ある日、ある時、とあるアルプスにて。
うちのお嫁様(そう呼べと命令されている)が言いました。
「最近、高齢者の遭難事故とか いっぱい報道されて、悪者あつかいされているけど、好きに死なせてあげたらいいじゃん。今まで頑張ってきたんだから、好きなことやって、好きなところで死なせてあげてもいいじゃん。そんな自由も非難されて、そんなのおかしい!!。」
その言葉を聞いた時、今まで自分のなかでもやもやしていたことが一気に吹き飛んだ気がした。
自分は常々、人間、考えることと感じることは別ものだと思っている。
理性的に考えること、人として感性で感じること。
どちらも重要なことだけれど、人を動かせるのは、感じて、共感することだと。
そう思っている。
そんな自分の価値観にお嫁様の言葉が突き刺さった。
もし、自分事として、自分ならばどう思うか。
自分が高齢者になって・・・。
登山も運動もせず、老化とともに病気になり、病院で管に繋がれ、延命し、いろんな人に迷惑をかけ、社会保障費を無駄に消費し、そして死んでいく・・・。
それが自分にとって幸せなことだろうか?周囲の人にとって幸せなことだろうか?社会にとってプラスのことだろうか?
対して、楽しみを貪るために登山をする毎日。多少の病気や怪我もするだろうが、健康的な生活と体を維持でき、病院のお世話になることも減り、社会保障費も減るのではないだろうか。
そして、たとえ登山中に病気になったり、遭難して救助隊のお世話になったとしても、その費用はどれほどだろうか?登山もせずに病気がちになり、社会保障費を貪るような老人と比べて、どれほどだろうか?その時、自分の心に救いはあるのだろうか。
そう考えたとき、やっぱり自分は、最後の最後は迷惑をかけるかもしれないが、自分の悔いがないように生き、死んでいく方が良いなあ・・・と感じた。
こんなことを書いたり、話したりすること自体が、今の狭量な社会では悪なのかもしれないが、そういった時こそ、「感じること」に正面から向き合い、そして「考えること」で、高齢者の登山の正当性を論じられたら良いと思う。
どなたか、是非、登山をする高齢者としない高齢者の社会保障費などを比べて、高齢者による登山の意義を述べてほしいと思う今日この頃である。
謝罪:感じるままに述べたので、一部不適切な表現があったかもしれません。この場でお詫びいたします。
https://www.youtube.com/watch?v=Z-z0-W61xLw
山で死ねれば本望なんて事は全く思いませんが、こればっかりは分かりませんよね。
一番迷惑なのは行方不明になる事だと思うので、ココヘリと保険に入って、コンパスで登山届は必ず出すようにしています。
自分も山では死にたくありません(;^_^A。絶対に!!
でも、何が起こるかなんて、やっぱりわかりませんよね。こればっかりは。
そして、遭難等の際に迷惑をかけないように、最低限のココヘリや保険に入り、登山計画書を提出することは登山者の義務だと私も思います。これ、とても大事ですよね。
日記でつらつらと書いたことは、たまたま運悪く遭難したり、救助されたり、亡くなられた方に対して、いろんな背景を想像することで、一面的な観点からだけ見た非難などはやめるような社会にならないかなあ・・・と。
その色んな背景の1つに、登山によって健康寿命が延びて、社会医療費が抑制されたり、生きたくもないのに意思の疎通ができないからといって、管でつながれて延命され、場合によっては1人年間1000万とかの社会保障費が消費される。そういった現実もある。
自分がそうなった場合、社会的に負担をかけているのはどちらだろうか?など、いろいろ考えてしまいました。自分は、後者にはなりたくありません。家族にも長期にわたって迷惑をかけることになるだろうから・・・。
そう考えると、きちんと果たすべき義務を果たして、登山をされている高齢者が事故を起こされた時に、そんなに非難されるように社会はいやだなあ・・・建設的じゃあないなあ・・・と悲しく感じています。
同時に、一生懸命生きてきた高齢者に、最後のわがまま位、許容できるような社会でも良いのになあ・・・と感じた次第です。
これは、登山だけでなく、終の時の在り方という観点からも同じことがいえるのではないかと思います。医療従事者の方々は、特にその辺の現実を見られているので、感じることがあるかもしれません。
ちょっとした自分の愚痴でもありますのでm(__)m。
愚痴を聞いていただき、恐縮です(;^_^A。
誰しもそうだと思いますが、目指すところは健幸長寿(あえて、健康長寿でなく)。
エリザベス女王のように生涯現役とまではいきませんが、自分自身の介護のために身内に迷惑をかけたくない、ましてや、山で行方不明になって残された者に迷惑をかけることは絶対に避けたいと常日ごろから思っています。
以下は、以前私が書いた日記ですが、私の場合、山そのものが好きと言うよりも、健幸長寿を実現するために、心身共に健康を維持できる登山を楽しんでおり、日頃の運動を心がけています。
"山が好きなのか、利用しているだけなのか"
https://www.yamareco.com/modules/diary/320773-detail-279421
なので、私の場合は、山で遭難して逝くことはもってのほかです。
でも、あれですね、今まで一生懸命働いてきて、やっと自由な時間が持てて山を楽しもうとしたら、"高齢登山者は遭難が多い"と非難されては、ちょっと気の毒ですね。確かに高齢になれば、持久力、筋力等の身体能力は落ちてくるので、この辺りを考慮して山を楽しみたいものです。
かく言う私も高齢者の一人です。
健幸長寿!良いお言葉です!本当に良いお言葉です!
健康になることが目的ではなく、幸せになるための条件として健康があるのですから。ですが、やりきられた方々からは、病気でも死にそうな状態でも、幸せを感じられるのかもしれませんね。イノキさんを見ていて、ふっと、そんなことを感じました。お強く、命の尊厳を感じる方です。
日記も読ませていただきました。以前読んだ記憶が蘇りました。とても共感できました。まさに、そうだなあ、、、と感じました。
誰しも登山で遭難を望む方はいないと思いますが、それでもそういったことは一定程度の割合で発生しています。そんな方々には、お悔やみの言葉だけが届くようになってほしいです。
そして、山での事故防止の動きがさらに進めば良いと思います。せめてGPSアプリは使って欲しいと思いますが、使い方がわからない方にも、たまにお会いします。道を外れて遭難一歩手前の方といっしょに下山し、車まで1時間程度、おくっていったこともあります。無料で使えるジオグラフィカなど、素晴らしいアプリがあるにも関わらず、残念で悔しくも思います。
あれ?話しが脱線して何を言ってるのかわからなくなりました(笑)。
あと10年で高齢者になる予備軍の戯言でしたm(_ _)m
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