また山に行きたくなる。山の記録を楽しく共有できる。

ヤマレコ

HOME > motchさんのHP > 日記
2014年04月07日 21:19お山の感想全体に公開

消えた点線国道

近々、谷川連峰を縦走する計画を立てている中で、
上越国境の地形図を眺めていて興味を持ったのが、
「国道291号線」と「清水峠(しみずとうげ)」だった。

国道291号線は、上州側の前橋市の中心地である県庁付近を基点として、
越後側の柏崎市、つまり日本海の海沿いにまで至っている。

上州側の多くは国道17号、中山道と重複し、
関越自動車道の月夜野IC付近で三国峠へと至る中山道に別れを告げ、
水上から谷川岳への玄関口である土合を経て、
日本山岳史において傲然と鎮座する大魔王、
一ノ倉沢入渓点のすぐ先まで舗装されている。
そこから先は、お馴染みの青おむすび型の国道標識も出ていないが、
地形図を見ると清水峠まで道が続いている。
上部は多少崩落しているが、大体は歩けるらしい。
(画像:左)

かつて、戦国時代に上杉謙信が関東行軍に使用した尾根が
現在の「謙信尾根」に名を残すなど、
清水峠を往還する道はそれなりに利用されていたようだが、
江戸時代に至ると中山道の三国峠が上越往還の主要道として整備されたため、
幕府によって清水峠の上州側の下部、湯檜曽(ゆびそ)に番所が設けられ、
その間200年ほどに渡って通行止とされていた。
ところが、大政奉還を経て明治期に入ると、
関所や番所が取り払われたことを機に、
三国峠よりも短い距離で上越往還が可能な清水峠が注目され、
廃れた古道を再整備する形で明治18年に国道8号線として開通した。
(現在の国道8号線とは別)

しかし、開通の翌年秋、長雨によって随所で地滑りが発生し、
その修復に入る前に長い冬に入ったために雪崩等でさらに崩壊が進み、
冬が明けると往還道路としてまったく機能しなくなってしまった。
その後、幾度か修復が試みられるも果たせず、
特に越後側はまったく手が付けられないままに現在に至っている。

国道として指定されるも道路として機能しなかったため、
大正中期には県道に降格され、昭和40年に理由は不明ながら、
現在の国道291号として再度国道指定されるものの、
特に自動車を通行させるための整備は行われることなく、
上州側は一ノ倉沢入渓点のすぐ先で、
越後側は清水集落の末端で舗装が途絶えている。

実際に調べてみると、上州側から清水峠までは登山道として通行可能で、
地形図に記載されている国道291号線とほぼ同じように辿ることができる。
清水峠から越後側も、点線国道として長らく地形図に掲載され、
小さな文字で「291」と記されていた。
大合併の前の地名「塩沢町」が、長らく改訂されていないことを物語る。
(画像:中)

ところが、4月1日に国土地理院の地図サイトが大幅に更新され、
越後側の国道291号線が削除されてしまった。
(画像:右)

改訂前は、国道291号線が点線とは言えど、
地形図上では上越往還道として繋がっていた。
明治初期、三国峠よりも距離が短い往還道路を開通させるべく、
国家プロジェクトとして多くの費用(財源は民間の寄付金が中心という)と
人工をかけて建造し、馬車が通れるようにわざわざ谷筋を避けて
東側の山腹を緩やかに通るように構成された。
長らく隧道(トンネル)はないと言われていたが、
近年、途中1か所だけ50mほどの隧道があることが、
国会図書館所蔵の「新潟県魚沼三郡地誌」から確認された。
http://kindai.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/764681
 の21ページ)

分水嶺の厳しい気候に晒された複雑な地形を掘削し、
道路を切り開くことは相当な苦労があったはずで、
建造記録はほとんど残されていないが、相当数の死傷者もあったらしい。
その中で、最奥部に隧道まで掘るというのは、
今以上に現場へのアクセスが悪く、道具も不足し、
衛生状態も劣悪だったであろう当時としては、
政府にとっては国家の維新をかけた、国民にとってはまさに驚天動地の
大プロジェクトだったに違いない。
(その証に、開通式は皇族の北白川宮能久親王をはじめ、
 山縣有朋元帥ら大物が参列して大々的に催され、
 実際に馬車で往還道を通り抜けるセレモニィがあった程だった)

大正中期にはこの道路はすっかり荒廃し、
藪に覆われ、風雪に削られるうちに、やがては地形に飲まれてしまった。
しかし数年前、ある廃道マニアによる、
2年がかりの辛苦にまみれた調査の過程で、
道路の名残としての石垣や、沢を跨ぐ橋の土台が発見された。
そこには、最奥部の往還道路建設にかけた、
文明開化後の国家の意気込みが形として残っていたのだ。

確かに、お山ブームによって、これまで見向きもされなかったルートに
立ち入って遭難する、という事故が少なからず起きている。
地形図に載っているので、通れると思い込み、
行ってみたら崩落していてにっちもさっちもいかない、
というような話も聞いたことがある。
国土地理院としては、荒廃したルートを
無責任に載せ続けてはいけないと思ったのだろう。
それはよくわかる。

今後とも、この国道291号線が自動車通行が可能な道路として
全開通することは決してないだろう。
けれど、かつて明治初期の旧きひとびとが辛苦の果てに拓き、
たった1年で土砂と雪崩に埋まって崩壊した
清水峠を経由する上越往還道の軌跡を地図上から抹消してしまうというのは、
この上もなく寂しいことだ。

所持する25000分の1の地形図「茂倉岳」には、それが克明に残っている。
(なお、上述の調査によって、本来存在している3か所のカーブが
 記載されていないことが確認されている)
限られた書店でしか販売されていないこの地形図は、
やがて新しいものにとって代わられ、ひとびとの目から消え去る運命にある。

だからせめて、古のひとびとの辛苦を忘れないよう、
こうして文をしたためた次第だ。

上越国境稜線を歩く前に、この道の存在を知ってよかった。

著名な廃道マニアによる清水峠往還道路踏破記録
http://yamaiga.com/road/shimizu/main.html
(恐らくはここ数十年では唯一だと思われる)
訪問者数:1367人
-
拍手

コメントを書く

ヤマレコにユーザー登録いただき、ログインしていただくことによって、コメントが書けるようになります。
ヤマレコにユーザ登録する

この日記へのコメント

まだコメントはありません


ページの先頭へ