8月3日から3日連続で羅臼岳・斜里岳・雌阿寒岳と百名山ピークハントをした山旅の時だった事が分かりました。
当時は串田孫一ワールドに少し惹かれ始めていた頃で、この地を訪れた記念にとこの一冊を買い求めたのでした。
北のアルプ美術館はひっそりと静かに佇んでいて、来館者も少なくゆっくりと館内を巡ることが出来たことを思い出します。周囲の庭を散策もしました。とても心が落ち着きました。
その時に不思議に思ったのは、串田孫一さんに関連する様々な物や移築された東京にあった書斎や仕事部屋が展示されていた以外に、大谷一良、三宅修、山口耀久、尾崎喜八、深田久弥等々、知っている人も一部いたものの多くは知らない方々の物や作品が沢山展示されていて、これらの方々は一体どんな方々なのだろうということです。
この一冊を読むと、串田孫一さんと色々な側面でご縁のある方々で有ることがよく分かりました。
串田さんの山の紀行文や独特の詩、そして本の挿絵の水彩画が良い感じだなと思って「山のパンセ」などの書籍を読んではいましたが、時折出て来る何処の山のことだろうという夢のような記述、或いは哲学的な話やクラシック音楽のことが出て来ると読み飛ばしていたものです。
実はパンセはフランス語で思索のことであることを最近知ったばかりです。妻が着ているトレーナーにフランス語で(Pensées)と書かれているのを見て、パンセって何のことだろう、山のパンセという本を読んだことがあるなあと思い出して調べてみて初めて知ったのです。トレーナーの胸の箇所に漢字で「思索」「考える」と書かれていたら自分なら着ないなぁと思った次第です。
話を戻しますが、串田さんの本は北のアルプ美術館を訪れる前に何冊か読んでいましたが、紀行文はあまりなく山に登って感じたことを詩的に綴った文章が多いので、百名山ピークハントに勤しんでいた私には正直なところあまり強く興味が湧いていませんでした。
この本は串田孫一さんという魅力的な人を多面的に知れる一冊です。
編集後記にから抄出します。
2005年7月8日に串田孫一さんが亡くなって、まもなく三回忌をむかえようとしている。逝去後に多くのメディアが串田さんの業績を讃える特集を組んだが、多面的なこの人の全体像が、これで明らかになったとは思われない。串田さんは哲学者であると同時に文学者であり、広い領域にわたる多彩な文章を遺した人だけに、まだ語られるべきいくつもの面が遺されている。生前の串田さんを知る人たちに、それぞれの串田像を語ってもらい、多面的な視点からこの人の実像を浮き彫りにしたい−そういう意図のもとに、この本が編まれた。
私は2019年8月にこの本を購入直後、興味のある部分を斜め読みしただけでしたが今回改めてこの本をゆっくりと通読してみました。
確かに多面的で魅力的な、そして羨ましいくらいに自由に生きた(自由に山を登ったり思索にふけったり音楽を奏でたりした)串田孫一さんのことを知ることができた一冊でした。
パンセが思索、其の語彙をさらっと書籍名に使うなんてとはさすがフランス哲学者です。私は産経新聞で知ったフランスの哲学者であるモンテーニュについても造詣が深いそうです。でも山のパンセという表題は、実は串田孫一さんが思いついたのでは無いこともこの本を読むと分かります。
気持が荒んだときには、また串田孫一さんの未読の書を入手して読んでみようと思います。
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