心臓や脳が同じでも、
器のつくりが変われば血の巡りも筋肉の動きも変わる。
30数年間、成長期を除いた大半の時期を、
ごく緩やかな肉体の変化に適応しながら習慣的に使用してきたこの身体。
3年前、両膝を手術し、なおかつリハビリテーションによって
心身にさまざまな変化があった。
術部の治りが悪くなるから、という理由で、
10年以上続いていた喫煙習慣を完全に止めた。
それは、これまでに幾度となくトライしてきた禁煙とは一線を画すもので、
有無を言わさず喫煙という習慣を取り去ることになった。
中学生のときから続いていた膝の痛みを庇ってがに股だった歩き方は、
患部への負荷を減らすために、普通の歩き方に矯正された。
術前と回復後で、まるで別人のような歩行シルエットになった。
膝への負担を減らす目的で、基本体重を減らすことにし、
食習慣を大きく変えた。
炭水化物の摂取量を減らすために、
大好きだった白米食は玄米の5分づきに変えた上で、
1日に0.8合までの摂取とし、
牛乳は豆乳に変え、朝食は必ず摂取するようにし、
腹7分目程度に留めるようにし、野菜の摂取量を増やし、
肉は鶏肉以外はほとんど口にしなくなった。
すると、長年72kgと設定していた基本体重は、
4ヶ月ほどで68kgまで落ちた。
戸惑いがなかったわけではないけれども、
日々ぼくが歩きたいお山に近づいていくようで、愉しみさえ感じられた。
そのような変化に心身がようやく馴染んできたと思った春、
岩で滑落し、肉体の要とも言うべき腰、
背骨の下から5番目を潰してしまった。
今思えばの話だけれど、もし3年かけてこの身体を変えていなかったら、
滑落した時に膝が適切に衝撃を吸収しきれず、
脚の骨も折っていたかもしれない。
あるいは、圧迫した背骨が脊柱管を損傷していたかもしれない。
そうしたら、自力で脱出できず、あるいは藪岩を褥として、
そのまま死んでいたかもしれない。
あそこから還ってこられたのは、膝を壊した自分だったから。
そう思えるようになったのは、比較的最近のことだ。
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ともあれ。
3年前に続いてまた器が変わってしまった。
まるで、自動車のフルモデルチェンジが矢継ぎ早に訪れたかのようだった。
整体師に、以前とは別物の容器になっているので、
以前と同じようなところを求めても、苦しくなるだけだ、と言われた。
別にショックはなかった。
3年前に整形外科医にも似たようなことを言われ、
そこから一度は新しい容器に慣れることができたからだ。
潰れた骨は元に戻らない、などと言われたけれども、
膝だって昔と同じような動きをすればまた壊れるように、
それを防ぐための合理的、かつ異なる動作を身につけていけばよいし、
元よりまたお山に行けるようになることを、微塵も疑わなかった。
7月下旬、受傷以来初めてのお山に、富士山を選んだ。
周りは、無謀だの阿呆だのと散々な言いようだったし、
自分も最初は無理があるのではないかと思ったのだけれど、
よくよく考えればただ登りが延々と続き、下りが延々と続く、
その上、地面は砂地で柔らかいところが多いので、
高標高による心肺機能的な負荷は大きいが、
身体にかかる負担はさほど大きくない。
そこで、どんな動き方をすれば、どんな負荷がかかるのかを確認するには、
これ以上相応しいお山はなかったのだ。
富士山を歩いて感じたことは、そのあとのトレーニングやリハビリに活かされた。
3か月間コルセットで固めていたことで、
どこが動いていないか、そしてどこを動かせば腰への負荷が減るのか、
それが分かってくるにつれて、日々できることが増えてきた。
医師にはまだ早いと言われたけれど、
9月中旬には1週間、120km以上の長期縦走をした。
縦走後、3週間近くは体内のあちこちから悲鳴が聞こえてきたけれど、
休養に専念し、それが落ち着くと骨と筋肉と心が一体化し始めた、
という実感が持てるようになった。
そこで、10月中旬からは毎週末お山に通い、
お山での自分の身体の動き方をこの心身に覚えこませることにした。
まずは急なアップダウンを早足で登ることから始め、
先々週末は岩トラバースやクライムダウンをフリーで、
そして先週末は沢登りと、色々なステージを歩くことで、
この新しい容器を動かすための心臓や脳に刺激を与え続けた。
後篇
http://www.yamareco.com/modules/diary/19423-detail-84335
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