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本書は、植村直己が世界五大陸最高峰を制覇していく過程の全てが書かれてある。また、植村直己の最初の著作でもある。
明治大学を卒業した彼は船の片道切符だけでアメリカに渡った。生活水準の高いアメリカで賃金を稼ぎ、パンとキュウリを食べて支出を減らせばヨーロッパ・アルプス山行の金がたまるのではないかと考えたからだ。
その後、メキシコ人たちとブドウ畑で働いていたが彼は移民局に逮捕されてしまう。幸いにも日本への強制送還を免れてヨーロッパに渡る。フランスのシャモニーに入ってモンブランを登ろうとするが、クレバスに転落してしまう。
そんな泥臭い話が随所に出てくる。「五大陸登頂記」というより「世界放浪記」といった方が内容的には正解であろう。国民栄誉賞すら受賞した男の世界貧乏放浪記は限りなく人間臭い。
ゴジュンバカン登頂(1965年4月)、モンブラン単独登頂(1966年7月)、キリマンジャロ単独登頂(1966年10月)、アコンカグア単独登頂(1968年2月)、アマゾン河6,000kmいかだ下り(1968年4月)、エベレスト登頂(1970年5月)、マッキンリー単独登頂(1970年8月)。グランド・ジョラス北壁完登(1971年1月)。
本書には、明治大学山岳部に入学した時から始まり、以上の記録が書かれてある。本の題名の通り、まさに「青春を山に賭けて」そのものである。アフリカのキリマンジャロの麓での動物の描写が非常に面白い。アマゾン川を下るところなども登山とは違った面白さがある。
現地での人々との触れ合いや、助けてもらった人に対する謙虚な姿勢など、植村の性格はとても好感できる。登るガッツや体力は並みの人じゃないと思うが臆病で勇敢で不器用で優しい面も多分に文章から感じ取ることができる。
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この文庫本が出たのは、1977年1月。当時の私は夢中で何度も読んだ。人にも読ませた。感想を共有したいので人に読ませるために新しく買ったこともあった。そんな訳で写真のように今になっても私の書庫には3冊の同じ本がある。どの本も手垢で汚れている。
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この“青春を山に賭けて”が出版されたあと、植村直己は一気に時の人となった。植村直己は、登山家から冒険家となり、犬ぞりで北極点やグリーランドを走破した。
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私は、1978年11月に植村直己のサイン会に行ったことがあった。
レコードを買い、ジャケットにサインしてもらった。
「○○同人の○○君へ 植村直己」と書いてくださいというように無理なお願いをしてしまった。植村さんはその要望に少し困った表情をされたのを覚えているが、そのサインは私の宝である。
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しかしながら、1984年の冬、北米の最高峰マッキンリーで彼は消息を絶ってしまった。三浦雄一郎氏さえも「植村は絶対に死なない男」だと言っていたので私は信じられなかった。クレバスの穴の中で温泉を発見して生きているのでないかと思ったりもした。
しかし、植村は山から帰ってこなかった。
私は、サイン会のときに植村さんと握手しなかったことが悔しまれた。何度もそれを夢想したが叶わぬ夢となってしまった。
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本書の最後に、植村は夢を書いている。
その夢とは、南極の最高峰であるビンソン・マシフを登ることであった。今ではビンソン・マシフは金さえ出せば登れるような時代になってしまったが、当時は、ビンソン・マシフは犬ぞりで3千キロをアプローチして登る山であった。本書にはそのあたりのことは書かれていないが、そのために彼は日本列島3千キロを歩き、距離感を養った。北極の犬ぞりも当初はそういう目的であったのだ。
本書は36年前に出版されたが今でもアマゾンで買えるようである。その書評にも新しい日付があるので細く長く読まれているものと思われる。
いずれにしても、本書は私が青春時代に読んだもっともワクワクした“山の本”の一冊である。
レコードは何が収録されているのですか?
僕が植村直己さんをリアルタイムで知ったのが
1984年のマッキンリーのニュースでした。
どこまで行った、とスタートからニュースとかで
やっていましたが、残念なことになってしまって・・・。
hiroumiさん、こんばんは。
北極のレコードは、無線交信やテントでの独り言などが入っていたと思います。さすがに私でも1回か2回ぐらい聞いただけです。猛吹雪のような録音もあったような気がします。
植村直己さんのエベレスト初登頂の毎日新聞社からの本で詳しく載っているのを持っていますすよ、この時には確か成田隊員が亡くなりました、もう遥か昔の出来事ですね、
『青春を山に賭けて』ぜひ読んでみたいです。
現在、兵庫県豊岡市に単身赴任中、植村直己冒険館、植村直己の生家とも10kmほどのところです。
ヤマレコで、kuma-sanの記録見つけました。
2011年08月27日(土)植村直己のふるさとを訪ねて
http://www.yamareco.com/modules/yamareco/detail-130605.html
少しでも同じ時代を過ごした私ですが、とても実感を
持って話せる「人」ではないです。
私は、「登山家」とかましてや「冒険家」と言う呼称は
あまり理解できません。
植村さんも、本当は違和感があったのではと思います。
時の人となった三浦さんを「冒険家」と呼んでいる記事も目
にしますが、最終キャンプで「手巻き寿司」を食してい
る写真を拝見して、少し醒めてしまいました。
>そのために彼は日本列島3千キロを歩き、距離感を養った。
自分の立ち位置を知り、過ぎたこと、これからのことに
対する「距離感」を養うこと これ大事・・。
会える時に会っておかないと、悔いが残りますよね。
植村直己さんの功績は登山とは無縁の子供だった私でも知っていました。
それほど偉大な方ですが人間性溢れる姿がこの書籍の中で感じる事ができるんですね。
様々な困難や夢に向けての強い気持ちなど
どんな内容なのかとても興味があります。
早速探して読んでみたいです。
naiden46さん、こんにちは。
確かその毎日の大判の本は父が買ってそれを私がもらって持っていましたが、数年前の大整理で捨ててしまったかもしれません。いま、探したのですが見つかりません。
確か、最終テントで頂上に立つ前の夜、「出してもいいですか?」と植村が言い、それを聞いた松浦隊員は、「酸素ボンベで酸素を吸いながらオ○ン○ンをにぎっている、なんてやつだ…」というようなことが書かれていて緊張が解けたようなことが書かれていませんでしたか?
私は植村たちのエベレスト登頂のときは殆ど知らなかったですが、世界中が登頂ブームに沸いていた幸せな時期だったんでしょうね?
kobechuoさん、こんにちは。
もしもその会館に行かれるのでしたらその前に是非読んでみてください。
私は植村さんが消息を絶ってから全ての植村関係の本を読まなくなりました。映画も見ていません。冒険館が出来たのは知っていますが今でもごめんなさい行きたいとは思いません。でも、こうして本の思い出が書けるようになってきたので、そろそろ私も時期をみて植村のふるさとに行ってみる頃かも知れないと思いました。
私も放浪的だったのですがこの本の影響はとても大きいものがありました。
nba01323さん、こんにちは。
植村直己の場合、「世界の植村」という呼び方もありますし、ヒラリー卿も彼を褒め称えています。あの7級の男のメスナーも植村を尊敬する人に入れていたと思います。
登山家とか冒険家という肩書きの使い方はともかく、彼のやった記録は一般人も褒め称えていますが、実際の過酷さはそれ以上の想像を超えたものがあると思います。特に犬ぞりに関しては。
どんなことでもそうですが、批評する人と批評される人とは大きな距離があるように思います。私も時々批評的になってしまうので反省することしきりです。
mitukiさん、こんにちは。
送料無料のアマゾンで560円ですので、それを基準に買って読んでみてください。
私が尊敬する人は植村さんと長谷川恒夫氏なんですが、長谷川氏はいかにもアルピニストという登り方でカッコいいのに比べて、植村さんは泥臭くどんくさく、それでいて気になる存在で、まるで長谷川氏とは真逆のような気がします。
この本はとてもよく読んだ本で影響も受けました。mitukiさんの登り方や生き方にも近い感じがします。是非読んでみてください。イメージが一変するかも知れません。
ふーん・・読んでみます・・
なにか遠くに輝く人ですから近寄り難いですね。
次元が違いすぎると知りたいとも思わなくなります。(もちろんいい意味でね)
ふふふ・・自制心ができるかな?
でわでわ
uedayasujiさん、こんにちは。
>ふーん・・読んでみます・・
本当ですね?男が言葉を出した以上、実行してくださいよ
感想を期待しています。
ある意味、uedayasujiさんと似ている面もあります。
私よりは似ているんじゃないでしょうか?
ふふふ・・家の隣が図書館
いつも読みたい本の欄に書くと大阪中の図書館から用意してくれます。
「青春を山にかけて」ですね。ふふふ・・本・・好きですよ。
20歳のときに本の重みでアパートの床が抜けて追い出されたぐらいです(本をどけるか引越しするかの選択でした)
植村直己さん・・マッキンリー・犬ぞりのイメージです
読み終えれば感想を日記にします
でわでわ
murren さん
はじめまして。
(ですよね?違っていたらごめんなさい)
登山を始めてまだ日が浅いですが、
この本は大好きな一冊です。
色々な場面での描写が面白くてワクワク!
素朴な挿し絵もいい。
なので、あっという間に読み終えてしまいました。
青春時代にこの本に出会えたかたは
なんて幸せなんでしょう。
思い入れのある一冊のご紹介
ありがとうございます。
※横レスすみません※
うえだやすじさん
私も、これで植村氏のイメージが一変しました。
ご本人が心底楽しんでやっているのが伝わり
読んでいるこちらも楽しくなりますよ。
オススメです!
sionさん、こんばんは。
登山は日が浅いということで植村直己の本を読まれるというのもすごいですね。
私は文庫本だけしか見ていないので挿絵は分からないです。
実は、渥美清だったか誰かがラジオで植村直己の話をしていてそれで私は植村直己を知った次第です。超大昔の話です。
私としては、もっと多くの人が「読んだよ」とコメントしてもらえるものと思ったのですが、少し時代が変わったような感触もあります。そういう意味でsionさんが読まれたというのがすごいと思った訳です。
たぶん初めましてだと思いますが、コメントありがとうございました。
murrenさんこんばんは。
私が植村さんを知ったのは、20年以上前に映画の
「植村直己物語」をTVで見た時でした。
確か西田敏行さんが出ていたと思うんですが・・・
その当時は、アウトドア好きだったんですが、登山に全然興味が無くて映画自体も、ただ見ていたような感じでした
でも、いま見るとたぶん当時と違った感情で見れるんでしょうね
「青春を山に賭けて」読んでみたいんものですが
どうも活字だけと言うのが苦手なんで・・・
途中で挫折するタイプなんです
子供達は私には似ていないのか最近、文庫本を読み始めています。
ryuuは映画も見ましたが「剱岳(点の記)」を
seiも「還るべき場所」を読んでいます。
なので子供達に代わりに・・・
>彼は日本列島3千キロを歩き、距離感を養った。
すごいですね!!
大業を成し遂げる人の思考スケールの大きさには
本当に、ただただ感銘を受けるばかりです。
murrenさん、こんばんは。
存じ上げておりますが、初めまして。
遥か昔を思い出しました。
「青春を山に賭けて」私も愛読書の一つです。
「極北に駆ける」もよく読みました。
高校生の頃でした(群馬育ちです)、縁があって群馬岳連主催で植村さんと小西さんの講演会に行きました。
真冬の群馬に小西さんはTシャツ1枚、植村さんはセーターを着ていました。ガッツリの小西さん、おっとりの植村さんと思えたシーンでした。
テーマは植村さんが「水平」、小西さんは「垂直」への冒険だったと思います。具体的にはグリーンランドとジャヌーだったかなと記憶して
います。
植村さんは「自分はもう山に登れないから...」と語られていました。(その後、マッキンレーで消息を絶たれましたが...)
雲の上の人を見て、話が聞けて、夢のような講演会でした。多感なあの頃の記憶です。
お二人ともその後の御冥福を祈るのみです....
murrenさん、こんばんは。
「青春を山に賭けて」の題目を見て、思わず、押入れの中をまさぐり、
昔所属していた山岳会の古い会報を読み返しました。
尊敬する人物は「植村直己、彼のような冒険心を常に持っていたい」と、
そこには新人として自己紹介している自分が居ました。
当時、尊敬する人は? と聞かれても
得意げに「そんな人いません」と吹きまくっていた自分ですが、
今振り返ると、かなり影響されてたみたいですね。
何回も繰り返し読んだ記憶ありますし。
登山の経歴というより、彼の生き方に共感していたようです。
murrenさんの日記で
長い年月の中に埋もれた記憶を呼び覚まして頂きました。
ryuu88さん、こんにちは。
私は感受性豊かな時に植村に影響を受けたので、冬のマッキンリーでも当然帰ってくると信じていました。そのためにその死を認めたくなく、その後は植村関係の全ての本を読まなくなりました。ですから映画も見ていません。植村のふるさとには行きたい気持ちが芽生えましたが映画は今後も見ないと思います。
この本は定職もつかずアルバイトで山に登る記録でもあるのでryuu君が読むと変な影響にならないか少し心配ではあります。ただ、どんな仕事でも我慢できる精神は養えるかも知れませんが。じゃ何がいいのかというと難しいですが、西堀栄三郎氏の南極越冬記は案外と山男として読むのも面白い気がします。参考までに。
s4redsさん、こんにちは。
コメントしていただけて大変に嬉しいです。s4redsさんの先駆的な三河の低山のルートは今の私にはとても魅力的です。極端な話ですが雪の北アルプスの魅力とは全くちがう匹敵するような新しい魅力の発見でもあります。まるで子供の頃にけもの道の里山の中を歩くような郷愁に似たものも感じます。
私はs4redsさんのファンですよ
小西正継氏は恐そうで近寄りがたく、山岳同志会のイメージは小西氏そのものでしたので、会の活動や小西氏は「別格」のものでした。山岳同志会だから登れるんだと思っていました。とにかく精鋭部隊ですよね。その中でも山岳同志会のジャヌー北壁の成功は素晴らしいものだったと思います。一方、植村は親しみやすく泥臭く、植村の方法で高い山が登れるような気がしてしまったものです。
これからもs4redsさんのルートを参考にさせていただきます。よろしくお願い致します。
yamaheroさん、こんにちは。
実は、私の書庫といっても階段下の段ボール箱を整理していたら山の本がゴソゴソと出てきたので日記にしてみましえた。何年ぶり(何十年?)に見る本たちは昔そのものでした。
yamaheroさんも植村直己から影響を受けた一人なんですね。私もそうです。海外で過ごすときは植村だったらこうしたなどと思ったこともありました。
植村の性格や努力もありますが、幸運ということもありますし、それらの幸運も含めて色々な経歴が結局はマッキンリーまでつながっていくと思うと、何が幸いするか分からない感じですね。その対極が三浦さんの80歳のエベレストのような気もします。どちらにしてもチャレンジする勇気はこれらの人達からもらっていることは確かだと思っています。
コメントありがとうございました。
かつてたぶん10年くらい前に、夢中で植村直巳氏の著書を立て続けにすべて読みました、
今でも私の書庫には、彼の本がいつでも手に取れるところに並んでいます。
エスキモーとの生活はとても興味深く読んだものです。
以来、尊敬する人はと聞かれると何の迷いもなく「植村直巳」と答えています。
ヤマレコで再び彼の事を思い出せて、ホント嬉しい限りです。
遅ればせながら、思わずコメントしてしまいました。お許しを
happymintさん、コメントありがとうございます。
私は植村氏が遭難した時から植村氏の本を読まなくなりました。でも、何十年かたち、このコメント後にやっと今読み返すことができるようになりました。彼が始めてヨーロッパに渡った頃は海外旅行は夢物語の時代でした。そんなときにそれほどの登頂意欲があったのはすごいことだと思います。
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