顔に当たる冷たい風は色々な理由で吹いてきますが、暖かな風は“サーマル”と呼ばれものです。日本語で言えば“熱上昇気流”とか“熱上昇風”呼ばれる風です。「熱」を省略して単に“上昇気流”とか“上昇風”と言う場合もあります。
晴れた日の午前中、太陽によって地面は暖められます。地表付近の空気も暖められていきます。まるでシャボン玉が膨らむように暖められた空気は地面にあぶくを作り、そのあぶくはさらに膨らみ、やがてバルーンのように地面から離れていきます。バルーン同士がくっつき合ってさらに大きなバルーンを作りながら上昇していきます。これが熱上昇気流(サーマル)というものです。稜線付近で感じる暖かな風は、この風(サーマル)が流れてきたものです。
トンビや鷹などの鳥たちはサーマルの中で旋回をしています。翼をはためかせること無く高層ビルのエレベターを乗り換えていくようにサーマルを次々と乗り換えて移動していきます。じっくり観察すると本当に素晴らしい飛行技術をもっていることが分かります。パラグライダーやハングなどの上級者も同じようにサーマルの中で旋回をすることで高度を獲得していきます。
サーマルがどんどんと上昇していくとやがて雲となります。
暖かな空気の中の水蒸気が雲になると液化熱という熱を出します。すると空気は温度が維持できるのでさらに上昇していきます。これが雲が発達する原理です。上昇気流によってできた積雲がさらに発達すると入道雲になります。入道雲の中では上昇気流と下降気流がぶつかりあって静電気が作られることがあります。これが「雷雲」です。入道雲(積乱雲)がさらに発達して一万メートル以上になることもあります。成層圏まで達すると雲の発達は天井打ちとなり横に広がります。これが「かなとこ雲」と呼ばれている雲です。かなとこ雲の下では激しく恐ろしい雷雨となります。
昭和42年(1967年)8月1日、長野県松本深志高等学校の学生11人が西穂独標付近で雷に打たれて死亡しました。「西穂高岳落雷遭難事故」と呼ばれているものです。当時、恒例の学校行事として上高地から登った46人の高校生たちが西穂登頂後にこの痛ましい事故が起こったということです。
いつ頃だったか忘れましたが、山渓でカミナリ対策の特集があって、私は確かその中でこの事故のことを知ったと思います。記憶が正しければ、「朝、飛騨側からものすごく冷たい冷気が吹きあがっていた」という誰かの証言が載っていたように覚えています。どちらにしても、今でもこの事故に触れた登山の本は多いと思います。
その事故の詳細な報告書も発行されたようですが、私は読んだ記憶はありません。ただ、雷に打たれた時の悲惨な状況を読んだ記憶があるので、それが山渓の特集記事なのか何なのか今となっては思い出すことはできません。
ともあれ、その痛ましい事故が起こる前、その前兆として大粒のひょうまじりの雷雨があったということです。8月という暑い日にひょうが降るということは、それだけで猛烈に強い上昇気流が雷雲の中で発生していたことが分かります。ふつうはひょうは気温がまだ比較的低い5月6月頃が多い訳ですから。
こうした雷雲は、上空と下界の温度差が特に大きいと発達しやすくなります。
夏、富士山と下界の温度差が25℃以上だと90%雷雲が出来る言われています。(20度以上なら60〜70%) 富士山のアメダスの情報はとても有効です。富士山の気温を知ることで富士山ばかりでなく北アルプスの雷雲の発生も予知できます。つまり、気象庁が梅雨明け宣言をしても、富士山の気温が低い場合は雷による事故の心配があります。最近では雷を検知する専用の機械があるそうですが、ラジオによる空電(ガガという音)を聞いて雷の発生を知ることができます。どちらにしても、山では午後は早めに幕営地なり山小屋に入った方が賢明です。
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以上、春の上昇気流のことを書こうと思っていたら夏山の雷になってしまいました

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【追記】記事の中に間違い等がありましたら指摘していただければ幸いです。
独標での落雷事故のお話。
まだ登山歴の浅い私は稜線上での雷にあったことがありません。
それでも仲間のお話を聞いていたりしてその怖さは大変なものだと思います。
お山の師匠に言われたことですが、
山の勉強をするなら、山での事故や遭難などの実例などの本を読んだり調べたりしろと言われています。
そこで自分がもし同じような状況に置かれたときに
どうするべきかの道標になるというものみたいです。
こういった事例からやっぱり天候の変化や天気図をきちんと読めないと怖いのだと思いました。
とはいえ、頭悪いのでなかなか予測できないです
おはようございます。
mitukiさんのご師匠さんは本当に素晴らしい山のご師匠さんですね。
あらゆる登山技術や知識などを豊富にお持ちであることが間接的にも伝わってきます。
具体的なこともさることながら、安全に対するセンスみたいなものを吸収しちゃいましょうね
遭難の記録ということでは、北鎌尾根で亡くなった松濤明(まつなみあきら)の”風雪のビバーク”が余りに有名ですね。私も本がありますが最初に読んだときは衝撃的でした。
その時代に今の天気情報があれば、遭難は避けられたでしょうね。そういう意味では、本当に過酷な状況に置かれるというのは現代の人は少なくなっていることは確かだと思います。
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