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大変懐かしい昔の話をしばし。
1975年、私は小学生で、長野市飯綱の少年スキー集団で、競技スキーを始めていました。
当時のトップは、グスタボ・トエ二、ピエロ・グロスのイタリア勢、ステンマルクはまだ十代で次代の黄金期を迎える前、オーストリアの技術系は、俳優のような容貌ハンス・ヒンターゼア、海和選手が回転で13位になって、第一シードへの道を進み始めた大会になった。 事など思い出しました。というより、きっちり覚えていて驚きました。
この後、富良野や雫石でスピード系のWCUpや世界選手権などが開かれ、1998年の長野オリンピックに向け、志賀高原で男女のWCUP、最終デュアルスラロームが焼額で開かれるなど、私の大学時代は、バブル絶頂、プリンスー国土計画系のスキー場は全国に数多あり、スキー全盛時代でした。
土日の衛星放送を見ていて、日本の湿雪への技術的な対処に苦しむトップの姿がありましたが、当時、日々WAXの技術が進化して、すごく複雑なシステムが構築されていったのも覚えています。
時は過ぎ、板の長さも変わり、自分の嗜好も変わって、硬いバーンよりフカフカを
好むようになって、昔、理解出来なかったスキー場から上のエリアへ行くようになって。。。
妄想と共に、季節外れの春の嵐の週末を家で過ごしました。
スキー板、昔の方が高価だったので、捨てられません。
並べると6畳の部屋の壁が塞がるほど蓄えています。。。
写真1
右から YAMAHA GS用 205cm 25年前の板
OGASAKA GS用 170cm カービング
ATOMIC ツアー用 センター 97mm幅 172cm
ATOMIC パウダーロッカー センター幅 117mm 179cm
小賀坂のGS用片足1本は ツアー用2本よりずっと重いです。
写真2 2/11 WCUPを迎える苗場の様子
メーター5 技術選の森さんとかが総合格好で使っていた板ですかね?
懐かしいです。
突然にコメントすいません。
スルーしてください。
こんにちは。
良くご存知ですね。
技術選に アルペン、Wcup出場経験者が 出て
流れが変わって行く時代でしたね。
ビンディングは今でも普通に使えますね。
205、とても今では履ける気がしません。
技術、体力も違うし。
昨日の苗場WCUP はTVで見てましたが、難しいコンディションだったようですね。
私の記憶では、やはりトニーザイラー、猪谷千春の時代に戻ります。
今回懐かしいスキーヤーの名前を思い出しました。しかし、競技スキーをやっていないのでそれ程詳しくは覚えていません。
それより、無名沢&ガラガラ沢の動画・・最高のパウダーだったのですね。何度か無名沢や八方押出を滑っていますがこんなパウダーで滑ったことがないので羨ましい限りです。
bumpkin さん こんにちは。
この週末の暖かさで 八方の具合はどうなったでしょうか?
リセットされたと思いますが、bumpkinさんの
レコ見て、しばらくしてから、また 行きます。
ここ数年、1シーズンに1回は、無名沢、ガラガラ沢でパウダーに会っているんですが
先日は、ディープで、私も初めてでした。
Video見て、分かったんですが
やや重いと感じたのは、先端スプラッシュなほど 深かったんですね。
こんな時は稀ですけど、やはり 狙いに行きますね。。。。
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