の知識を有する。つまり、医師や看護師以外の医療専門職も、山岳医療活動に携わることができると考える。また、山小屋関係者、ガイド、救助隊、警察などの多職種と協業することで、遭難予防のリンクが形成され、山岳医療がそのワンオブゼムとして作用すれば、最終的には登山愛好者へ還元されると考える。
私は長年、医療業界と無縁の世界で生きた後に現職に就いた。故、一連の活動は医療業界と無縁の、大半の登山愛好者のためにあるはずだと確信している。多職種をリスペクトしつつ、求められていることを見極めながらも、自身の技能と感性を信じて、今後も遭難予防のための山岳医療活動を継続していく。

3.山岳文化の次世代への継承
日本国土の約75%は山地である。古来から人々は山を神として祀り、恐れ、祈り、謙虚に暮らしてきたことが、数々の書物から伺える。
山に登る行為は、仏道の人々が「山岳修験」を目的としたことに端を発する。それが近代になって、山に登ることそのものを目的とする「登山」が行われるようになった。
日本の登山人口は約861万人(2020年)で、全人口の7%弱である。全スポーツのうち、6番目に多く、プロスポーツ競技があるゴルフや野球、サッカーより多い。その歴史的変遷から、山岳は文化として捉えられる。
登山が他のスポーツと異なるのは、その行為が日常生活圏内から遠ざかることである。旧い人々が山を恐れたのは、そうした非日常性ではなかろうか。
それでも、多くの人々が山を登る。理由は千差万別であろうが、登山という行為は、健康寿命を延伸する要素になりうると考える。即ち、歩くこと(テクテク)、良い景色や清冽な空気に触れて笑顔になること(ニコニコ)、そして登頂という目的意識やその過程を経ることによる五感刺激(ドキドキ・ワクワク)。
経済が停滞する現代社会、心身ともに健康に生きることで、少しでも良いものにならないだろうか。登山にはそういう可能性があると思う。長年山を愛好してきた一人として、この#山岳文化 を次世代へ継承することは、重要な役割だと考える。
そのために、私は山に関連するいくつかの資格や技能を習得し、文化継承のための活動をしていく。

人生は短い。どうせなら、太く生きたい。
あの時は良かったと振り返るのは、人生を終える直前でいい。今この瞬間こそが最良の時だと思い続けたい。たとえ、あの事故の当事者だったとしても。

写真は、伊藤新道を完歩した直後、三俣山荘の直前である。

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長らくお付き合いくださいまして、ありがとうございました。一連の投稿は、これで終わります。

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