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しながわ水族館が入ってるしながわ区民公園は早朝6時から開園してるが、出入りできるのは一部の門だけ。南端のしながわ水族館の側から園外に出るには駐車場しかないが、自分が着いた時点(7時頃?)では施錠してあってまだ開いていなかった。着いたばかりっぽい駐車場のおじさんが「7:15にならないと開門できないんよ」と教えてくれたので、「大丈夫です、あっちから出ます」と言って園内をぐるりと回って鈴ヶ森中の脇の出口から一般道に出た。
JR大森駅から馬越銀座、環七経由で戻ってくるルートは、ひと月半前に下垂足(ドロップフット)で何度も派手に転びながら帰ってきた道で、あのときの悪夢が一瞬脳裏に蘇るが、左足のほうはまったく問題なし。完全に克服できたと思う。
#朝ラン #早朝ラン #ランニング
オーディブルは河崎秋子『ともぐい』が今朝でおしまい。最後はなんだかあっけなかったな。
引き続き、オーディブルは前野ウルド浩太郎 『バッタを倒しにアフリカへ』を今朝から聞き始める。
緑の衣を全身にまとい、「バッタに食べられたい」という子供の頃からの夢を追って、モーリタニアの砂漠をあっちこっち駆け巡るバッタ男による抱腹絶倒の奇書は、2017年の刊行後すぐにKindle版で読んでいたが、いつのまにか続編まで出ていてどちらもAudibleで聞けると知り、あらためて聞き直すことに。いやあ、おもろい。文章の端々まで書くよろこびに満ちていて、元気をもらえる。給料ドロボーなのに憎めない専属ドライバーにして相棒のティジャニとのやりとりも楽しい。少年時代に砂漠のど真ん中で迷子になり、3日間飲まず食わずで極度の脱水症状に見舞われ、なんとか一命をとりとめたバッタ研究所の所長ババの「これからの人生は神様の贈り物だから、世のため人のためになることをして恩返ししよう」という真っ直ぐすぎて、ちょっと気恥ずかしくなるような誓いも、ウルド氏のサバサバして、湿り気のないあっけらかんとした文章の中に出てくると、すなおに「そうだそうだ」と頷ける。
「父の言った通り(ババ所長の父親は「偉くなったら束縛されて社会の奴隷になるだけだ」といってババ少年が学校に行くのに反対した)、私には自由な時間がなくなり、社会の奴隷になってしまった。しかし、私がバッタと闘わなければ誰が闘うというのだ? 私は神に誓ったように人の役に立ちたいのだ」
熱い。熱すぎる。ババ所長の熱は、確実にウルド氏にも伝染していく。
「ほとんどの研究者はアフリカに来たがらないのにコータローはよく先進国から来たな。毎月たくさんのバッタの論文が発表されてそのリストが送られてくるが、タイトルを見ただけで私はうんざりしてしまう。バッタの筋肉を動かす神経がどうのこうのとか、そんな研究を続けてバッタ問題を解決できるわけがない。誰もバッタ問題を解決しようなんて初めから思ってなんかいやしない。現場と実験室との間には大きな溝があり、求められいていることと実際にやられていることには大きな食い違いがある」
「私も同じ思いを抱いています。基礎的な生態を知らずに、いくらハイテクを使った研究をしても真実は見えてこないと考えています。サバクトビバッタ研究を進展させるためにはまず、野性のバッタの生態を明らかにしなければなりません。もちろんそれは過酷な道ですが、フィールドワークこそが重要だと信じています。誰か一人くらいは人生を捧げて本気で研究しなければ、バッタ問題はいつまで経っても解決されないと思います。私はその一人になるつもりです。私はサバクトビバッタ研究に人生を捧げると決めました。私は実験室の研究者たちにリアルを届けたいのです。アフリカを救いたいのです。私がこうしてアフリカに来たのは、極めて自然なことなのです」
「よく言った! コータローは若いのに物事が見えているな。さすがサムライの国の研究者だ。お前はモーリタニアン・サムライだ! 今日から、コータロー・ウルド・マエノを名乗るがよい!」
すべてがこのノリなのだ。もうどうしようもなく、いとおしい。だが、バッタ研究は金になるのか。ポスドクに待ち受ける過酷な生存競争について。
「博士になったからといって、自動的に給料はもらえない。新米博士たちを待ち受けるのは命懸けのイス取りゲームだった。イス、すなわち正規のポジションを獲得できると定年退職まで安定して給料をもらいながら研究を続けられる。だが、イスを獲得できるのはほんの一握りどころか、わずか一摘みの博士だけ。夢の裏側に潜んでいたのは熾烈な競争だった。
一般に博士号を取得した研究者は、就職が決まるまでポスドクと呼ばれる、一、二年程度の任期付きの研究職を転々としながら食いつないでいく。早い話が、ポスドクは博士版の派遣社員のようなものだ。
ポスドクにも色んなタイプがあり、正規職員が運営する研究プロジェクトの一員として一時的に雇用されるものや、日本学術振興会(通称:学振)の特別研究員として3年間の任期で国内の研究機関に身を置き、自分のやりたい研究テーマを進めていくものなどがある。国外版の学振もあり、そちらは2年間の期限付きだ。国内外の学振を連続してとると、5年間は自分のやりたいテーマを研究できる。浪人・留年せずにストレートでいけば、27歳で博士号を取得し、その後、学振の恩恵に与ったとしても、32歳を過ぎると研究生活を保証する制度は皆無となる。
私の定義する「昆虫学者」とは、昆虫の研究ができる仕事に、任期付きではなく任期なし(パーマネント)で就職することだ。学振は倍率が高いし、雇われポスドクの口を見つけるのさえ厳しい現状で、新米博士はどうしたらいいものか。
流離(さすらい)の博士たちが目を光らせて欠かさずチェックするのが、研究職に関する求人求職情報サイト@JREC-IN」だ。日本の科学技術振興を目的として設立された文部科学省所管の科学技術振興機構(JST)が運営しており、あらかじめ「昆虫」などのキーワードを登録しておくと、それに関する公募が出たときに、自動的にメールで案内が届く。公募は、大学や研究所に所属する正規の研究員の定年退職や異動などでイスが空くと行われる。たった一つのポスト目がけて、我こそはと思う博士たちが殺到し、100人以上が応募してくることはザラである。博士の数に対して、イスの数が圧倒的に少ないため、博士たちはいやでもギラギラしていなければならない。
この本気のイス取りゲームの勝敗のカギを握っているもの、それは「論文」である。
論文は新発見を報告する「場」であり、学術雑誌に掲載される。学術雑誌は分野ごとに数多あり、せちがらい話だが、どの雑誌に掲載されたかが研究者の運命を左右する。レベルの高い雑誌に論文が掲載されると、より多くの読者の目につき、全世界に大きなインパクトを及ぼすことができる。さらに各雑誌には「インパクトファクター」と呼ばれるポイントがついている。例えば、とある雑誌は5点、とある雑誌は25点といった具合だ。一般に「レベルが高い雑誌=ポイントが高い」場合が多い。論文を投稿すると査読され、それぞれの雑誌が求めるレベルをクリアできていた場合に限り、受理(アクセプト)される。
職のイス取りゲームの際には、それまでに発表してきた論文のインパクトファクターで、研究者の実力が客観的に評価されることが多い。また、発表した論文が他の論文に引用された数も、その論文の価値を示す指標として考慮される。すなわち、論文は研究者の命そのものであり、分身と言っても過言ではない。出版できぬ者は消え去る運命にあり、
「Publish or Perish(出版せよ、さもなくば消えよ)」
などと、研究者が抱えるプレッシャーを表した恐ろしい格言も存在する。
納得のいく渾身の論文を準備するにはどうしても時間がかかるが、先を越されて二番煎じになってしまうとインパクトはガタ落ちしてしまう。論文は就職だけではなく、研究費を申請するときにも重要視される。せっかく素晴らしい研究アイデアを持っていても、論文をまったく発表していなければ審査員からは相手にされない。
論文が求められるあまり、逆転現象も起きている。昔は新発見を発表する手段が論文だったが、現在は論文を出すために新発見をするという風潮がある。もちろん、論文を出すことだけが研究ではない。誰にも真似できない職人技を極めていたり、最先端のテクニックを使えたりするなど、技術も就職へのアピールポイントとなる」
研究対象のバッタについて。
「バッタは漢字で「飛蝗」と書き、虫の皇帝と称される。世界各地の穀倉地帯には必ず固有種のバッタが生息している。私が研究しているサバクトビバッタは、アフリカの半砂漠地帯に生息し、しばしば大発生して農業に甚大な被害を及ぼす。その被害は聖書やコーランにも記され、ひとたび大発生すると、数百億匹が群れ、天地を覆いつくし、東京都くらいの広さの土地がすっぽりとバッタに覆い尽くされる。農作物のみならず緑という緑を食い尽くし、成虫は風に乗ると一日に100km以上移動するため、被害は一気に拡大する。地球上の陸地面積の20%がこのバッタの被害に遭い、年間の被害総額は西アフリカだけで400億円以上にも及び、アフリカの貧困に拍車をかける一因となっている。
バッタの翅には独特の模様があり、古代エジプト人は、その模様はヘブライ語で「神の罰」と刻まれていると言い伝えた。「蝗害」というバッタによる被害を表す言葉があるように、世界的に天災として怖れられている。
なぜサバクトビバッタは大発生できるのか? それはこのバッタが、混み合うと変身する特殊能力を秘めているからに他ならない。まばらに生息している低密度下で発育した個体は孤独相と呼ばれ、一般的な緑色をしたおとなしいバッタになり、お互いを避け合う。一方、辺りにたくさんの仲間がいる高密度下で発育したものは、群れを成して活発に動き回り、幼虫は黄色や黒の目立つバッタになる。これらは、群生相と呼ばれ、黒い悪魔として恐れられている。成虫になると、群生相は体に対して翅が長くなり、飛翔に適した形態になる。
長年にわたって、孤独相と群生相はそれぞれ別種のバッタだと考えられてきた。その後1921年、ロシアの昆虫学者ウバロフ卿が、普段は孤独相のバッタが混み合うと群生相に変身することを突き止め、この現象は「相変異」と名付けられた。
大発生時には、全ての個体が群生相になって害虫化する。そのため群生相になることを阻止できれば、大発生そのものを未然に防ぐことができると考えられた。相変異のメカニズムの解明は、バッタ問題解決の「カギ」を握っているとされ、1世紀にわたって世界的に研究が積み重ねられてきた。バッタに関する論文数は1万報を軽く超え、昆虫の中でも群を抜いて歴史と伝統がある学問分野であり、現在でも新発見があると超トップジャーナルの表紙を飾る。
ちなみに、バッタとイナゴは相変異を示すか示さないかで区別されている。相変異を示すものがバッタ(Locust)、示さないものがイナゴ(Grasshopper)と呼ばれる。日本では、オンブバッタやショウリョウバッタなどと呼ばれるが、厳密にはイナゴの仲間である。Locustの由来はラテン語の「焼野原」だ。彼らが過ぎ去った後は、緑という緑が全て消えることからきている」
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