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雨の中、目黒川の大橋〜中目黒間と中目黒〜五反田間の染井吉野🌸を見てきた。まだ三分咲きから五分咲きくらいで、今週末は気温が下がるから、見頃は少し延びて来週末くらいかな? 今朝は五反田まで行ってから戻ってきたけど、その手前のかむろ坂は桜並木🌸だったので、そっちを通ってくればよかった。林試の森公園の西側の大きな広場は染井吉野🌸がぐるりと取り囲む。碑さくら通りの桜🌸はまだ三分咲きくらいだった。
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オーディブルは小松貴『裏山の奇人: 野にたゆたう博物学』が今朝でおしまい。
小松さんが敬愛する数少ない偉人としてアルフレッド・ラッセル・ウォレスと南方熊楠の名前を挙げたことに親近感を覚えた。鶴見良行と和子を通じてウォレスと熊楠を知った自分にとって、この二人は、いまも変わらぬ個人的なヒーローだ。
「最近、国内外で「科学」という言葉の重みをないがしろにするような出来事が頻発している。それらはいまの時代が金だとか出世欲とか、そういうものを科学に求める機運が高いことが原因の一つにあるように思う。そんななか、あえて「歩いて行ける距離の場所で、極力金を使わず、人の役に立たない生き物の研究をすることに心血を注ぐ」方向性は、時代にそぐわないかもしれない。しかし、日本の科学の歴史を紐解いてみれば、そんな方向性がそぐう時代がそもそもあったのか。産めよ増やせよと言われた昔の日本において、ただ「わかならいことをわかりたい」という基礎科学に対する社会の目は、いま以上に冷めたものだったかもしれない。そのような状況下でも、かの熊楠は私の理想に一番近いことをやり遂げた。
研究というものに対して、二言目には意義だ成果だということを要求するのが、いまの日本である。大きな研究プロジェクトというものは、ほぼ例外なくよそから支給される資金によって行われるから、社会的には無意味な研究をやっている者には誰も投資しないのである。それはまったく当たり前なことであり、私とて研究者として生きていく限りは、そのわだちから外れることは叶わない。私はこのあとがきを書いている時点で、国から任命された「日本学術会議振興会の特別研究員」という立場にある。その研究テーマは、もちろんアリヅカコオロギに関することだ。国からお金をもらって行う研究である以上、この研究には一定の意義を掲げている。成果も出さねばならない。「そんなことをやっても意味がない」の批判も、建設的なものならば受け入れる用意がある。しかし、それとは別に裏山で私が勝手にやる「役に立たない小虫の研究」は、金に頼らず、自分の手の内にあるリソースのみを使い、「わからないことを、わかりたい」好奇心それだけで行うものである。意義もへったくれもない。だから、これに対する「そんなことをやっても意味がない」の類の批判は、何人のものであろうとまったく耳を貸すつもりはない。私が、私の知識欲を満たしたくてやるのだから。そして何より、そうした研究のなかにこそ科学という言葉の本来持つ重みが隠されていると、私は思うのである」
組織に属さずフリーランサーとして長年生きてきた私は、在野の研究者という人たちに昔から憧れを抱いてきた。小松さんに限らず、昆虫学者に惹かれるのは、おそらく、そうした在野の精神みたいなものを体現する、現在では稀有な存在だからだろう。かれらの本を買い、読むことで、少しでもかれらの活動を応援したい。
引き続き、オーディブルは中川毅『人類と気候の10万年史』を今朝から聞き始める。ナレーションの声(男性)がやたらと艶っぽく、感情過多なのに違和感を覚え、いつもの1.4倍速よりもさらに速く、1.6倍速にしてようやくまともに聴けるようになった。セリフじゃないんだから、もっと冷静に、淡々と読めないものか。
スケールを思いっきり拡大・縮小することと、抽象度を上げ下げすることの知的営みはわりと近い気がする。時間軸(尺度)が違えば、物事のとらえたかも、それらがもつ意味もガラリと変わる。
「10年に1回の頻度で起こる災害なら、対策を立てることの必要性は明らかだろう。100年に1回の災害でも、人間の平均寿命をたとえば80年とするなら、人生の中でそれを経験する人のほうが多い。あるいは自分で経験しなかったとしても、事件は生々しい記憶として語り継がれている可能性が高い。
だが1000年はどうだろう。日本で1000年前としえば平安時代である。平安時代に起こった事件について、切実な教訓を受け継いでいる人はおそらくいない。同様に1000年後の未来は、今の私たちにとっては無縁とも思える彼方にある。次に起こるのは1000年後かもしれない災害のために、税金から巨額の対策費を支出し続けることに、999年間いちども文句を言わない覚悟がある人はおそらくいない。
さらに視点を変えると、1000年は人間にとっては非常に長い時間だが、地球の歴史の中では一瞬にすぎない。1万年に1回の災害は、1000年に1回の災害よりも甚大である。10万年や100万年に目を広げれば、それこそ「とんでもない」ことが起こる。そうした可能性のすべてを「想定」し、「対策」を立てることは現実的ではない。極端な例では、今からおよそ6600万年前、地球に巨大な隕石が落下し、恐竜を含む大半の陸上動物が絶滅した。そのような事件が近い将来ふたたび起こる可能性は非常に低いが、仮に起こると分かったとしても、有効と言える対策はほとんど存在しない。
地質学的な時間を視野に入れれば、「想定」と「対策」に限界があることは明らかである。10万年と数千万年の間のどこかに、私たちは現実的な線を引かなくてはならない。それをどこにするかは、究極的には哲学の問題であって科学の問題ではない。だが考察のための材料として、過去の地球でどのような「事件」が起こっていたのか、またそれらの事件が予測可能な性質のものだったのかどうか、知っておくことは重要である」
「年縞とは、1年に1枚ずつ形成される薄い地層のことである。そのような地層を1枚ずつ削り取るように分析していけば、何万年も前に起こった出来事であっても、その推移を1年ごとに詳細に復元することができる。言い換えるなら、当時の人が幼年期、青年期、壮年期、老年期にそれぞれどんな変化を感じながら生きていたか、年縞を通して知ることができるのである。年縞研究の発展により、地質学は人間の時間との接点を手に入れた。これをブレークスルーと表現したとしても、決して誇張にはならないと個人的には思っている。
年縞堆積物は世界の各地で見つかっており、年縞研究者の国際的なネットワークも存在する。だが、もっとも長く連続した年縞堆積物、いわば年縞のチャンピオンが日本にあることは、一般にはあまり知られていない。
1991年の春、福井県の若狭湾岸にある水月湖という湖で、良質の年縞堆積物の存在が確認された。さらに1993年の調査では、地下の硬い岩盤に達する大深度の掘削がおこなわれた。その結果、水月湖の年縞は45メートルもの厚さを持ち、7万年以上もの時間をカバーしていることが明らかになった」
「2006年の夏、私たちの研究グループは水月湖から最高品質の年縞堆積物試料を採取し、詳細な分析をおこなった。2012年には、水月湖の年縞に基づいた「年代の目盛り」が地質年代の世界標準に認定され、翌2013年からはじっさいに目盛りの運用が始まった」
「こうして水月湖の年縞は、「世界一正確な年代が分かる堆積物」としての地位を確立した」
「年代の目盛りは、長さを測る「ものさし」に似ている。ものさし自体は単に長さを測る道具にすぎず、即座に何かの価値を生み出すわけではない。正確なものさしが真価を発揮するのは、そのものさしで作った精密な機械が稼働を始めるときであり、正確な測量に基づいた地図が宝のありかを示すときである」
「私たちが探したかった宝物とは、過去の気候変動の証拠である。年縞堆積物の中にはいろいろな化石や鉱物が含まれていて、過去に起きた気候変動について知るための有力な手がかりになる」
「水月湖では、地質時代に「何が」起きたかだけではなく、それが「いつ」だったのかを世界最高の精度で知ることができる。タイミングが正確に分かるということは、変化のスピードや伝播の経路が正確に分かるということでもある。スピードと経路が分かれば、気候変動のメカニズムにまで切り込んで考察することができる。メカニズムが分かれば、より正確な将来予測にもつながっていく。水月湖研究の裾野は広い」
20世紀の100年で北半球の気温はおよそ1℃上昇した。たった1℃?
「年平均気温の1℃は、日々の変化の中の1℃とは意味が違う。元日から大晦日まで、1日の例外もなく温度が1℃高くなったときに、ようやく達成されるのが「平均1℃」の上昇である。もし平年と変わらない日が6日間続いたら、7日目には平年より7℃も高い日がないと、「平均で1℃上昇」の傾向からは取り残されてしまう。週に一度とはいえ、平年を7℃も上回る日があれば、その変化は生活の中で実感することができる」
100年単位のスケールで気候モデリングを実施すると、20世紀にはおよそ1℃上昇し、21世紀には数℃(最大で5℃)上昇すると予測されている。だから人為的な「温暖化」が危惧されているわけだが、5億年というスケールで見ると、地球の気温は上下10℃の幅でつねに変動し続けていて、現代はむしろ寒冷な時代であることがわかる。もう少し細かいスケールでみると、現代は氷期が終わったあとの温暖な時期に属しているが、それでも北極と南極には夏でも消えない氷がある。しかし、本当に温暖な時期(たとえば1億年前から7000万年前)の地球は今よりはるかに暖かく、両極に氷床は存在しなかった(ゆえに、海水面はいまよりもはるかに高かった)。とはいえ、海水が沸騰してしまうほど暑くなることはなく、温暖化には上限があると考えられる(温暖化→生態系の爆発→光合成がさかん→CO2濃度が減少→温室効果が薄れることが原因かも)。
もう少し短く、500万年というスケールで温度変化を見てみると、およそ300万年前から寒冷化が進行している一方、さらに短く、80万年というスケールで見ると、氷期の期間が長く、およそ10万年ごとに温暖化=間氷期が繰り返されていることがわかる。このような周期的な気候変動は、地球の公転軌道が厳密な円ではなく、わずかに楕円形になっていることが原因とされる。軌道が扁平な時代は温暖期になり、軌道が円に近づくと氷期が到来する。地軸の向きや傾きもそれぞれ独自の周期で規則的に変動していて、それも含めて、軌道要素と気候変動を結びつけて考える理論を「ミランコビッチ理論」という。
10万年単位のスケールで見れば、地球は氷期に向かっているとされ、100年単位のスケールで見れば、地球は温暖化しているとされる。おそらくどちらも正しいのだけど、
「むしろここで強調したかったのは、寒冷化と温暖化という正反対の学説が立て続けに提唱されたにもかかわらず、そのどちらもが同時代の人々の目に「本当らしく」見えたという事実についてである。私たちの直感は、時として驚くほど脆弱な根拠の上に成り立っている。学説の寿命は、データの寿命に比べて一概にひどく短い。それでも私たちは、提示される説に対して自分なりの意見を持ち、どのような「対策」が妥当であるかを考えなくてはならない。
言い換えるなら、私たちが日々の経験を通して鍛え上げている、天気予報に対するときの信頼と距離感のバランス。それと同じものを、気候の将来予測についても養っておく必要がある。そのためには、「これまでの傾向が今後も続く」と考える線形モデルも、「二度あることは三度ある」と考える周期的なモデルも、おそらく直感的にすぎる。では、どうすればいいのだろう」
以上が第1章「気候の歴史をさかのぼる」。
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