元より邦楽の流行に興味が薄いぼくにとって、
流行っているシンガー等の動向についても同様であり、
巷の誰某が脱退とか、結婚とか、活動休止とかという諸情報について、
感興を覚えることは稀だ。
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学生時代の一時に、とある喫茶店でアルバイトをしていた際、
週ごとのリスナーリクエストチャート上位20曲を放送する
有線チャネルが流れていた関係で、
勤務中は週ごとのチャート上位20曲をひたすら聞き続けた。
よって、その時代のヒットチャートについては、興味の有無にかかわらず、
多くの曲のメロディとフレーズが耳に入り、現在に至るまで色濃く残っている。
その時代とは、今から15年程度前だ。
15年程度前の邦楽ヒットチャートのラインナップと言えば、
猫も杓子も小室哲哉がプロデュースしたもの。
チャート上位がそれらによって寡占状態だったと記憶している。
しかし、1999年から2000年ごろにかけて、その勢いは急激に沈静化した。
以後、ぼくは有線チャネルを聞く機会が激減した関係上、
邦楽の流行からは完全に遠ざかってしまった。
時折報道される小室哲哉関連のニュースは、
ゴシップネタか凋落を示唆する内容が専らで、
盛者必衰という世の真理をまざまざと見せつけられているものだと
感じ入るものが少なからずあった。
そんな中で、昨年10月末に長い雌伏の時から
シンガーとしての活動復帰を宣言した華原朋美。
彼女は小室全盛時代の寵児であり、また凋落の象徴でもあった。
小室と共に盛り、小室とともに沈んでいったからだ。
乱暴な言い方をすれば、そこらにいる街のカワイイねーちゃんが、
小室哲哉という大物に容姿と歌声を見初められてスポットライトを浴びたばかりに、
自分だけではとても届きそうになかった遥かなる高い頂点を踏み、
そこからの止まらない転落を体験することになってしまった。
当時、彼女の浮き沈みの一連を見て、そのような印象を抱いた。
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先日、昨年の宣言通り、丸5年ぶりにシンガーとして復帰を果たし、
彼女の代表曲である「I'm Proud」を歌ったことは、
多くのひとびとに歓迎と共に受け入れられたはずだし、
ぼくも同じような気持ちで彼女の歌唱を聴いた。
http://www.youtube.com/watch?v=cd2tlxYuoow
原曲よりもキーが1つ下がっていたけれども、
昔と変わらぬ彼女の声を聴くと、ぼくも学生時代のことを思い出して、
少しばかり胸が熱くなった。
それととともに、38歳になった彼女の立ち振る舞いを見ていると、
昔感じていた「そこらにいる街のカワイイねーちゃん」という印象も
同様に15年ほど前と変わっていないことに対して、
本当にまたこの世界でやっていくつもりなのか、という一抹の不安感を覚えた。
確かに、今さら彼女に他の道を選択せよ、というのも難しいのかもしれない。
彼女は経済的に恵まれた家族がいることもあって、
食いっぱぐれる心配はないことで、他の選択肢を狭めているように思う。
もはや、彼女が小室哲哉と交わることは考えられない。
第一、小室自身も邦楽のシーンから消えて久しい。
それでも、彼女は小室によって頂に駆け上がり、
小室によって奈落の底に突き落とされたことは事実だ。
そして現在に至るまで、彼女の音楽と小室とは切っても切り離せない。
これからもシンガーとして活動を続けるつもりであるならば、
過去の栄光と転落は彼女に重くついて回る。
彼女は、果たしてそのレッテルの重さに耐えられるのか?
15年ほど前の彼女は、無邪気な笑顔がトレードマークだったが、
TV画面に復帰した彼女を見る限りは、その印象がほとんど損なわれていない。
過去の彼女のイメージを
これからの彼女の活動の基盤としていくつもりなのかもしれないし、
そのつもりがなくとも、元よりそのイメージを切り離すことは難しいだろう。
そのイメージがこれからの彼女の足をのべつ引っ張りはしないだろうか?
彼女が「これまで」ではなく、「これから」のことを見つめて活動するのであれば、
過去のイメージを基盤にしながらも、自身の重いレッテルと闘い、
克たなければならない。
その背反性を共存させることは並大抵ではないと思う。
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小室哲哉がプロデュースした「I'm Proud」を歌い上げ、
涙声で「ありがとうございました」と深く一礼をした華原朋美は、
小室哲哉という呪縛から離れていくことこそ、
復帰したシンガーとしての道が新たに拓けていくのだと思う。
彼女もこれが茨の道であることくらい百も承知だろう。
今も昔も邦楽の流行に疎いぼくに、
かなり大きな印象を残した彼女のこれからの道を、
ささやかに応援していきたい。
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