Wカップでの西野采配に賛否が分かれているが、私にはこんなことが議論になること自体が嘆かわしい。
恐らく日本人の大多数は西野采配に疑問を持っていると思う。しかし、それらを主張しにくい雰囲気があって黙している人が大多数だと思いたい。マスコミも悪い。
”スポーツマンシップとか正々堂々とかは全く無縁で、ルールさえ守っておれば、勝つためにはいかなる手段も許される状態”は認めてはならない。西野采配を認める人は、
『過去に松井選手を甲子園で5連続敬遠した明徳義塾の監督』や全くルール違反ではないが、横綱らしくない白鵬の相撲内容も賛同するのでしょう。もしかしたら、『危険タックルをして相手チームの有力選手を負傷させて、一人の退場で済むならばやろう!』ということも認めるのだろうか?
東京オリンピックの柔道の決勝戦でエジプトのラシュワン選手は山下選手の負傷した足を攻めることを潔しとせず銀メダルに終わりました。私は今でも彼の行動を尊敬しています。
現在、小中学校から各種のスポーツに取り組む子供が増えています。しかし、スポーツによる悪弊も散見されるようになりました。
今回の西野采配も子供たちに悪影響を与えなければ良いと思います。
悪い影響の例を挙げましょう。
近くの競技場で中高生の各種大会がよく開催されます。
・そこでの開会式には、参加しないで周辺で練習や選手同士で騒いでいる選手が非常に多いです。
・競技ではルールを守るが、周辺ではマナーやエチケット無視の行動が多い。
・歩道で対向者のために、道の半分を開けるような配慮はありません。(道幅いっぱいに広がって団体で歩いています。)
・ルール違反でも見つからなければよいという風潮が出ています。(薬物違反や審判の死角の影響でしょう!)
子どもを指導する大人はスポーツの持つ悪い面を日常生活に持ち込まないように厳しく指導すべきでしょう。
球技をはじめ、格闘技など勝ち負けを”争う”スポーツには相手を欺いたり弱点を徹底的に攻める醜い一面があります。これはスポーツの世界だけであって、一般社会には絶対、用いてはいけないことをどのように教えているのでしょうか?
多くの陸上競技や体操など、速さや美しさなどレベルを”競う”スポーツは相手の弱点がわかっても勝負に勝てません。むしろ相手の良い所を発見して、それを取り入れ、より確実にすることが肝要です。しかし、どこかに相手の失敗を期待する醜い心が去来します。本当の一流選手は互いのベストで競技したいことでしょう。
勝者の醜い姿も時折、気になります。行き過ぎたガッツポーズ、そこに至るまでの苦労を考えると、分からないでもないが、そこをある程度堪える度量も一流選手ならば持ち合わせて欲しい。敗者へのいたわりや思いやりは社会での弱者への対応に現れます。
王選手はホームランを打っても、両手を広げますが派手なポーズは取りませんでした。世界記録を樹立したときは、小さくこぶしを握っていたのが印象的です。
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