今では死語となった“カニ族“が全盛の時代です。
友人の実家のバン を借り出すことに成功し、テント一式は母校山岳部から無断借用、その他のキャンプ用具は各自で持寄りました。
まだ東北道などは存在せず一般道を交代で運転し、いわき、八戸の海辺でテン泊して、3日目に野辺地からフェリーで函館へ上陸しました。
エアコンなど無い車の中、男4人で与太話をしながらトロトロ走り、県境を越えるたびに手拍子で大騒ぎしていました。
上陸した北海道は想像以上に広大で、大沼、支笏・洞爺、帯広、阿寒・摩周、知床、網走、層雲峡、滝川、札幌、大沼と内側を周回するのがやっとでした。
キャンプ場などもあまり整備されておらず、湖畔や海辺、町の公園(管理人がいればお伺い)などキャンプサイトの選定や設営には山での経験が役立ちました。
食事はもっぱら通過する町の惣菜屋で買ったコロッケやメンチ等とコッヘルで炊いた飯、たまにカレーなどを作り、あとはパンやインスタントラーメンでした。
知床では観光漁船で釣った魚を持ち帰って焚火で塩焼きにし、網走湖ではシジミを採って味噌汁の身にしました。
北海道らしい味覚といっても、羊が丘展望台で食べたジンギスカンと札幌市内で食べた味噌ラーメン位しか贅沢はできず、国道の道端でおばさんが売っていた茹でトウキビ5本で100円には大感激しました。
風呂は町の風呂屋や温泉宿 に交渉して入りましたが、時には滝行と称して道路わきの滝に打たれて体を洗い、ついでに洗濯もしました。
道民は本州の事を「内地」と呼ぶことを覚え、土産物屋のオヤジに「何処から来た?」と問われ、早速「内地っ!」と答えたら、「バカ!見ればわかる、内地のどこだ?」と叱られ大笑い 、内地では珍しくなった百円札が普通に流通しており、つり銭に百円札を何枚ももらって「札が増えた!」と喜んでいました。
帰りの大沼で、台風が日本海から津軽海峡へ向かっているとのニュースを聞き、翌朝慌てて函館へ駆けつけ、直近のフェリーに飛び乗って昼頃下北半島の大間へ上陸、吹き始めた風と雨に追われて、少しでも台風から離れようとひたすら車を南へ走らせ 、深夜に仙台駅まで到達してステーションビバーク(駅の待合室泊)しました。
ちょうど旧盆の時期で国道沿いの町村が、往路の寂れた風情とは異なり、帰省した人達で賑やいでいたのが印象的でした。
この時の貧乏旅行のリベンジをすべく、その後の人生で何度か北海道を訪れ、家族でのオートキャンプも2回実行しましたが、行くたびに北海道が大好き になります。
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