6年ほど前のことだが、登山におけるリスクマネジメント講座を受講した。その時、講師の先生がこんなことを話していた。
「みなさんリスクマネジメントというと、例えば『遭難に備えてツェルトの張り方を練習しましょう』とか言いますけど、それはリスクマネジメントではありません」。
先生が言うには、自分がこれから行く山で起こる可能性がある危険をすべて洗い出し、その危険を回避するためになにをするのかを考え、実行するのがリスクマネジメントだと。そこを考えないでツェルトの張り方に行くのは「順番が逆」だというのだ。
私は以前、ツェルトを必ず携行していた時期があった。ツェルトだけでなく、「ビバークにあると便利だから」とシュラフカバーや銀マットも携行していた。古いタイプの山岳会の知識に何の疑問も抱かず、漫然と重たい荷物を担いでいたわけだ。
今は一つ一つの装備を「今日の山行にこれは本当に必要なのか」と考えている。考えた結果、ツェルトを持って行く日もあれば、持って行かない日もある。どちらが正解かという問題ではなくて、自分で考えることに意味があると思っている。「お守りだから」と持つ人がいるが、それでは自分で考えたことにはならない。
もう一つ、先生の話で印象深かったのは「撤退」の考え方だ。
「よく『勇気ある撤退』とか言いますが、本来、撤退に勇気は不要です。綿密に計画を立てて撤退方針も決めていれば、撤退するときはその方針に沿って粛々と撤退するだけです。逆に勇気を出さないと撤退できないようでは冷静な判断はできない」。
これには目からうろこが落ちる思いだった。
先生は登山靴のひもの結び方について「登りはゆるめに、下りはきつめに」という通説にも疑義を示していた。靴のフィッティングはそんないいかげんなものではなく、常にジャストフィットが正しい、と。
常識(だと思っていたこと)を漫然と受け入れているだけでは進歩はない。進歩が止まった時は死ぬときだと思う。知識も考え方も、常に更新していきたい。
ツエルトの話。イベント発生時の対応策は知っておいた方がいいですが、思考の順番があべこべですよね。例えば『道迷い』(地図読み、ナビゲーション)にも通じるものがあります。
『勇気ある撤退』も本来おかしな言葉ですよね。途中で引き返した方としては、その時に最もするべきと思われることをしたわけですから。
個人的には、『敗退』という言葉はもっと理解できません。何と戦っているのだろうと感じます。同様に『リベンジ』も嫌いです(自然を競技の場として捉え臨んでるなら話は別です)。
何かものごとを深めたり、領域を広げたりするのはとても楽しいことです。それがささやかなことであっても、生きている甲斐があるというか。
自然はいろいろなものを与えてくれますし、気づかせてくれる存在なのだと改めて感じました。
突然つらつらと私見を綴ってしまいました。失礼しました。
「敗退」……確かに「何と戦っているのか」という感じですね。
「リベンジ」も本来「報復」を意味する言葉なので、自然が相手なら自然への畏敬の念がないですよね。
ありがとうございます
『勇気ある撤退』のことばに刺激されて、書き連ねてしまいました^_^
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