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さて、私は古い山男なので今でもヘッドランプのことを、「ラテ(ラテルネの略)」と「ヘッドランプ」と半々ぐらいに使っています。
今の人達は「ヘッデン」と呼ぶ人が多数派なんでしょうか?
少し面白いテーマなので皆さんに伺いたく思いました。いわゆる世代差みたいなものがあるような感じがしましたので。
もっとも、私よりもっと古い方々はご存じかと思いますが、ラテルネはランタンのドイツ語でして、私が山を始めたころには折り畳み式の雲母ガラスのランタン(ラテルネ)がありました。
皆さんは、ヘッドランプのことを何と呼んでいるんでしょうか?
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写真は、趣味の米麹(こめこうじ)です。2日前に仕込んで本日もうすぐ仕上がります。出麹(でこうじ)と呼びます
山歴が浅いからでしょうか・・・ヘッ電ですね(笑)
ラテルネ・・・初めて聞きました!
こんにちわ。
東京の学生山岳あがりです。
懐中電灯の頃は「エレキ」
ヘッドランプになってからは「ヘッデン」でした。
「ラテルネ」は古い文献の中のものと思っていましたが
北海道では若い世代も使ってるようです。
やっぱり若い人たちはヘッデンなんですね。
ご協力ありがとうございました。
コメントありがとうございました。
ヤマレコ+Googleで「ラテルネ」をキーワード検索すると6ページ分ありましたので、まだ比較的多く使われているのだと思いました。
「ラテ」で検索を入れると「抹茶ラテ」とか「コーヒーラテ」とか・・・
北海道や「エレキ」の情報もありがとうございました。参考になりました。
yahohoさん、こんにちは。
学生時代にサークルで始めましたが「ヘッデン」「ヘッドランプ」と言うことが殆どです。
もしかすると昔はたまに「懐電」とも呼んでいたかも知れません
「ラテルネ」という呼び方は両親からも聞いたことがありませんでした。ヘッドランプを「ヘドラン」と略す呼び方も聞いたことがありますが、自分の周りにはいません。
自分もけっこう古い部類に入るかと思っていましたが、ここでは若い方々と一緒です
30年ほど前に関東地区で登山を始めました。
ヘッデン以外の呼び名は知りませんでした。部室に有った少し前からの計画書もヘッデンだったはずです。
ナショナルの黄色いランプはちょっと前まで現役で、息子のお気に入りでした(笑)
なるほど、参考にさせていただきます。
fireboltさんあたりが境界線かも知れませんね。
ラテルネという言葉を使う高校や大学の山岳部や社会人の山岳会などに所属されておれば言葉が伝わっていったのかも分かりませんが、そうじゃないとヘッデンになってしまったのかも分かりませんね。
コメントありがとうございました。
ナショナルの黄色のヘッドランプ、私も何個買ったか分かりません。
私より一回り違う後輩たちはラテとは言わないし、そのナショナルの黄色のヘッドランプが出てきたあたりで言葉が変わってきた可能性がありますね。
ただ、ヤマレコの記録を調べてみると案外とラテルネを使っている人も多くて少し安心しましたが…。
コメントありがとうございました。
yahohoさん はじめまして
私は、『ラテ』はつかったことないけど『ラテルネ』ですね。けど、内地に来て誰にも通じないので、最近は『ヘッデン』も使います。
山行記録を『ラテルネ』で検索してみたら青森以北の一部の人達の方言みたいですね。ラテルネは
シートラ、エッセン、ゲルトにヒュッテ、方言に詳しい麹好きの先輩が登場してくれると思うのですが・・・
ナショナルのラテルネは、スイッチがスライド式からツマミ式に替わって不評を買ってたような記憶があります。あのころ100均は無かったですねぇ
コメントありがとうございます。はじめまして。
ihara1990さんのコメントで核心部に近くなってきた感じです。
北大山岳部ご出身ですか。大昔に寮歌を聞いたことがあります。
私の山の先生の一人は関西地方の大学の山岳部の出身でしたが、ラテルネを使っていました。
いろいろ推察すると、昔は全国で使われていた「ラテルネ」という言葉が現在では北海道を中心として或いは今でも尖鋭のクライマー達に引き継がれているだけのように思えます。要するに昨今の登山人口の急増が言葉(登山用語)の伝承に限っては阻害してしまった感じもしてしまいます。
しかしながら、書いていただいた言葉はヒュッテ以外は分かりません。シートラはスキーに関すること、エッセンは食べることに関してだろうと推察できますが、私たちは使っていない言葉です。ゲルトはちんぷんかんぷんです。逆にヒュッテは山小屋とは違う意味なんでしょうか?
ついでですので再度教えていたたければと思いますが、今でもコッフェルは使われておりますが、食器のベッセルは死語になっているんでしょうか?
確保の意味のジッヘルもしかりのような・・・。
ご先輩のご登場を心よりお待ちしております。
yahohoさんこんばんわ
わたしは、本来吹奏楽部でマーチングバンドなどに汗を
流していて、友人が山岳部だったんです。
その友人に聴くと「ゲルト」は山行費用の金のことだ
って言ってましたよ。エッセンは「飯」ですって。他は
忘れたようです。ヘッデンは?って聞いたら「なんや?
それ」っていわれました。ラテで通じるようでした。
宮崎の青島で魚つり船長している友人で、5月に遊び
に来いといわれ、嫁が喜んでます
宮崎近辺でいい御山はないのかなぁ・・
yahohoさん おはようございます
先輩、今週末は仕事で山といっていたのを思い出しました。昨日も今日も冬らしい天気なので、いい仕事していると思います。
『ジッヘル』危うく忘れかけてました。登攀用語はドイツ語多いですね。冬天の中でナベを保持する人も『ジッヘル係』といってました。
どうやら、大学・高校山岳部系で使われていた言葉のようなので、槇有恒さんあたりが持ち帰ったヨーロピアンアルピニズム??の影響が、インテリ系山岳部、特に、デカンショ好きな(旧制高校系)大学の山岳部を中心にはびこったのではないでしょうか??
一方、RCC〜フリークライミングの流れは名前からしてアメリカナイズされているので、社会人山岳会の人達は、早い段階から米語もしくは、日常の日本語を利用していたのではないでしょうか?
私も入部したての時、『ラテルネってなんですか?』と質問した記憶がありますが、先輩からやや得意げに『ヘッドランプの事だよ』と教えられました。そして私も、多分、教えるときはやや得意げな顔しているんだと思います。インテリってのは厄介です
『ゲルト』はお金、『エッセン』は飯、というのはuedayasujiさんのご指摘の通りで、別に難しい解釈はないのですが、若気の至りというか、学生寮にいた頃は好んで使っていました。あと『メッチェン』とか。死語ですよね
『シートラ』の『シー』は、まさにスキーの事で、トラーゲンが担ぐという意味らしく『シートラーゲン』を略して『シートラ』です。内地ではスキーを担いで山を乗越すような山行は殆どしないようなので、これも北国の方言ですね。
『ヒュッテ』も山小屋で間違いはないのですが、僕たちにとっては、微妙なニュアンスの違いがあり漢字表記でも『小舎』と書きます(変換候補にでなかった
また、エッセンで思い出しましたが、行動食の副食(アメ・チョコ・豆・干物など)をネーベン(添え物・隣にあるものの意)と呼んでいました。
山ではたき火を良くやりましたが、山の歌の1/3はドイツ語の歌でした。私は意味も発音も分からないのでかなりテキトーに歌ってました(麹先輩はそんなことは無いはず)。1/3はドイツ語の歌を和訳した歌で、あとの1/3くらいが日本の山の歌。たまに寮歌も歌いました。かなりドイツ語かぶれな環境にあったことが推察できるかと思います。
そうそう、ラッセルや藪こぎの事をアルバイトと呼ぶのは内地でも通用するみたいですよね
いずれにしても、若かかりし学生時代には、余人には理解できないインチキ独逸語を得意げに使うのが、なんとも愉快で、それだけでいっぱしの岳人になれた気がしたものです。そして今、懐かしい言葉に触れると、青春時代が郷愁と共によみがえります。
やっぱり方言みたいなモンですね
しかしなんで、フランス語とかイタリア語じゃなかったんだろう
uedayasujiさん、こんにちは。
きょうは初マラソンで頑張っておりました
それにしてもさすがに関西支部長ですね。人脈がありますね。
その友人さん、ちょっと想像しただけでも人生深そうに思います。
きっといい船長さんなんでしょうね。
どちらにしても、uedayasujiさんの突っ込みで私のこのスレッドが誕生した訳ですが、これで、「アルバイト」や「ラテルネ」は昔は全国標準語だったと推察できますね。
ihara1990さんとuedayasujiさんのご友人の登場で私としてはとても助かった気がしています。
それにしても、若い人には「ヘッデンはヘッデン。いまごろ何を言ってんだ」というような内容かも知れませんね。
それがいいか悪いかというより、確実に時代は変わったんだという感じが私にはします。
ihara1990さん、こんにちは。
新たな解説ありがとうございます。ヒジョーーに参考になります。
槇有恒氏あるいは西堀栄三郎氏や今西錦司氏ら京大の学士山岳会などの活躍や足跡は確かに大きな影響があったと思います。
当時の人達は本当に楽しかったと思いますね。どこもかしこも未踏だし、日本の岩場でもどこもかしこも新ルートの開拓で本当に楽しい時代だったと思います。
私のとても古い山の先生(存命)は穂高の屏風岩の開拓者でした。当時の道具はお粗末でもチャレンジ精神はものすごいものがあったようです。
一方、ihara1990さんが言われるように、いわゆるヨセミテ派が出てきた頃に山は大きく分かれた感じがします。
私もその変化を、当時、どっちにしようかと思った訳ですが、フリークライムはなぜか選らばなかったですね。というか、テントで酒の軟弱派みたいな感じに落ちぶれました
こういうのをヒュッテン・レーベンと言うんでしょうか?
メッチェンは、新人哀歌の「メッチェン通れば頭右」ですね。
この歌と、エーデルワイスの歌(法政大学の)、それと涸沢の歌、それとシーハイルの歌などが私たちのテントの中の歌い始めの曲でした。
琵琶湖周航の歌すら私たちは山の歌にしていましたね。今思うと懐かしいです。
そうそう、「アルバイト」に関してはもちろん私たちには通じますが、uedayasujiさんに「今は死語かもね」と言われてしまいました。
フランス語は実は案外と多いんですよ。
私たちもクラブで登山用語辞典を作ったんですが、そのときに語源も調べました。ドイツ語は確かに多いですが、英語やフランス語も多かった記憶があります。
雪崩のデブリとか、クーロワールとか、「ピトンの歌を聞かせてくれ〜」のピトンもフランス語だと思います。
ここらあたりの話はキリがありませんが、ヤマレコを見ていて、少なからず私が引っ掛かるのが、今回のヘッデンと、バリルート、テン泊という言葉です。
なぜ引っ掛かるのか自分でもまだ分かりませんが、私の心の中でなんか微妙な違和感があるんですね。
先輩氏は、厳しい冬山でのお仕事なんでしょうか?ご登場が楽しみです。
この日記はいつでも解放しておきますので、いつでも書き込みしていただければありがたいです。
yahohoさん、こんばんは。
話題に惹かれて軟弱者がまた出てきてしまいました。
> メッチェンは、新人哀歌の「メッチェン通れば頭右」ですね。
最近は別の呼び方が市民権を得てしまったので死語でしょうかね。でもこの呼び方の方がなんか味があるような気がします
通勤電車の中でオジサンの背負っているドイターのデイパックに「メッチェン20」とかドイツ語で書いてあるのを見て思わず
> デブリとか、クーロワールとか、「ピトンの歌を聞かせてくれ〜」
デブリは今も一般用語でしょうか。クーロワールは初耳です。登攀関係(とはんってATOKでは出ませんでした
> ヤマレコを見ていて、少なからず私が引っ掛かるのが、今回のヘッデンと、バリルート、テン泊という言葉です。
そうですか、バリルートはあまり縁がなかったのでヤマレコに来てから覚え増したが、ヘッデン,テン泊は30年以上使っています。テン泊など何も1文字略さなくても良いとは思いますが、そう言っていました。
ヘッデンは不思議と略語ではないですが、イメージがわきやすく何か日本語らしい感じがして好きです。
fireboltさん、こんばんは。
再訪ありがとうございます。私のささやかな疑問にお付き合いいただき嬉しいです。
デブリに関しては、五月の連休ごろに涸沢に向かう横尾谷本谷出会い付近は雪崩によるデブリが多く、デブリ以外にデブリを表現する言葉は無いので今でも普通の言葉だと思いますが、最近では宇宙ゴミもデブリって言うようですのでニュースを見ていて面白いなと思いました。
クーロワールはご存じないですか?一般的にはクーロワールはルンゼとかガリーと同じだと言われておりますが、私の場合はイメージがかなり違います。
私のイメージは、沢がどんどん急峻になっていた感じがルンゼです。ガリーはさらに急峻になって鋭角に切れ込んだ狭い感じです。ガリーの最上部はチムニーで登れる感覚も生まれてきます。クーロワールはガリーに比べて開いた凹角っぽさが私のイメージです。
ルンゼはご存じの通り日本の沢の固有名詞にも使われていますし、クーロワールは固有名詞としてのルート名もあるかと思いますが、ガリーで固有名詞はないような気がします。もしあれば私の知識不足です。
私自身は浦島太郎みたいに若い現役のクライマーとの接点が途絶えておりますので私たちが使っていた当時の登山用語の感覚とは違っているかと思います。それが違和感の大きい部分だと思います。
ただ、デブリと同様に一発でその地形などを表現できる言葉、ベルクシュルントとかチョックストンとか、岩登りで使う場合のカンテとかリッジとか、そういう一般的な登山用語を使う習慣は登山の超大衆化によって減ってきてしまっているのかなと思ったりしています。このあたりは古い山男としては若い人たちにはどんな山を登るにしても(安全目的で)知識を増やして欲しいと思います。まあ、あんまり偉そうなことは言えませんが…。
懐中電灯はラテです。薄暗い朝に懐中電灯照らして山に登ることをラテ行と呼びました。
40年前の学生時代です。
学生連盟ワンゲルでも使ってたような、周りはヘッデン使ってたかな?
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