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今から50年ほど前の昭和40年代までは、鹿島山荘は、だいぶ流行っていたようで、多くの登山者がここをベースに登られたようです。
自分の子どもの頃は、大町の駅から大谷原まで松電の路線バスが走っていました。
新宿からの夜行列車、急行アルプスには週末には大勢の登山者が乗っていて、通路に新聞紙を敷いて寝てる人もいたそうです。
時代は変わり、マイカーでの移動や、新幹線🚄での移動が多くなり、アルペンルート開通もあって大谷原から登る登山者もめっきり少なくなったそうです。
自分は鹿島山荘を利用した事はなく、爺ヶ岳東尾根ルートを知ったのもここ数年の話ですが、玄関に登山届けを出す銀色のポストがあったので、このポストに用紙を入れる時に、昔はここも凄く賑わっていたんだろうなぁといつも哀愁にひたっていました。
それが今日鹿島山荘が有った場所が更地になっているのを見て、なんだか時代の波に呑まれてなくなってしまったようで、凄く切なくて悲しくなりました。
大町の人口も昔は、3万3千とか4千だったのが、今や美麻と八坂と合併したにも拘らず、2万5千人ほど。
2万人を切るのも時間の問題です。
ただでさえ寂れていく一方なのに、コロナでインバウンドが壊滅状態で、大町温泉郷も賑わっているのは、薬師の湯ぐらいかも。
北アルプスのすぐ麓で寒すぎるので、松川や安曇野に移住する人が多いのかもしれないです。
雪かきも大変で、冬はここで生活すること自体が闘いですから…。
でも山登りをする人にとっては、これほど恵まれた場所はないと思うので、IターンやUターンを考えている人に、もっと積極的に仕事の斡旋や移住のお手伝いとかをすれば、大町ももっと賑わってくると思うだけどなぁ…。
母親の死と鹿島山荘がなくなってしまったというダブルショックな1日でした。😭
1枚目、登山口から見た鹿島山荘が有った場所。
2枚目、鹿島山荘が有った場所。更地です。
3枚目、登山口から少し入った所にある、オババの碑と爺ヶ岳の案内板
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