メルカリで処分しようとパラパラと捲ったら、本当に読んだか否か、読んだ記憶が甦ってこなかった。ということで急遽読み直した。
多分二回目の読書だろうが、一度目には感じなかった味わいが沢山あった。
一回目に読んだのは10年くらい前ではなかろうか。
トムラウシ山・大峰山・高妻山・伊吹山・祖母岳・阿蘇山・塩見岳
など、一回目に読んだときには過半の山はまだ私自身登っていなかった様な気がする。ということであまりリアリティを感じないまま読了したのだろう。
幌尻岳・太郎山は当時としては遠い存在で登ろうとは思っていなかったのであったが、今は、今年こそ四度目の挑戦、幌尻岳に絶対に登りたい、太郎山も三百名山の一座として登りたいと計画を具体的に組んでいる。
それぞれの山に対する私の姿勢や経験が大きく変ったことで、同じ文章でも初めて読んだような味わいを感じたのではなかろうか。
この一冊のなかで「山によせて」の章は、特に最近山登りを始めた人に読んで貰いたい章だ。
日本人の山への接し方の変遷や、海外での登山との違いなど、今に至る登山の歴史が俯瞰できるからだ。
皮肉なのは次の件(くだり)だ。
人の真似をしないというのは、何でもないことのようだが、実行は難しい。流行は真似によって成り立つ。中略
登山も同様である。中略
流行の山が出来て、みんなそこへ押し寄せる。中略
真似に寄らず、独創的な山登りをする人が少なくなった。中略
有名な山へは絶対に出かけない人がいる。中略
登山は見せびらかしでもなければ、記録の樹立でもない。要は自分の精神のカテになるものを得てくればいい。後略
人真似の登山はよろしくないと書いている。
深田久弥が日本百名山という本を書き、今その百名山のピークハントを目指している独創的でない登山者がこれ程多くなり一大ブームとなっている。
これこそ人真似登山の典型ではないか。
この人真似登山ブームを作り出したのは、深田久弥の日本百名山に寄るところが大きい。
独創的な登山を讃えていた深田久弥だが、人真似の登山者が溢れかえっている現在、その状況は自身の決めた日本百名山によるところが多いというのは、大いなる皮肉ではなかろうか。
とはいえ私もその一人、深田百名山のお陰で日本全国を経巡ることが出来て深田久弥氏に大いに感謝している。
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