私の子供時代は、ガキ大将のお兄ちゃんを頭に、小学校高学年から低学年までが一緒になって谷戸の野山を駆け回って遊んでいました。

ガキ大将は腕力だけでなく、年下の子供たちの面倒や隣町のグループとの遊び場の調整なども担っていました。
女の子たちはゴム跳びや石けり、ままごと、おはじきなどで遊んでいたようですが、一緒に遊ぶことは殆どなかったので、詳しくは分かりません。🎀
男の子は、お兄ちゃん達が決めるその日の遊び場で、駄菓子屋で売っているおもちゃ(めんこ、ビー玉、独楽、凧など)を使う場合や、体を使っての遊び、里山から竹や木の枝を調達してのチャンバラや弓矢作りなど、子供なりに様々な工夫をして遊びました。🏹
私も早くから肥後守(ナイフ)を買ってもらい、竹を削ったりして刃物の扱いを覚えました。
遊びに年齢差はあまり関係なく、ガチンコ勝負が常でした。買ってもらったばかりの独楽を真っ二つに割られ、泣きながら帰ったことや、めんこやビー玉をあらかた巻き上げられることもありました。

悔しいので、何とか年上に一泡吹かせようと、めんこを貼り合わせて厚くしたり、独楽の芯を抜いて紙を巻いてみたり、水につけて重くしたりと無い知恵を絞り頑張りました。

寒い冬場は体をぶつけ合う遊びが多く、まとまった人数(8人位)がいる時は、「長馬跳び」が人気がありました。🐴
馬役チームと跳び役チームに分かれて戦い、負けたチームが馬役(縦につながる)になります。
跳び役は馬役チームをつぶそうと体の小さな子の背中を狙って飛び乗ってきます。
つぶされればまた馬になるので、小さな子を先頭の首役(最後に跳び役とじゃんけん)にしたり、大きな子の間に入れて庇ったり工夫をしました。
跳び損ねて落馬したり潰されたり、けっこう危険なので学校では禁止されていました。🚫
リーダー(ガキ大将)役の大きなお兄ちゃんは中学生になると、家業の手伝いや勉強が忙しくなり、遊びのグループからは抜けていき、次のリーダーがひとりでに決まりました。
私が高学年になったころには、テレビが普及し始めて子供たちの外遊びは下火になってしまい、ガキ大将の存在価値もなくなってしまいました。📺
今思えば、遊びを通じて社会の仕組みが少しずつ身に着いた時代でした。

【長馬跳びの写真を載せているブログがありました】
https://ameblo.jp/shimonose9m/entry-12626284889.html
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