槍ヶ岳を愛する人には是非読むことをおすすめする一冊だ。
深田久弥著日本百名山に載っている槍ヶ岳の一文もあるが、最も興味を引かれたのは芥川龍之介の「槍ヶ嶽紀行」である。
晩年の名作「河童」には上高地のランドマーク的吊り橋「河童橋」が登場している。
掲載された芥川の紀行文によると、芥川龍之介は島々から徳本峠を越えて上高地に入っている。穂高岳は穂高山と呼んでいる。
嘉門治小屋に泊りヤマメを食している。そして槍ヶ岳(槍ヶ嶽)に登っている。
以下引用
私は時々大石の上に足を止めて、いつか姿を露し出した、槍ヶ嶽の絶顚を眺めやった。絶顚は大きな石鏃(やじり)のように、夕焼の余炎が消えかかった空を、いつも黒々と切り抜いていた。「山は自然の始にしてまた終なり」−私はその頂を眺めるたびに、こういう文語体の感想を必ず心に繰返した。それは確か以前読んだ、ラスキンの中にある言葉であった。
小島烏水の一文から抜粋
尾根の頂上へ出たときは、大斜線の岩壁が、深谷へ引き落されて、低くなったかとおもうと、また兀々(ごつごつ)とした石の筋骨が、投げられて、空という空を突き抜いている、そうして深秘な碧色の大空に、粗鉱(あらがね)を幅広に叩き出したような岩石の軌道が、まっしぐらに走っている。
中略
槍ヶ岳が一穂(いっすい)の尖先(きっさき)を天に向けて立っている。白山が殆んど全容をあらわして、藍玉のように空間に繋がっている。
中略
原始の巨人は鋼鉄のような固い頭を振り立てて、きょうもまた霧の垂幕を背景にして、無言のまま日本の、陸地の最も高い凸点にぬーっと立っている、全能の大部分を傾けて、建設したのではないかとまで、壮大にして不滅に近いモニュメントを、私は覚えず敬虔の念を以て礼拝せずにはいられなかった。
山本茂美の一文では今は表銀座として賑わっている喜作新道が作られた前と後、背景やその経緯が詳細に記述されておりとても勉強になった。
槍ヶ岳好きの私にはたまらない一冊だった。
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