久しぶりに”最初”ネタを。
日本の休暇のシーズンはやっぱり夏休みとゴールデンウィークだろう。
今年はカレンダーの関係で秋のゴールデンウィークがあるのだそうだが。
長い山行を計画するならまずはこの2つははずせない。
ということで、1986年夏で飽き足らなくなった私はゴールデンウィークに山へ行くことにした。前年晩秋に金峰山に登っていた私は、山行の場所として奥秩父を選んだ。今考えると結構大胆だったが、春山、単独行おまけにテントというはるかに体力を必要とする山旅だった。
1986年というと、4月にアイドルの岡田有希子さんが自殺した年である。
ちょっぴりファンだった私は、4月は空虚な思いですごしていた。
西武と秩父鉄道にのり、終点(三峰口)までいき、バスとケーブルカーで三峰神社を通って、雲取山に登るコースに取り付いた。ケーブルの終点はカタクリの紫色の花が一面迎えてくれた。
この日は雲取山のテント場で一夜を過ごす。
翌日は一面ガスの中雲取山頂から、多摩川の源流(笠取)を通って雁峠へ。
途中で雨がひどくなってきたので、テントではなく山小屋に泊めていただいた。
この翌日から苦闘の日が始まるのである。
雨はあがって、天気がよくなってきた。今日は甲武信岳まで行く予定だったが、調子が出ない。おまけに破風山の登りは非常にきつい。とうとう甲武信岳まで行くことはあきらめ、西破風山に避難小屋があったので、その脇にテントを張り一夜を過ごすことにした。1人で真っ暗な避難小屋に泊まる気がしなかったからである。夜は風がつよくゴーゴー音を立てて、まるで山が吼えているかのようであった。
翌日も快晴で、甲武信岳を越えた。まだ早かったので、このまま大弛峠まで行くことにして進んだ。しかし、ここから雪が多くラッセルを強いられる箇所もあり、遅々として進まない。
とうとう途中で夕方になったので、2日目のビバークをすることになった。
この日は夕焼けがキレイだったが、少々心細かった。
翌日も快晴。国師岳を越え大弛峠へ降り、調子があがる。雪に足を取られながら金峰山に登り返し、富士見小屋を通って下山した。
春に奥秩父へ行ったのはこの1回きりだったが、あのときはよく縦走できたと今でも思っている。
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