熱も冷めぬ内に先日(南禅寺から鹿ヶ谷 遺跡を散策、記録ID: 3907296)訪れた南禅寺の裏山を再訪しました。宝篋印塔をもう一度じっくり確認に行ったのですがやはり年代に関するものはありませんでした。宝篋印塔少し調べてみると年号が書かれてないことが多いそうです。基礎(土台部分)と呼ばれる部分には施主が書かれてました。周囲には近江屋〜など、これも施主の一員か、とどうも戒名が書かれているようです。塔身(中央部分)は二段重ねで下に経文上に梵字が刻まれてます。でも上の梵字の部分の石の種類が異なります。ちょっと不思議。参考にしたサイトの記載によれば基礎と塔身の間の返花と呼ばれる部分の形式を見ると江戸時代ぽいように思います。
石碑も確認しました。帰って写真を見返すと「東岩倉山 大日如来 石?請中〜」と読めます。他の文字も読めないかと。あいにく私の眼力では判読できず。ただ享保元年の文字が読めました。あとでyjinさんの記事を見直すと「享保元年」すでに読まれてました。。。また残された二体の石仏をみると大日如来のようです(おそらくこれは大日堂に祀られいたものとは違うでしょう)。
東岩倉山を調べていて見つけたのですが江戸時代の図譜「花洛名勝図会」にも東岩倉山のことが書かれています。それによれば、「山の絶頂に大日如来を安置した大日堂があり、よってその山を大日山とする」とあります。また大日堂の前には「巨巌があり周囲を囲いお稲荷の祠がある」しています。絵もあり往時の様子がわかります。この訪れた平坦地に享保元年の石碑、さらにちょっとした複数の岩が集まった場所があることから推定するにここが江戸時代に大日堂のあった場所、つまり当時大日山と呼ばれた場所なのでしょう。
大日堂の周囲には奈良時代の僧行基が坐禅したとされる座禅石もあるそうです。西向きに開けた場所の崖部分に地上部に平坦な部分が露出した巨石がありました。ひょっとしたらこれがそうなのかもしれません(史実かは別として都ながめ石みたいなものでしょう)。また大日堂の下には不動滝があるそうです。駒ヶ滝とは異なるようです。これはひょっとすると奥の院と七福思案処の道中にある白玉龍神などを祀られているところかもしれません。水も滴ってますし昔は小さな滝だったのかも?理由としてよく見ると不動明王の石仏が一体そこにあるのです。まぁ谷沿いの砂防ダムで消えたのかもしれませんが。
最後に「藤木越」、この大日山(東岩倉山)あたりあった三井寺に通ず坂の呼び名だそうです。トレイルと完全に一致するかはともかく尾根にのるぐらいらまでの坂の部分なんでしょうね。また写真だけの山行記録を投稿します。
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