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大正生まれで昭和初期からSLに傾注し、旅先で寄り道をしては写真を撮り、伝手をたどって大宮機関区や梅小路機関区を訪れ、蒸気機関車の運転席に乗せてもらったりしていました。
伯父の家に行くと、たくさんの写真と共に、蒸気機関車の重たいナンバープレートや真鍮の安全弁などが飾ってあり、嬉しそうに由来を説明してくれました。
来宅した時には、父親(弟)と楽しそうにSL談義をしており、
「停車した蒸気機関車の左右のピストンがちょうど上死点と下死点に来て、クランクが一直線になると蒸気機関車は始動できなくなる。これを防ぐため、左右の動輪のクランクピンは90度の位相をとっている」
などと専門的な話をしていました。
私が蒸気機関車を初めて意識したのは、小学生の夏休みに父と大糸線に乗って白馬岳を目指した時です。
大町から蒸気機関車の引く列車で白馬駅(当時は信濃四ツ谷?)まで行きましたが、途中トンネルにさしかかると前方の客車から窓を閉める音が近づいてきます。私達も急いで窓を閉めますが、それでも車内には煙の臭いと熱気があふれました。
その後も山登りに出かけると、ローカルな路線にはまだSLが走っている時代で、乗り合わせたときには、伯父から聞きかじった小ネタを仲間に披露したりしました。
私自身はSLマニアではありませんが、煙を吐き喘ぎながら登り勾配を走る蒸気機関車の姿や、雪の夜に操車場に響く汽笛を聞いて、生きている蒸気機関車に畏怖を感じました。
伯父が亡くなって30年以上経ちますが、時おり遺品のSL写真を眺めては、多趣味だった伯父を偲んでいます。

【写真1】C62重連 【写真2】1号車揃い踏み(C62、D60、D52)
自分は鉄道大好きでひょっとすると山登りより汽車が好きなのかも知れない鉄道ファンです
C62の重連は函館本線の急行ニセコですかね? 雪景色の峠を白煙あげながら旧型客車を牽引するお姿は写真を見てるだけでも迫力満点です! トップナンバー揃い踏みも貴重な写真ですね
自分は下関生まれですが、物心ついたころにはSLはほとんど引退。。。 梅小路でズラリと並んだSLを初めて見たときには”これ本当に走ってたの?”と思ったりしたものです。 数年前にD51が牽引する”SLやまぐち号”に乗車する機会がありましたがホント凄い迫力でした。
貴重な写真を見せていただきありがとうございました
はじめまして コメントいただき、ありがとうございます。
C62重連の写真は確信はありませんが、函館本線のようですね。
1992年の夏に旅行先の小樽駅ホームで、たまたま見たC62 3号車の大きさに、子供たちは圧倒されていました。
汽車が大好きとのこと、現代では観光列車以外では実走している姿は見られませんね。
昔NHKの番組で、老朽化SLを解体修理して元の動体に戻す作業の映像が放映されました。
旧国鉄時代OBの残した記録ノートなどを参考に動輪の車軸を抜いて修理していましたが、保守用の機械や技術も後継者に継承できなければ消えてゆき、SLを走らせることも出来なくなるだろうとの事でした。寂しい話です。
まだ乗れるうちに汽車に親しんでください。
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