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社会の中で育まれる中で文字通りの人間になる存在である。
一卵性双生児でも、育つ環境が異なれば、それなりに異なる個性ができる。環境とは換言すれば社会ともいえる。もっと言えば、歴史的・社会的背景だ。人間にとって、歴史的・社会的背景は重要だが、時には脱却を図り・時には自ら縛られたりする。
さて、ウクライナへのロシアの侵攻が始まってかなりの時間がたち、人的・物的損害も大きくなっているものの、停戦・終戦の気配は未だ見えない。
侵攻の要因の一つであるロシアの夢想とか我々では理解しがたい所がある。又、抵抗するウクライナの民の行動にも一部の人には理解しがたい所が有るかも。もっとも、ブチャのでの虐殺の映像を目の当たりにすれば、なるほどと感ぜざるを得ないが。
ところで、ウクライナでの戦闘が終息しない内に中東でも火花が飛び交い始めた。こちらは、一神教を崇める民族同士の長年に渡る歴史的・社会的背景が伴っているので、多神教の大和民族の一員としては理解が困難なところがある。
多数の人質がハマスに囚われているようだが、日本人からすると人命第一で救出・解放について考える。その一環で戦闘は控えがちだ。只、イスラエルの人達は、逆に戦闘を選択する。しかも、それが大多数の市民から支持されている。ここら辺りのギャップは理解可能か否かの範疇にない。抱える歴史的・社会的背景が異なれば、その行動も自ずと異なってくる。
花鳥風月、日本人の歴史的・社会的背景の一端を表現できる言葉かと思うこの頃です。自然の風物を題材として詩歌や絵画をたしなむ風流は持ち合わせていないものの、紅葉あるいは紅葉に生える雪山等を愛でながらの登山を楽しみたい。写真は、先日群馬県の妙義山を訪れた際に、稜線上の天狗岳付近で撮影したものです。西沢渓谷も。
近時、中華思想か何か知らないが、その影響か、南シナ海・東シナ海近辺で不穏な動きがみられる。日本もその動きの中に巻き込まれそうだが、国内はいたって平穏だ。渋谷での連日のから騒ぎ等、後になって危機意識の希薄さを嘆くことにならなければよいが。