9月27日以降の他の方々のヤマレコを偶々読んで山頂解放のことを知り、山頂を踏めるのならば登りたくなった御嶽山である。
信仰の山への慰霊登山である。
御岳ロープウェイの鹿ノ瀬駅駐車場は想像以上の台数の自動車で埋まり、チケットを購入の長蛇の列は牛歩の進みだ。
1,000人位は並んでいる。
早朝4時過ぎに自宅を出発したが、もっと早く出発しないといけなかったのか。
ピーカンの青空の御嶽山の山裾で並びながら、山頂からの展望も含め、今日の登山への期待に胸をときめかせていたのだが、前後の登山者からの情報が次第に入ってくると動揺し始めてしまう。
現在8時、お昼12時で山頂解放が締め切られるということ、さらに9合目あたりのチェックポイントで山頂への登頂を制限する運営がされていること、そのチェックポイント通過が12時なのかそれより前なのか等々だ。
何だ、それは。
知らないことだらけだ。
山頂解放が12時までとは知らなかった自分に焦りが出てきた。山頂に登ることができなければ9合目までは常に解放されているのだから今日でなくても登れる。だから山頂に登られなければ今日来た意味がなくなる。
ロープウェイ山頂駅から御嶽山山頂までのコースタイムは2時間45分、自分の登りは通常コースタイム×0.7から0.8だから2時間位で登れるはずだ。11時過ぎにはチェックポイントを通過できる。
ロープウェイに乗る待ち時間は約30分程度、9時少し前に飯森高原駅に到着する。
コースタイム通りで登れば11時半前には山頂だ、間に合う、楽勝だと思いながら登り始める。
最初は渋滞もなく思ったより自分のペースで登れる、しかしその状態は30分も続かない。
ゆっくり登っている登山者が多くなる。
年配者や登山慣れしていない人達が増えてくる。
詰まる。
申し訳ないが登山道の端を「済みません」「抜かせていただきますね」等々と声をかけて抜かせてもらう。
10時頃からはそれも難しくなってきた。登山者で道が溢れている。
二重の列の渋滞が山頂まで続いている。
その脇を抜けなくなる。
抜いていく人を叱責する人がいる。渋滞の先頭を作ってしまっている歩みの遅い登山者を「遅い人は後ろに道を譲れ」と叱責する人もいる。
楽しくない登山になってきた。剣呑な雰囲気が漂い始める。
しかしどうしても私は山頂を踏みたい。
並んでいれば全員山頂へ登頂させてくれるだろう。我慢して並ぼう。
立ち休憩しているのとほぼ同じ、牛歩のような登山になって足には楽な登山である。
しかし暫くするとまた違う情報が人伝いに入ってきる。
9合目のチェックポイントを11時に通過しないと山頂を踏めないそうだ。
エッ、何だって。本当か。もう10時半近いぞ。
このまま牛歩を続けていたらとても11時にチェックポイント通過は叶わない。
自分の心の中で葛藤が始まる。並ぶべきか、無理をしてでも山頂に行くべきか。
10時半を過ぎてから小走りに登山道の脇を登って渋滞の列を抜き始める登山者が増えてきた。心苦しいが登りたい。私も同じく脇を駆け上がる。
黒沢十字路、9合目のチェックポイントを通れたのが11時の僅か1分半前だった。
登山で秒単位を気にすることは初めてである。
しかし通過できて本当に良かった。自分の後ろ30人位でシャットダウンされた。
人間は最後には自己中心に陥るのか。これでは慰霊登山の欠片もない。いや、慰霊登山したいから無理をしたのだ。
雲一つない青空をヘリコプターが旋回している。
下方に雲海が広がっている。乗鞍や北アルプスも見えている。
剣ヶ峰の山頂へ残り100メートルだ。
遅々として列は進まない。
山頂標柱と記念写真を撮るための渋滞だ。しかし足切はもうないので素直に渋滞に並んで待って登る。
5分程度で登れる道程を30分かけて剣ヶ峰へ辿り着いた。
山頂付近はまだまだ噴火の爪痕だらけだ。
解体中の山小屋、捻り曲がった手すり、首の飛んだ像等々、何といっても火山灰で埋まった一ノ池は作業中の解体ビルの中のようだ。
彼方此方に置かれた慰霊碑が新しい。古い石碑は灰に埋もれている。
唯一二ノ池の小屋が再開に向けて修繕中で、ヘリコプターによる荷揚げもしきりだ。
山頂に漸く着いたが、展望や記念写真を撮るのもせわしく追い立てられ、早々に山頂剣ヶ峰から撤退する。
12時には山頂から人を出したい運営のようだ。早く下山することを促すかのよう、山頂付近に滞在している登山者を係りの人が後ろ手ですっくと睨めつけている。
山頂から下山時には、先ほどの喧騒は何だったかのように人が少ない黒沢十字路に変貌している。
一ノ池はすべて火山灰で埋まっており、二ノ池も4分の3は火山灰で埋まっている。
一ノ池から二ノ池へ、そして賽の河原を通り摩利支天山へ急ぎ下っていく。足元には火山灰を踏みしめ歩く。
近年最悪の噴火による災害の慰霊登山には、この気持ちの良い好天が何か申し訳ないような気がするほどの日本晴れだ。青空の透明感が高い。
展望台に登り、さらに摩利支天山のピークを踏みに行く。
意外と時間がかかる。
もう渋滞はない。しかしアップダウンが意外とあり時間がかかる。
最終のロープウェイの時間を気にしながら摩利支天山へ向かう。山頂付近で行き会って山頂標識との写真を撮ってくれた方が、ロープウェイに間に合いますよね、と心配しながら先を行く。
摩利支天山で少し食事をしながら休憩のつもりだったが、パンを飲み込むように胃に押し込んだだけで摩利支天山から帰路を急ぐ。まだ1時過ぎだ。それほど焦る必要があるのか。
結果的には十分間に合ったのだが、やはり覚明堂から先は下り渋滞がところどころ発生し、時間が読めなくなる。が登りとは違い、ゆっくり下るグループはスルーさせてくれるケースが多く、ストレスは登りの時ほどはない。
八合目女人堂に2時半過ぎについた頃からは、ロープウェイ最終便(4時)に間に合うことを確信し、溶岩のスラロームの中の紅葉や周囲の景色を楽しむ余裕が出てくる。
一回り小さな富士山の雰囲気だ。サラサドウダンツツジの紅葉、ナナカマドの紅葉も鮮やかだ。
登りでは余裕がなく眺めていなかった多くの霊神碑や鳥居、像を眺め文字を読むことが下りではできる。
信仰の山である。改めて、古来の信仰の山であることを強く感じた。
4年前の噴火の鎮魂だけでなく、過去何度も噴火し自然災害に対する恐れを人々に与えてきた山だ。その火山がふもとの人々に様々な恵みも与えてくれている。豊富な水や温泉だ。火山であること自体が観光資源でもある。
3067メートルの御嶽山は隆起ではなく独立峰の火山として形成された山だ。
御岳ロープウェイの山頂駅や山麓駅で山バッヂが売れきれだということも、過ぎ去った喧騒を実感させてくれた。
ホテル木曽温泉の日帰り温泉で、御嶽山の恵みの一つ、温泉につかって汗を流し、今日のような忙しい登山はもう懲り懲りだと思いながら、小さな達成感とお湯につかっている私であった。
この日登られた方々は慰霊を込めた登山の方が多かったのでしょうが、なんとも後味の残る登山となったのですね。
まだ登ったことがありません。この山にちなむ本を読んでから行ってみたいと思います。
確かに悪い後味の残る山旅でした。
日本百名山を始めた頃、いつまた山頂に立てるかわからないので、どうしても山頂まで登りたかったのです。
自分がちっぽけなエゴイストだと強く認識した山行でした。
また改めて登り直したい一座です。
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