自分も山をやっている身分でこんなことを言うのもなんだが、
山をやるひとは自己陶酔に陥りやすい傾向があるなあと
昨今いささかうんざりした気持ちだ。
様々なコミュにおけるやりとりにしても、ブログの内容にしても、
その目的はお山を歩くこと、という大原則を踏み外して、
自分がお山にいることを無節操にアピールすることのように感じられるし、
実際にそのような文言が目につく。
大体、ヒマラヤなどのエクストリームの領域でもないのに
競争原理らしきものが働いていて、
そこに階級というか、階層のようなものが幅を利かせているように思える。
そういう傾向の波に乗っかっている連中は、
自己に向けられた礼賛には張り切って耳を傾けるけれど、
批判には断固として耳を塞ぐか、そっぽを向くか、
その場から排除するか、矛盾に満ちた持論で覆い被せるかのどれかだ。
そういう輩と論争などするだけ時間の無駄だし、生産性もないので、
基本的には沈黙を保つことでその矛先を向けられないように心がけているが、
看過するのがストレスになるほど過剰な増長を目の当たりにすると、
つい腹を立てたり、気にしたりしてしまう(論戦には至らないが)。
ひどい者になると、自分を礼賛する者ばかりを囲って、
あたかもカルト宗教じみたような気味の悪いやり取りを展開している。
端から見れば、欺瞞やら矛盾やらに満ちていて、
ちゃんちゃら滑稽なやり取りでしかないのだけど、
当人たちは大真面目な様子なので、もはや手がつけられない。
こういう現象は、お山に限らず日常的に存在するものなのか?
少なくとも、ただの社会の構成員のひとりに過ぎない会社員たるぼくの目には、
そこに社会性を認めることが到底できないのだけど。
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年始以来、座骨神経痛に罹り、その治療のためしばらくお山はお休み中。
3月いっぱいは安静にする予定なので、
残念ながら雪山を楽しむ前に春が訪れそうだ。
そうでなくとも、2月に転職したばかりなので、お山に行っている余裕がない。
以前読んだ本の中に世紀末のフランスでの社交界の場面があって、それがブログでのコメントのやりとりに似ていると思っていました。そんな自分もブログをやっているわけだけれども、その人の人間性は登山の感想を読むとわかるように思います。
こんばんは。
コメントありがとうございます。
19世紀フランス社交界、というキィワードで
いくつか面白い論文が見つかったので、
本文との関連性を絡めつつ、なかなか興味深く読みました。
登山の記録から読み取れる「山との接し方」が、
自然だけでなく、他者に対する考え方や、
おっしゃるように人間性という部分まで読み取れるように思います。
たとえば、傲慢な人間は、山に対して徒に征服的な考え方だし、
知識があっても、技術があっても、それを活かす心がない。
そのように思います。
自分自身、浮ついたところ
ありがとう。
ふふ・・所詮ハンドルに隠れた物言いい・・
仮想現実の世界ですね、ここは・・
>お山に限らず日常的に存在するものなのか?
派閥という名で存在します(きっぱり)
>そこに社会性を認めることが到底できないのだけど
これ・・社会そのものです。管理職めざすなら知るべき
ですね(^^;
現実社会はもっと醜くて汚いですよ。還暦過ぎた経営者
の独り言くらいに耳に入れておいてください。
強烈なアピール。さりげないアピール。ここというアピ
ール。存在感を示さなければ組織では生きれないですね
山レコ・・遊びの世界ぐらい好きにしてもいいじゃない
かわいいもんですよ・・と・・思いませんか?
でわでわ
老婆心ながら・・ごめんね、頑張ってね
こんばんは。ご無沙汰しております。
お礼を言われるようなことではありませんが、
何かを共有できたようで、うれしく思います。
また、これは自分自身にも肝に銘じていることでもあります。
今後とも謙虚にお山と接したいものですね。
こんばんは。
社会経験が随分豊かでいらっしゃるようですから、
私のような若輩者の拙文を読まれて、
世間知らずの戯言と思われたことでしょう。
どうぞ看過ください。
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