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私は縁あって過去にコンテナ船(全長220m、31,000t)で太平洋を往復したことがあります。
11月下旬に東京大井ふ頭から乗船し、北米西海岸LA、SAへ寄港して12月下旬に神戸で下船するまで荷役停泊を含めてひと月ほどの航海でした。
私は船員ではないので、乗客(パセンジャー)の扱いでしたが、船内各セクションを自由に見学(体験)することが出来ました。
船は当時の第一種近代船と言い、総員18名で運航するため、航海中は皆が持ち場へ散ると広い船内には人影が無くなります。
出航して房総半島をかわすと船は北東に進路を取って緯度を上げ、冬の北太平洋の季節風と波に揉まれながら進みます。
数日間は船酔いに悩まされましたが、じきに体が慣れました。
興味深かったのは船内時刻の時差修正です。地球上の現在地の経度(タイムゾーン)を目安に時計を合わせるため、往航(東行)ではある期間1日1時間づつ時計を早め、復航(西行)では1日1時間づつ時計を遅らせて航海し、目的地の時間に到達したら終了します。
出航して2日目から午前11時半と午後11時半に時計が30分ずつ進みましたが、1日を23時間で生活するのは結構苦しく、数日たつと頭がぼんやりとしてきます。

復航は逆に時計を遅らせて1日を25時間で生活するのでとても楽でした。
LAへ到着予定の日に、夜明け前のブリッジへ上がってゆくと、当直の航海士が「レーダーにアメリカが映ってるよ」と教えてくれました。行く手東の空はまだ真っ暗で何も見えませんが、レーダーを覗くと海図通りの陸地がスクリーンに現われはじめていました。
海上からアプローチする北米大陸に感無量でした。

復路は冬の北太平洋の季節風や波を避けるため、アラスカ半島を横目にベーリング海へ入り、アリューシャン列島を防波堤にして高緯度を航行しました。
アラスカ半島の先端にあるウニマク島には、美しい円錐形の火山シシャルディン 2,857m)が真っ白な姿を見せていました。
SAから北上するときは荒れていた海が、ウニマク海峡を通過してベーリング海へ入ると嘘のように鎮まりました。
北緯50度越えの冬のベーリング海では、左舷に見える島々は真っ白に雪に覆われ、コンテナにかかった飛沫や雪も凍り付いていますが、コバルト色の海はあくまでも静かで、船全体が無想の中に居るような航海でした。
神戸六甲アイランドのコンテナふ頭に停泊した船からは、私一人が下船しましたが、船に休みは無く、日本での荷役が済めば再び北米へ向かい、洋上で正月を迎えます。
独り神戸市内へ出ると、街はクリスマスムード一色でした。
それまでの閉ざされた船内生活とは異なる、陸(おか)の時間が流れていることに戸惑った私は、一瞬、慣れ親しんだ船内に逃げ帰りたい衝動にかられました。

得難い体験をさせてくれた当時の所属先や船員の方々には、今でも大変感謝しています。

【写真1 ウイングより】 【写真2 ブリッジにて】 【写真3 SA入港】
とても興味深く拝読しました。
当時は海運会社で働いておられたのでしょうか?
太平洋往復横断とはすばらしいご経験をされましたね!
すごいです!!
私は現在海運会社で働いております。
会社初の乗船実習を一度経験しました。
その時は北米積み日本3港揚げの貨物でした。
もちろん北米から乗る気マンマンでしたが、会社からお許しが出ませんでした。
なので、私は1st discharging portの九州は小倉から乗船し、2ndの広島は江田島、そしてlast は茨城の鹿島で下船しました。
太平洋往復にはとうてい及びませんが、それでも瀬戸内海から太平洋に出たときの感動は忘れられません。
最後になり恐縮ですが、タイムゾーンのお話もとてもおもしろかったです。
もう少し船員さんにやさしくしないとな、、と思いました。
私の体験にご興味を持っていただき、ありがとうございます。
当時私は海事関係の団体に所属しており、外航船員の働く現場を理解するための計らいで乗船することが叶いました。
tomokofishさんも乗船実習で貴重な体験をされましたね。
住み慣れた町や地域でも海上から眺めると新鮮な感覚があります。
船舶の運航設備は、通信技術や制御技術の進歩とともに近代化が進み、これに伴って船員の職制や定員も変化を余儀なくされ、国際競争力の名のもとで厳しい合理化にさらされてきました。
私はある時期から海事関係を離れたので、現在の海運業界や船員のことはよく解りませんが、我が国は海や航海にあこがれ船員を目指す若者たちを吸収して、十分に育成満足させられる環境なのでしょうか。
ぜひ、船員さん達に優しくしてあげてください。
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