しかし、なんともおどろおどろしい登山道である。ほとんどが崩壊の激しい、東沢源頭の崖っぷちの道なのである。おまけにザレの道だ。ズルッと滑れば、東沢へ真っ逆さまだ。しかも丸太の階段やロープの下がる、急登や岩の道が続く。まったく、気の休まる所が無い。そんな道を登って船窪岳に着く。標柱に船窪岳と有るが、前方に、それより高いピークが見えている。山と高原地図では、そちらが船窪岳となっている。標柱がここにあるのは、国土地理院の2.5万地形図の標記が、このピークの近くに記載されているからであろう。
急登をこなして、やれやれと思ったのも束の間、また、下ってさらに急登を登る。ピークに上がると、船窪岳第二ピークの標柱が立っていた。標柱は第二ピークだが、ここが本来の船窪岳と思われる。三十台と思われる男性が一人休んでいた。槍ヶ岳から中房温泉に下りるのだとか。昨日、最後にテン場に着いた人である。雲の平から薬師岳を回って、平ノ小屋から扇沢に出る、という人もいたし、このコースを辿る人は、ロングコースに狙いを付けている人が多いようだ。
ここから少しばかり、オオシラビソの林の中を行く、おだやかな道が続くが、また、すぐに厳しい道程となる。ほんとに、このコースには、心休まるというところがない。何しろズルッと滑ったら、谷底へと真っ逆さまなのだから。不動岳まで行けば、核心部が終わると、聞いていたが、それは、南沢岳まで続いた。しかし、展望は良い。剱も烏帽子も槍も赤牛も水晶も、一望の下である。花も、鞍部を中心に結構多い。南沢岳にはコマクサも咲いている。登山道を歩く人の姿は見えているのだが、静かな山域である。
南沢岳からは、ゴーロの道を下る。鞍部に出ると、ザレの道となりコマクサが咲いている。ここから先は、四十八池と呼ばれている、緑濃きなだらかな道である。小さな池が散在するオアシスである。ところがガスがかかってきて、雷が鳴り出した。心休まるところだけに残念である。烏帽子岳は割愛して、前烏帽子への登りを頑張る。たいした登りではないが、なにしろ雷が鳴り出したので、のんびりしてはいられない。
幸いなことに雷は、たいしたこともなく、烏帽子小屋へ着くことが出来た。しかし、空はどんよりと、辺りは薄暗い感じで、何とか雨をこらえているといった様相である。テント場へ着くと、雨である。急いでテン場を探すが、良いところが無かった。ここのテン場は、沢状になっていて、ほとんどが澪筋に有る。雨は一気に強くなった。仕方がないので、少しばかり斜めだったが、出来るだけ澪筋を外して、テントを張った。雨の降る中、靴やストックを使って、排水溝を掘った。いつもやっていることだが、これが後で功を奏することになる。
雨が止んで、小屋まで水とビールを買い出しに行くと、な、なんとテント場を濁流が襲っていた。12、3張りは有ったと思うが、大部分が「床上浸水」の大災害である。背あてマットを絞っている人もいて、「床上浸水」の被害は「甚大」である。H16・7・13新潟福島豪雨ではないが、まったく油断ならない集中豪雨である。私の所は、「流域」が違うのと、排水溝が功を奏して難から逃れた。
昨日の雨の影響か、しばらくはガスがかかっていたが、徐々に天候は回復した。しかし、天候の回復と共に、樹林帯へと入っていき、見通しはなくなった。かいま見る船窪岳の稜線。今にも崩れ落ちそうな、アップダウンの稜線を歩いてきたのである。久しぶりの山行であったが、良く歩けたものである、と我ながら感心する。
三角点を過ぎると、ポツポツと登山者が登ってきた。30kgの秤では、目盛りが足りないという、大きなリュックを背負った若者達は、WVの学生グループであろう。日本のはてまで行ってしまうのではないか、と思われるほど元気だが歩みは遅い。やっぱり荷物は重いのだ。高瀬ダムに着くと、客待ちのタクシーが待機していて、待ち時間無しで乗ることが出来た。
まだ清掃中、という葛温泉は、10時半頃から入れるということで、しばらく待つことになった。同じようなグループがあり、懇談しながらの待ち時間は気にならなかった。同じ山を趣味とする者どうし、それも山の楽しみである。高瀬館の大きな露天風呂で、のんびり汗を流して帰新する。
写真左:階段やロープの下がる箇所が多い
写真中:ナイフエッジのザレの道
写真右:霧にかすむ鋭鋒烏帽子岳
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