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先日その「ヤオロの窓」を通過した際、あろうことか針金と蒲鉾板のような板で作ったお手製の看板があった。正確にはハイマツに針金と板の半分がぶら下がっていて割れた半分が転がっていた。
山に案内看板や山頂看板を設置するには、そこを管理する組織、ここであれば営林署や環境省に申請する必要がある(はずだ)。だから大抵は管理主体の営林署や環境省が自ら設置するか、市町村や地元山岳会が申請して、設置団体の名前かなんかを入れて設置している。この看板に関してはどう考えてもそういうプロセスは踏んでいない。もし正規のプロセスを踏んで許可されているのであれば国のセンスを疑うところだ。で、本質はそこじゃない、何が言いたいかと言うと、
あえて言う。まじで醜い。
いわゆる自己承認欲求や自己顕示欲の現れなのだろうか。どうやらパンケヌーシ岳やパンケヌーシ岳南峰(なんだそれ)にも同様の看板あるらしい。日高が国立公園になって、こういうことが起こるのが一番嫌だった。
その「ヤオロの窓」とやらはテメエに言われなくとも「ヤオロマップ右沢源頭が稜線に当たるところ」という目を引く地形だ。もともと。日高は無名峰、無名沢が美しいし、何もない(全てある)ことが日高らしさだと私は思っている。昔の楽古岳と神威岳の看板だけはその個性も含めて良いと思う。
今回この看板は周辺の見苦しいピンクテープと合わせて回収して、薪にしました。
本当はこんなしょうもない話はしたくない。誰がどう登ったっていいし、それが日高だとおもう。山のあり方についてあれこれ言うなんて山に対して烏滸がましいことこの上ない。
だけど私は日高が大好きなんですわ。
自然の中で遊ばせてもらう身として、できるだけ痕跡(特に人工物)を残さないようにしようという心意気が重要かと思っています。後世の人も、我々の時と同じ自然状態の山を楽しめるように。
心意気っていい言葉だね。
いいものを後世に伝えようなんてのもエゴだと思う。人間いつからそんなに偉くなったの?って感じだし、後世のセンスに任せりゃいい。
跡を残さない、フリークライマー・フリー焚火ストたれ!
そういうふうに思う人ももちろんいると思う。もし設置した人がこれを読んだらたぶん嫌な気持ちになるし。けど勝手に設置すんのはダメでしょう。だから俺も勝手に撤去したまで。
あと薪棚に積んだけで燃やしてはないよ。(まだ)
自分だったらどうして設置したのか聞こうとしてみるけどなぁ。
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