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日記

カテゴリー「昔の記憶」の日記リスト 全体に公開

2024年 04月 06日 23:17昔の記憶

初めての花見

今年も桜の季節が到来し、何となく世の中も浮き立っています。🌸 私には、小学生の頃に初めて自分で花見に出かけた記憶が、かすかに残っています。 母親に頼んで弁当を作ってもらい、友達を誘って近くの里山にある桜の木へ出かけました。 春の日射しの下、道から少し
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2024年 02月 29日 10:57昔の記憶

元祖SLマニア

私の伯父はSL(蒸気機関車)マニアの元祖のような人でした。 大正生まれで昭和初期からSLに傾注し、旅先で寄り道をしては写真を撮り、伝手をたどって大宮機関区や梅小路機関区を訪れ、蒸気機関車の運転席に乗せてもらったりしていました。 伯父の家に行くと、たくさんの写真と共に、蒸気機関車の重たいナンバープ
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2023年 12月 25日 11:43昔の記憶

年末の丹沢にて(追憶)

毎年正月が近づくこの時期になると、高校山岳部時代の丹沢ミニ合宿を思い出します。 12月25日に雪のちらつく寄から入山、雨山峠を越えてユーシンに入り、熊木沢出合いにBCを設けました。 日記の「背負子の記憶 2021.10.15」でも触れましたが、1年生の私は部室に眠っていた重たい冬用テントを背負子
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2023年 10月 25日 22:36昔の記憶

漫画との出会いと歩み

(タイトル通りで、山の話題ではありません) 私と漫画との出会いは小学校低学年の頃で、東京下町にあった祖父の家でした。 薄暗い小部屋の本棚にあった戦前の漫画本で、田河水泡の「のらくろ」や「凸凹黒兵衛」などを見つけ、引っ張り出して読みました。 吹き出しの文字は「旧仮名づかひ」でしたが、全ての漢字に
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2023年 10月 11日 09:47昔の記憶

亜麻仁油(アマニ油)

近年、亜麻仁油が健康食品やドレッシングとして活用されていますが、私は食指が動きません。理由は高校時代に所属した山岳部の部室にあった缶入りの亜麻仁油と匂いにあります。 亜麻仁油は、ピッケルの木製シャフトや麻のザイルに保護剤として塗るために置いてありました。 部室内は、ザイルに染みこん
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2023年 08月 09日 18:24昔の記憶

オニヤンマ(夏の思い出)

私が子供の頃住んでいた谷戸は、まだ自然が豊かで小川も流れており、昆虫などの生き物も豊富でした。 また田圃もあったので蛙や蛇も当たり前のように生息していました。🐸🐍 そんな環境で、子供の私が夏に憧れたのは「オニヤンマ」でした。 他のトンボ(シオカラやムギワラな
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2023年 06月 27日 22:04昔の記憶

何となく嫌な感じ

はじめにお断り、写真はタイトルと関係ありません。 山を歩いていて「何となく嫌な感じ」を感じることがありました。 具体的に何がどう嫌なのかは説明できない「感覚的」なものです。 街中の日常生活でも感じることはありますが、発生頻度は圧倒的に山の方が多く、大自然と直接向き合う登山中の方が、原始的な
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2023年 04月 27日 14:48昔の記憶

紙芝居の記憶

私が幼少期を過ごした、袋小路の谷戸には色々な引き売りがやって来ました。 毎朝自転車でやって来る納豆売りのおじさんから、納豆を買ってくるのは私の役目でした。🚲 「ナット、ナットーッ!」という売り声を聞いてからお金を預かり、ゆっくり靴を履いて道へ出ても、谷戸の奥まで行って戻ってくるの
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2023年 04月 06日 10:46昔の記憶

子供時代の遊び

山の話題ではありません。 私の子供時代は、ガキ大将のお兄ちゃんを頭に、小学校高学年から低学年までが一緒になって谷戸の野山を駆け回って遊んでいました。 ガキ大将は腕力だけでなく、年下の子供たちの面倒や隣町のグループとの遊び場の調整なども担っていました。 女の子たちはゴム跳びや
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2023年 03月 07日 18:00昔の記憶

アルバイトあれこれ(長〜い備忘録)

近年ネットを通じて若者が振り込め詐欺のかけ子や出し子などの犯罪に、アルバイト感覚で手を染めるケースが報道されます。 集団強盗の実行役などは論外ですが、捕まれば一生犯罪者の汚名を着るという想像力が働かないのでしょうか。 私は学生時代に様々なアルバイトを経験しました。
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2022年 12月 30日 23:07昔の記憶

忘れられない正月(高校時代)

高校当時ラグビー部に所属していた私は、毎年元旦には恒例行事のOB戦があり、大晦日には午後から軽い練習のあと翌日のグランド整備などを行いました。 夕方帰宅すると中学時代の友人から誘いの電話があり、友人宅に集合して日付の変わる頃に地元の神社に初詣に行き、その後夜明け前の市街を抜け、隣町の海辺の公園へ初
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2022年 12月 16日 14:37昔の記憶

コンテナ船にて(冬の北太平洋)

以下長文ですが、山の話題は山名(シシャルディン “Mt.Shishaldin”)一つだけです。 私は縁あって過去にコンテナ船(全長220m、31,000t)で太平洋を往復したことがあります。 11月下旬に東京大井ふ頭から乗船し、北米西海岸LA、SAへ寄港して12月下旬に神戸で下船するまで荷役
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2022年 11月 30日 11:10昔の記憶

赤外線フィルム

私は学生時代の一時期、赤外線(感光)フィルムをよく使いました。 カラーフィルムは値段が高く、技術の無い私が漫然と撮っても思ったような発色は得られなかったからです。 モノクロで良いからコントラストの強い写真が撮りたくて、赤外線フィルムにたどり着き、赤外線フィルターとフィルムで山の写真を撮っていまし
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2022年 11月 16日 06:56昔の記憶

トーハクの思い出

今、東京国立博物館(トーハク)では創立150年記念の特別展が開催されていますが、私にとってトーハクは何故か昔から縁のある博物館です。 私が中学生になりたての頃、祖父に連れられて行った「インド古代美術展」が初めての入館でした。 インドの古代遺跡からやって来た豊満で写実的な女神像に、当時の私はドキド
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2022年 11月 07日 22:42昔の記憶

晩秋の箱根にて(切羽詰まって) 1950年代

私がまだ小学校低学年の頃、父親と二人で晩秋の箱根へ日帰りで遊びに行きました。 休日にゆっくり家を出て小田原からバスに乗り、大涌谷で下車して付近を散策した後、落ち葉の積もった山道を芦ノ湖畔(たぶん湖尻)まで歩きました。 道中父親と何を話したか覚え
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2022年 10月 16日 00:29昔の記憶

脳内BGM(イヤーワーム)

まだ若く足しげく山に通っている頃、単調な林道を歩いている時などに、無意識に頭の中でBGMが鳴っていることがよくありました。 私の場合、「悲愴」第三楽章の一部やミュージカル「ヘアー」のLet The Sunshine Inなどがエンドレスで繰り返していました。(その後時代と共に変化) [[audio
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2022年 10月 05日 14:06昔の記憶

霧笛(霧信号所)の記憶

最近知ったことですが、灯台に併設されていた霧笛(霧信号所)は、2009年度末までに全て廃止されました。GPSやレーダーの普及にともない、視界の悪い濃霧や吹雪の中でも船舶の測位が可能となったためだそうです。 1990年夏に家族で北海道をキャンプ旅行したときに、浜中町の霧多布岬キャンプ場に一晩泊り
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2022年 09月 15日 15:37昔の記憶

山の歌

高校入学と同時に山岳部に入部し、始めに渡されたのはガリ版刷りの歌集で、内容は「山男の歌」や「雪山賛歌」など山の歌を集めたものでした。 テントの張り方やストーブの扱い方などと並行して歌唱指導 もあり、校歌や応援歌よりも先に山の歌が歌えるようになりました。 トレーニング山行の
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2022年 08月 22日 18:25昔の記憶

海の記憶

真夏の海辺から見る沖のヨットは、いかにも涼し気に見えますが、実際はそうでもありません。 海の上は木陰など無く、特に小型のヨット(ディンギ)では、風が落ちるとひたすら風を待って直射日光に晒されることになります。 海水を掬って頭にかけたり、少しでもセールの日陰になるよう艇をヒール(傾ぎ)させたりしま
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2022年 08月 10日 14:20昔の記憶

初めての富士登山

私の初富士登山は小学校4年生の夏休みでした。 父親の勤める会社のレクレーションで、土曜日の午後にバスを仕立てて東京から河口湖へ向かい、船津口五合目から夜道を八合目まで登って山小屋で仮眠、翌朝山頂でご来光を拝み、お鉢周りをして船津口へ下山しました。 その時代はまだスバルラインは
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2022年 06月 16日 06:58昔の記憶

ヤマユリ

散歩コースのがけ地斜面に、この季節になるとヤマユリが咲き、独特の強い香りを発しています。 大きな株になると、一株にたくさんの花をつけるユリですが、このがけ地では岩にしがみついて咲いているので数輪が限界のようです。 子供の頃、春先に近くの里山から、芽を出したヤマユリの株を掘ってきて自
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2022年 06月 06日 11:52昔の記憶

雨の山行

昔の記憶をたどると、梅雨時はどうしても山で雨に降られることが多くありました。 「雨の風情を楽しもう」と覚悟して出かけても、カッパの中でたっぷりと汗をかき、最後は靴の中までずぶ濡れでみじめに下山することもありました。 やっと来た帰りのバスに乗り込むと
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2022年 04月 25日 17:41昔の記憶

鯉のぼり

ゴールデンウィークが近づくと山岳道路の除雪や雪の回廊、山小屋の営業開始と小屋に泳ぐ「鯉のぼり」などがニュースに取り上げられます。 私の子供時代は五月の節句が近づくと、庭に鯉のぼりを立てる家が沢山ありました。 しかし、我が家では立ててもらえず、よその家の鯉のぼりを羨ましく眺めていました。 :-
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2022年 04月 19日 10:39昔の記憶

山菜「タラの芽」のこと

大学生の時、ゼミ教授のお供数人で信州へ研究試料採取に出かけ、山奥の伐採地へ入るため、営林署の施設に宿泊させてもらいました。 賄いのおばさんが晩飯に出してくれた山盛りの天ぷらが美味しく、何の野菜かと聞いたら「タラの芽」とのことで、調理前の実物を見せてくれました。 翌朝営林署のマ
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2022年 04月 11日 10:01昔の記憶

春スキーの思い出(1960年代〜1970年代)

私は、高校時代に山岳部からラグビー部に移籍してからも、練習や合宿の合間に友人と山やスキーに出かけていました。 高1の春休みに友人達と八方尾根に出かけ、知人が経営するヒュッテに泊って、節約のために行動食を持って兎平や黒菱ゲレンデへ上がり終日過ごしていました。 まだバックカントリースキーという言葉は
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2022年 03月 15日 18:10昔の記憶

日当りの縁側にて(幼年時代の記憶)1950年代

一気に時代を過去へ戻します。 写真は赤子の私を連れて両親が越して来た、谷戸の古家の縁側です。 人の記憶は不思議なもので、父のアルバムを整理していてこの写真を見つけた瞬間、「ジョン」という犬の名前が記憶の底から浮かび上がって来ました。 母の話しでは、ジョン はご近所の飼い犬で、よ
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2022年 02月 22日 12:06昔の記憶

最後の丹沢ハイク(鍋割山から塔、表尾根)2003年12月

家内の友人を案内して鍋割山から表尾根を歩いたのが、私の最後の丹沢ハイクになりました。 12月中旬に大倉から二俣、後沢乗越を経由して鍋割山へ登り、鍋割山荘に1泊、翌日は塔の岳から表尾根を歩き、烏尾山から水無川へ下って大倉へ下山しました。 2日間とも晴天に恵まれ、夕日や夜景、ご来光も堪能してもらえま
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2022年 02月 18日 13:57昔の記憶

丹沢大山北尾根(樅の巨木を訪ねて)2002年3月

この頃になると娘も忙しく、なかなか山には付き合ってもらえませんでした。 大山北尾根の樅の巨木に逢いたくなり、久しぶりに娘とヤビツ峠から大山に登りました。 この時代には山蛭の被害が広がり始めており、ヒル活動期前の3月に出かけました。 山頂の無線中継所の裏から北尾根に
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2022年 02月 14日 09:42昔の記憶

涸沢から奥穂(パノラマコース下山)2000年夏

私の心臓が登山に耐えるうちに娘に涸沢を体験させてやろうと思い、2000年の夏山に涸沢から奥穂を選びました。 上高地から横尾経由で涸沢に入り、涸沢ヒュッテに2泊して2日目に奥穂をピストンし、3日目にパノラマコースを通って新村橋経由上高地へ下山しました。 奥穂ではソロの関西のご婦人と知り合いになり、
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2022年 02月 07日 15:24昔の記憶

再び槍ヶ岳(西鎌尾根より)1999年夏

前年は私が急性心筋梗塞で手術をし、術後の経過観察とリハビリのため山には登れませんでした。 この年6月にそれまでのリハビリ結果を試すため丹沢畦が丸 に登り、ダメージの残る心臓でもある程度なら登山に耐えることを確かめました。 そこで娘の希望もあり、夏山はま
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2022年 02月 02日 12:20昔の記憶

急性心筋梗塞 〜それは突然やって来た〜 1998年6月

自己紹介でも触れていますが、私は1998年6月に急性心筋梗塞を発症し、駆け込んだ病院で緊急手術の結果一命を取り留めました。けれども心臓にはダメージが残り、数年後に山登りをリタイアしました。 ご参考までに私の体験を記しますが、医学的専門知識の無い素人の記憶と主観ですから、表現内容に責任は持てません。
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2022年 01月 28日 07:27昔の記憶

北岳 1997年夏

前年の槍ヶ岳に続き、夏山(アルプス)イベントとして娘と北岳に登りました。 まだ広河原まで車で入れる時代で 、夜道を走って広河原で仮眠、大樺沢から草すべりを登って肩の小屋で1泊し、翌日山頂へ登って草すべりから白根御池小屋経由で下山しました。 肩の小屋か
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2022年 01月 24日 21:59昔の記憶

槍ヶ岳(東鎌尾根より)1996年夏

前年の約束を果たすべく、1996年夏に娘と二人で槍ヶ岳へ登りました。 家族で安曇野へ旅行 した後、私と娘は山へ入り家内と息子は帰宅しました。 穂高町より入山し、一の沢、常念乗越、大天井岳、西岳、槍と縦走し、槍沢を下って上高地へ下山しました。 娘は槍がとても
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2022年 01月 18日 09:24昔の記憶

娘と富士登山 1995年8月

この年、娘の希望で夏休みの最後に富士山 に登ることにしました。 表富士新五合目まで車 で上がり登山開始、山頂で1泊してご来光を拝み 、反時計にお鉢周りをして下山しました。 2日間とも天候に恵まれ、1日目には訓練なのか米軍の兵士たちが、
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2022年 01月 13日 11:24昔の記憶

子供達のアルプスデビュー(薬師岳)1995年夏

下の娘も中学生になり、子供たちは夏休みに薬師岳でアルプスデビューをしました。 車で折立まで入り BC(大げさ)を設営してキャンプを楽しみ、太郎小屋にも1泊して薬師を往復しました。 登山初日は太郎小屋に到着後北ノ俣岳まで散策し、2日目に薬師岳を往復して
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2022年 01月 09日 14:32昔の記憶

ワカンの思い出(余談)〜松本駅のタテカン〜

1965年3月柳沢峠から笠取山へのアプローチに失敗して塩山へ下山(日記2021.12.29)した私は、予定した日数が余ったので、雪の北アルプスを眺めようと列車で松本へ移動しました。 夜中に松本駅へ着き、当時の薄暗い待合室でシュラフにくるまって朝を待ちました。 駅を出ると大き
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2022年 01月 05日 10:07昔の記憶

我が家の丹沢ハイク(1993年〜2000年頃)

自宅から気軽に日帰りできて登りごたえのある丹沢の山々は、ファミリー登山にも最適で、我が家では夏山に向けたトレーニングを兼ねて、4月から5月頃によく出かけていました。 当時まだ林道の進入規制もゆるく、殆どの山は工夫すれば車でアプローチして周回コースを引くことが可能でした
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2021年 12月 29日 08:23昔の記憶

ワカンの思い出と半世紀ぶりの再会

1965年3月、秩父主脈へ三峯神社からアプローチして雪に阻まれ敗退しましたが(日記2021.10.6)、芦峅ワカンを手に入れ、数週間後に性懲りも無く、柳沢峠(標高1472m)から今は廃道となった斉木林道を使って笠取小屋を目指しました。 南北に延びる尾根の等高線沿いに徐々に高度を上げる林道ならば、多
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2021年 12月 23日 10:32昔の記憶

北海道オートキャンプ(ふたたびリベンジ)1992年夏

2年前のハードな北海道キャンプの反省から、平成4年(1992)に再び家族4人で12日間の北海道キャンプに出かけました。 今回は前年に購入したかまぼこ型テントをベースにして、日帰りで周辺を観光することにしました。 東北道を走り抜け青森から函館へ渡り、長万部公園3泊、層雲峡3泊、ハ
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2021年 12月 21日 07:19昔の記憶

北海道オートキャンプ(20年後のリベンジ)1990年夏

ファミリーキャンプ始動から3年経ち、家族がキャンプ生活に慣れたところで、学生時代の北海道貧乏オートキャンプ(2021/09/27日記「私のオートキャンプ事始め」)をリベンジすべく、20年後の平成2年(1990)夏に家族4人で2週間かけて北海道を回りました。 私が転職してフリーにな
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2021年 12月 16日 17:00昔の記憶

ヨットとのかかわり 1988年頃〜近年まで

学生時代(70年代)に友人に誘われて始めたヨットでしたが、私の場合、登山やキャンプはどちらかと言えば個人的な閉じた趣味で、ヨットは共有している艇を中心に、メンバーが家族を含め交流を深めるオープンな場でした。 【写真1 新年会で】 この頃(1988年)になるとオリジナルメンバーは皆働き盛りで忙し
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2021年 12月 09日 17:25昔の記憶

アイゼンの記憶

冬山シーズンが始まっていますが、私が初めてアイゼン(もどき?)を履いたのは小学生の時で、場所は父親と登った白馬岳大雪渓でした。 白馬尻で鉄樏(カナカンジキ)という鉄製4本爪の金具を靴底に縛り付けてもらい、石突に鉄の矢じりが付けられた金剛杖も買って雪渓へ降り立ちました。 大雪渓を滑る
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2021年 12月 03日 17:41昔の記憶

ファミリーキャンプ始動(1987年〜)

子供たちを野外生活に慣れさせるため、はじめは日帰りでの磯や川遊び、ハイキングで楽しさを教え、次に泊りのファミリーキャンプを始めました。 車 での行く先は勝手のわかる丹沢周辺で、川遊びや軽い登山のできるところを選び、キャンプ用具も初めは山の道具を流用していました。 家族がキャンプに
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2021年 11月 29日 17:30昔の記憶

アウトドアへの回帰(硫黄岳 1986年)

下の娘が3歳の時に家内の友人が主催した八ヶ岳親子サマーキャンプに参加しました。 泊まっていた夏沢鉱泉から散策に出たら、娘は自力で硫黄岳 まで登ってしまい、これならいけそうだと翌年から家族での野外活動を活発化しました。
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2021年 11月 26日 23:31昔の記憶

背負子ふたたび (1984年頃)

子供が長男一人の時はベビーバギーに乗せて出かけていましたが、二人になり里山ハイク などで下の娘を背負うため、不用品交換でアルミフレームのベビー用背負子(ショイコ)をもらい受けました。 使ってみると長時間背負って歩くのには便利ですが、頻繁に着脱するには手間がかかり、あまり出
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2021年 11月 22日 22:12昔の記憶

結婚ブーム(1975年頃〜)

私も含め数年の間に友人達が次々に結婚 しました。 DINKS時代は家内と互いの休暇を調整して旅行やスキーに出かけていましたが、山行の方は低調でこの時期に二人で登った高山は富士山 と薬師岳くらいでした。 また、子供が生まれて暫くは山やスキーは休業し、もっぱら公
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2021年 10月 29日 13:45昔の記憶

社会人になって(野呂川林道)1973年11月

社会人になり、数か月の工場研修の後会社の独身寮に入りました。 当然の事ながら学生時代とは異なり、休日や時間の制約が多く、更に山行からは遠ざかりました。 ある時無性に山が恋しくなり、車で11月の夜道をとばし 、夜叉神トンネルを抜けて夜明けの白根稜線を眺め、広河原
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2021年 10月 26日 21:49昔の記憶

山から街へ(1971年頃〜)

学生時代に家内と交際が始まり、私の余暇の過ごし方は多様化しました。 山行回数は減って二人で行く山もハードな縦走からソフトなハイキングへ変わり、時にはヨット仲間と海で遊び、コンサート などへも出かけました。 アルバイトで稼いだ資金で周遊券 を買い、「カニ族」
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2021年 10月 21日 22:15昔の記憶

ラグビー部へ(1967年)

高校山岳部時代の放課後は、陸トレで川の土手を走ったり、グランドの隅でテントの設営撤収を繰り返したりしていました。また雨天の日は座学で気象や地形、救急治療法など、学ぶことは多岐に渡りました。 時にはラグビー部から楕円球を借りて、公園でゲームの真似事などもしました。 学年末になってメンバー不足の
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2021年 10月 15日 17:52昔の記憶

背負子の記憶(1966年頃)

私は一時期アルミの背負子(ショイコ)を愛用し、縦走中のキスリングだけでなく、日帰りのサブザックもわざわざ背負子に括りつけて山へ出かけていました。 背負子だとパッキングの下手さをカバーしてくれると思っていたのです。【写真1,2】 山岳部時代は「背負子で来い」と指示され、収まりの悪い器材やバテた
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2021年 10月 10日 23:43昔の記憶

夜の花立での会話(丹沢大倉尾根)1966年

昭和41 (1966) 年は国内で5件もの航空機墜落事故が発生した年でした。 その中でも記憶に残るのは、3月5日(土)のBOAC機富士山墜落事故です。 私は土曜日の夕方から丹沢へ向かい、寒気の中懐中電灯で大倉尾根を登り花立まで来たとき、花立山荘から出て来た登山者が「また飛行機が落ちましたね」と話
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2021年 10月 06日 17:55昔の記憶

古いアルバムから(和名倉山への憧れ)1965年

昭和40(1965)年3月に三峰神社から雲取山経由秩父主脈を目指しましたが、前白岩山の先で雪に阻まれ、早々に敗退 しました。 三峰神社にロープウェーの架かっていた時代で、中学生 の力量では積雪期の奥秩父は無謀でした。 その行程で右側の大洞川越しにずっ
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2021年 09月 27日 23:11昔の記憶

私のオートキャンプ事始め(1970年)

記憶は前後しますが大学生時代、「運転免許を取ったことだし、金をかけずに車で旅行しよう」と昭和45年(1970)夏に高校の友人3人と2週間かけて北海道をキャンプして回りました。 今では死語となった“カニ族cancer“が全盛の時代です。 友人の実家のバン を借り出すことに成功し
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2021年 09月 18日 22:44昔の記憶

我が家のキャンプの変遷(1986〜1995年頃)

私の場合キャンプは登山と共にあり、キャンプ自体を楽しむというよりは、翌日の行程のための露営が目的で、手早く設営し食事を済ませて寝るか、さっさと撤収して歩き始めるのが基本でした。 それでも時間に余裕のある時は、設営後に稜線のお花畑を散策したり、谷の瀬音を聴きながら焚火をしたりしました。 時が経
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2021年 09月 07日 22:29昔の記憶

蝙蝠岳の想いで(1969年)

高校生の時に悪沢岳より眺めた塩見岳と蝙蝠岳に魅了され、3年後(1969)に友人と南ア北部を縦走した時、農鳥は割愛しても蝙蝠は外せませんでした。(写真中央) 当日は縦走中の休養日と位置づけ、熊ノ平(井川越)から塩見を目指してのんびり進み、塩見手前の雪投沢源頭幕営地に天泊し(今は禁止?)、サブザックで
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2021年 08月 28日 21:51昔の記憶レビュー(書籍)

「霧の山稜」 加藤泰三著

「霧の山稜」の初版本を入手しました。 山の本は私の書架の一角を占めていましたが、家の建て替え時に大部分の書籍を処分してしまい、久しぶりに読みたくなってネットで古書店から購入しました。 この本は昭和16年(1941)に出版された山の画文集ですが、美校(現東京芸大)出身の著者は昭和19年に33歳
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