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今朝の最低気温は3℃だが、途中パラパラと氷の粒が降ってきたなと思ったら、どうやら初雪認定されたらしい。
#初雪 ##朝ラン #早朝ラン #ランニング
オーディブルは前野ウルド浩太郎 『バッタを倒すぜアフリカで』を今朝から聞き始める。
サバクトビバッタの雌雄はふだんは離れ離れに生活し、オスの集団にメスが飛んできて交尾し、夜に集団産卵するという「集団別居仮説」を検証するためのデータ集めに苦労するウルド氏。なにしろバッタの集団に出会えるかどうかは運次第。このままでは金がもたない。
「どうしてもバッタの研究を続け、「集団別居仮説」を検証してみたい。ここで諦めたら、せっかくの仮説が日の目を見ずに闇に葬られてしまう。たった2回の観察だが、どうなっているのか気になってしかたがない。何が何でも、どうなっているのか知りたいのだ。今後の人生、上の空で歩んでいくのは耐えがたいものがある。
知りたい思いが強いのは、幼少期に受けた影響が大きい。子供の頃に読んだ『ファーブル昆虫記』に描かれていた、自分自身の研究の力で昆虫の謎を解き明かしていくファーブルの姿に憧れを抱いた。自分で不思議だと思った謎を工夫して解き明かしていく快感を、是非とも味わっていきたいのだ。」
「友人たちの大方の予想通り、バッタを追いかけた故に無収入になってしまうのは王道過ぎてネタ的にイマイチ面白くない。このまま「バッタ道」を突き進み、人類がビックリするような研究発表ができたら、友人たちの予想の上を行くことができるし、既成概念に囚われずに進めば、予想外の展開が待ち受けているはずだ。これを試すことができるのは世の中で私しかいないのだ。」
「バッタの研究に人生を全振りするとどのような末路になるのか?」
この身を捧げぬ限りわかり得ぬこと。ならば、一世一代の人体実験に手を染め、答えを得ようではないか。」
堕ちるところまで堕ちてみたい。その結果、自分がどうなるか見てみたい。病的な欲求に取り憑かれて闇落ちしていった人に、どうしようもなく憧れる自分がいる一方、自分はそうなりきれなかったという後悔の念がついて回る。知りたがりお化けの自分には、そういうアンビバレンツな欲求がつねにあって、年令を重ねて多少は折り合いをつけることができるようになってきたが、いまだにそれをうまく制御できない。殻を突き破りたい。ウルド氏の強さがほしい。
「科学は、先人なくしては成り立たない。
「巨人の肩の上に立つ」(Standing on the shoulders of giants)の標語は、学術文献検索サイトGoogle Scholarのトップページにも掲げられている。偉大な先人たちの業績や先行研究などを巨人に喩えたものだ。
由来には諸説あるが、アイザック・ニュートンがフランスの哲学者の表現を用い、自身の手紙に記した言葉、「私が彼方を見渡せたのだとしたら、それは巨人の肩の上に立っていたからです」から、流行ったとされている。
現代風に砕けて言うと「マジ、先人リスペクト」と、逆に無礼な表現に成り下がってしまうが、すでに多くの先人が知の礎を築きあげてくれたおかげで、現在の研究者は新たな研究課題に取り組むとき、高い所から研究を進めることができ、より遠くを一望できる。
論文は、大発見だけが重要ではない。たとえ地味な実験結果であっても、それによって後世の誰かが同じ失敗をせずとも済む、意義のあることなのだ。
論文は半永久的に残り、受け継がれ、知の結晶として積み上がっていく。色んな大きさ、形、色があるだろうが、確実に折り重なり、すそ野に、高みに加えられていく。論文は研究の証となり、歴史をつくっていく。」
この連綿と続く知の営みは、世代を超えて受け継がれる生命(DNA)の連鎖に驚くほど似ている。自分は神は信じないが、生命と知の連鎖は信じていて、気が遠くなるようなその連なりに、自分も接続したいと願っている。
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