阿寒に来て1ヶ月過ごした感想。を一言で表すなら、生きている感があってよい。
コンビニとホームセンターとガソリンスタンド以上の生活インフラは無い。毎日マイナス2桁。凍傷になりかけた足の指先が疼く。毎日鹿とぶつかりそうになる。人が少ない。
生活は多少大変だけど、それはいい事で。生活のシステムが単純なので、ブラックボックスが全然ない。自分で生きている感が強い。全くマイナスのニュアンスがない「諦め」。(たとえば、灯油が切れたら寒い。けどガソリンスタンドは19時で閉まっている。ので隣の上司の家に暖まりに行くか、シュラフに包まって寝るかしかない、とか) 北の国からを見た都会人が「羨ましい」と感じる何かがここにはある。
函館をモチーフに、空想上の冴えない北海道の田舎町の人々を書いた「海炭市叙景(佐藤泰志)」という本。こっちに来てから再読したが、以前よりも親近感を感じたし、ずっしりとした読後感があった。
僕の1日:
7時起床
8時出勤、森林でちょっとした肉体労働をこなし、17時帰宅
夜は釧路でボルダリングか家で読書、週1で温泉
週末はだいたい自然遊び
すばらしい。他人と比較する事じゃないけど、首都の人を見たり話を聞いたりすると、やっぱり自分はそこでは生活できないなあと思う。
就職活動は自己分析ってのが一番大事らしいけど、まあまあうまくいったんじゃないだろうか。
明日はとうとう購入したスキーをもって、何年かぶりにスキー場に行きます。
「生きている感がある」という言葉、わかる気がします。
便利な場所で生きてると「生きてる感」は感じられません。生活の知恵とかも必要じゃないし。ボーッとして生きてられます。
生きてる実感があるような時間の使い方をしたい、と思いながらもう何年経ってしまったことか。北の国からを見て、いいなと思った一人は間違いなく私。
いいなと思うこと実際はそんなに甘くないという気持ちのせめぎ合い。
残された時間をどこでどう過ごすのかと自問してる私です
自分も首都圏で生まれ育ったからこそ、このような考え方になったのかなとも思います。
とはいえ、知りたいことがあればネットですぐに調べてしまうし、欲しいものはアマゾンで2日後には届くし、逆に無理しないと生きている実感の得られる暮らし方はし辛く、どうしても楽な方、均質的な方に流れてしまいますね。
昨年末、自転車で横濱〜日本橋を走ってみた際に思ったのが都市生活者が如何に環境負荷高く暮らしているかの想像でした(暮らしたことが無いのであくまで想像の範疇ですが)。
「清々しく」「生き生きと」生きることの意味や重さを寒さが教えてくれる、でしょうか?
薪ストーブを導入されると、更に体感が増すものかと。
私は高校まで川崎横浜で育ちました。が、もはや都市での消費と変化の速度にはついていけません(急におじさんみたいですが)。
この土地に来て、「自然」という言葉を自然に使わなくなりました。「自然」が求めるものではなく、そこにあるものになったところに、暮らしの健康さを感じています。
この時代に官舎に薪ストーブ設置、なかなかハードル高いです。。ただ、森林相手の仕事に就いておきながら石油燃やしているのもなんだかなと思うところです…。
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