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「白川御所山」は今でも石碑を見るもの(白川御領山)でしょう。中尾城址は義政公遠見?櫓跡なのかと思います。
気になるのは大光石、大閤岩のことなんだろうけどどうしてこの漢字。この付近を岩山と呼んでいるのは石を産出したんだろうから納得。ネットを調べると『慈照寺銀閣の景観考古学的研究-「岩山大光石遺跡」第2次探査』なる動画がみつかるがいまいち欲しい情報は見つからない。それに一番大きな石切の跡は網状のセメントで固めたとこでないのか?石切の跡などは興味深いが大いに疑問の残る資料である。ただこの看板の地図京大人文研の調査資料にも含まれていることがわかった。
あとすごく気になる「めをと石」大きな2つの岩がないかちょっと歩いてみたけどわからず。あと「山神」全く神さん的なものを歩いても感じないが消えたのだろうか?上の水飲み場あたり?
「村山」、「百姓山」と別にある。どこかの村の山なんだろうが、ちょうどUAきずなの森、あのあたり「浄土寺提灯山町」ってちいさな字があります(周囲の字名も興味深い)。なんか関係があるのかな?ほかは永観堂の領田地など、いろいろと興味がつきません。
12/26 誤字を訂正しました。
いろいろ検索していたら興味深い資料を見つけました。全くお土産の看板など気がつきませんでした。まだあるのかな?
京都大学人文科学研究所 菊地 暁
人文研探検
風雲? 北白川城!
――上山春平『城と国家:戦国時代の探索』を読む――
付:ふたたび休載にあたって
https://www.keio-up.co.jp/kup/sp/jinbunken/
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