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復学するために一年半勤めた会社を退職し、つかの間の自由時間を利用しての旅で、私にしては珍しく特に行き先を決めず、セールバックに着替えと洗面具をほおり込んで家を出ました。
始めに、松本で新聞記者見習い中の友人を訪ねることにし、近くに住む友人(学生)を誘いました。
友人の車で夜道を走り

翌日からは一人で、思いつくまま大糸線に乗り、大町から黒四を経由して室堂へ上がり、雷鳥荘で一泊しました。

久しぶりにアルプスの空気を嗅ぎ、独り温泉に浸かっていると、会社勤めのしがらみやストレスが抜け落ちてゆく気がしました。

翌日は雲一つない秋空の下、大日岳とナナカマドの赤が朝日に映えて眩しく、真っ白に霜の降りた道を、硫黄の匂う地獄谷を抜けて弥陀ヶ原まで歩き、バスと電車を乗り継いで富山へ下りました。
富山駅で金沢へ行くか、南下して高山か、日本海沿いに東北へ行くか迷った末、能登を訪れてみることにしました。
そのころ流行った「岬めぐり」という歌に触発されたのかもしれません。
当時は国鉄七尾線が輪島まで通っており、さらに穴水から蛸島(珠洲市)まで能登線も走っていました。
夕方輪島駅に降り立ち、「さて宿をどうしよう」と考えていると、客引きに声をかけられ、勧められるまま車で移動して、千枚田近くの民宿に泊まりました。
千枚田や揚げ浜塩田はあまり印象に残っていないのですが、千枚田を説明してくれた人の話しで「お百姓が千枚田の数を数えたら1枚足りない、よく見たら置いた笠の下に1枚隠れていた」という笑い話を覚えています。
その後ニュースやドラマなどに当地が登場するたびに、この時の旅を思い出します。

翌日は宿の前からバスに乗って文字通り「岬めぐり」をし、能登線、七尾線を利用して金沢へ戻りました。
海辺の風景をたくさん見たせいか里心

がら空きの車内でボックス席を独り占めし、爆睡して帰りました。
夜行を含めて足掛け6日の旅でしたが、人生の転換点にいた私には、気持ちをリフレッシュする出来事でした。
その後の学生生活は、社会人を経験したために物の見方が変わり、たいへん有意義なものになりました。

時が経ち、令和6年正月の能登半島沖地震で、昔私の巡った町村が壊滅的なダメージを受け、千枚田は崩れ、揚げ浜塩田下の磯も隆起してしまったようです。
さらに同年9月の豪雨災害が追い打ちをかけ、始まったばかりの復興が阻害される姿を見るにつけ心が痛み、速やかな回復を祈るばかりです。
「100年に1度の豪雨」とやらも度重なれば「普通の雨」なのかと思います。地球規模での気候変動期(災害期?)が始まったのでしょうか。

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