飛龍山(ひりゅうさん)、何とも素敵な山名ではないか。
飛龍(ひりゅう)、龍が飛ぶ姿を髣髴させる山容とはどのような山容の山なのか、山容を眺めたことのない人はとても山名に興味がわくことだろう。
私は、逆であった。
雲取山へ登る都度、石尾根から見えるどっしりとした山容は渋く趣がある。あの山は何と言う山なのか、と山の名を知らずに眺めていた。二度目の雲取山登山の際に山と高原地図を開き山座同定し、その山が「飛龍山」であることを知った。
なるほど山頂を頭に見立て両羽を広げ翔こうとする鷹のように見えるが、寺の天井や襖に描かれる想像上の生き物である龍ならば、くねくねと前飛龍を頭に山の端を這っている姿に見えなくもない。
調べると山容は関係なく、飛龍権現が祀られている山だからとある。山梨県北都留郡丹波山村にある飛龍権現神社からきているとのことだ。
確かに三條の湯や笠取山への分岐点、飛龍山山頂手前に石の祠があったが、それが飛龍権現神社のお社だそうだ。
奥秩父から奥多摩の主脈上に飛龍山はあり、山梨県側での呼び名が飛龍山、埼玉県側では大洞山(おおぼらやま)と呼ぶ。
平成30年11月24日(土)の晩秋、飛龍山に日帰りで登ってきた。
私は東京都の最高峰である雲取山に、晩秋から初冬の季節に恒例行事として登っている。
心の中に、自宅マンションの位置関係からして丹沢と奥多摩が地元の山として位置づけられており、雲取山はその中の百名山の一座である。
この11月の時期、アルプスや標高2500メートル以上の山々が雪に閉ざされてしまうので、いわゆる冬山には登らない僕としては、その時期に地元の低山に登っているのだ。
自宅マンションはA棟5階の一角を占め、丹沢山塊を正面に望める南西に窓が開いている。2012年から山登りを始めるようになり、今まで富士山以外興味のなかった連嶺が、最近はあのピークが大山(おおやま)、その隣が塔ノ岳へ続く各ピーク、そして丸みを帯びた丹沢山、その隣に大きな丸い背を見せている不動ノ峰、そして丹沢山塊での標高最高峰の蛭ヶ岳、姫次(ひめつぎ)のピークだと一座一座を認識し楽しむようになっている。
さらに蛭ヶ岳の右手に富士山の白い嶺がはっきりと見えている日は気分爽快である。
通勤途上、京王相模原線が多摩川を渡るあたりでは、奥多摩の峰々が遠望できる。奥多摩三山や雲取山も指呼できるのだ。ただ、いまだに飛龍山のピークは認識できていなく残念である。
私はほぼ毎年、丹沢山塊では蛭ヶ岳や丹沢山、檜洞丸等々、また奥多摩では雲取山を主に晩秋から初冬に登っている。
平成30年の百名山ピークハントは季節的に終了なので、年末にかけ地元の雲取山に登ろうかと計画を立て始めたのだが、いつものルートではもう興味がわかない。今回は三峰神社への縦走としようか、はたまた三条の湯に泊まって飛龍山経由雲取山にしようか、あれこれと考えて時刻表を調べてみた。
地元の山に登るときは、極力公共交通機関のみでの計画を組むようにしている。それは妻の仕事の関係上、土日のいずれかで妻が通勤で車を使用する。自分が趣味の山登りに一台しかない車を使って、仕事に行く妻に不便を掛けたくないからだ。
飛龍山は、雲取山へ鴨沢から登る際に石尾根あたりから左手に羽根を広げた鳥のような姿に見え眺めていた山である。いつか登ってみたい山の一座であった。
あれっ、電車とバスで行けるではないか。
朝、自宅から奥多摩駅にJRで行き、西東京バスで登山口の丹波(たば)に向かい、飛龍山へ登って降りてきて、また西東京バスとJRとの利用で自宅へ帰れることがわかり、急遽、雲取山登山は止めて、代わりに飛龍山登山に計画を変更したのだった。
丹波から日帰りで飛龍山に登っている方々のヤマレコを読むと、皆自家用車利用で「道の駅丹波」を基点に飛龍山に登っている。バス利用での日帰り山行のヤマレコ例がなく、季節は日照時間が短い初冬なので少し心配だったが、標準コースタイムの0.7で踏破すれば日没前の4時過ぎに下山できるだろうと気楽に考え登り始めたのだった。結果として甘い考えだったことになった。
丹波バス停から飛龍山登山口の取り付きが一寸わかりにくい。
バス停には登山ポスト、トイレの設備のほか、大きな登山ルートが記載されている看板があり、それを見て、少しこのまま前方に道路を歩くと取り付きがあることが漸くわかって行動が開始できた。
天気は快晴、青空に雲も殆ど見えない。
取り付きを右手に折れて登り始める。
登山道の最初は、地場の村民が耕作する畑の中の道、作業用の道だ。申し訳ない気持ちで通る。斜面の畑には立派な白菜やら葱やらが収穫前だ。農家の方々の通り道を登山道として使わせてもらっている感じだから申し訳ない気持ちになる。
育てた作物を獣に食べられないようにするのは大変だろうな。この電気を通した金属製のネットも、以前に比べて頑丈に変わっている。登山者には決して触れないよう注意書きがある。
九十九折、急坂な登山道を黙々と登って高度を稼ぐ。
尾根に上ると広々とした尾根道に変わる。が、倒木と枯葉で覆われた踏み跡の薄い登山道は、気を許すと見失いやすい。
少々の道迷いを起こしながらも前飛龍に登り立つ。
前飛龍にはひとつの岩塊がどんと座しており、石尾根から見た飛龍山では左肩にあたる部分になる。周囲の展望は、この前飛龍の岩塊によじ登って楽しむのが最高である。
今回の飛龍山登山では此処からの眺望が一番であった。
素晴らしい眺望の代わりに、冷たい初冬の風の洗礼を受けることになり、10分も立っていられなく寒い。
これから向かう飛龍山の山頂は木々が常緑針葉樹なのではっきりと見えない。登ってきた尾根が良く見える。急坂だった証拠だ。
奥秩父の峰々、笠取山、和名倉山・・・。
指先や背中が冷えてきたので、早々に飛龍山山頂へ向かう。後どれ位かかるのだろうか。
予定より1時間位の遅れで前飛龍へ到着している。日没が気になりかけてきた。
すぐ先に飛龍山のピークがあるように思えるのだが、小さなアップダウンを繰り返しなかなか着かない。
登山道幅が狭く、霧氷のコメツガの針葉に触れるとザザッと氷の粒が背中に落ちてくるのがやっかいで、垂れ下がっているコメツガの針葉に触れないように時に背をかがめて歩く。テンポ良くは歩けない。
登山口は畑が広がっていた。檜の植林帯を登ると、元々の広葉樹林帯に変わる。
前飛龍からの尾根は針葉樹林帯が山頂まで続くが、広葉樹林と針葉樹林の混合森林である。
潅木は馬酔木や石楠花、躑躅が多く、途中鞍部では笹原もある。この笹原は生態系の変化の途中だろうか。雲取山も笹原が増えていっているが、ここの笹原もそうなるのか。
いずれにしても森林限界には到達しない
山頂は広葉樹林に囲まれており、眺望は全く無い。
60リットル以上の大型ザックを担いだ若者と行き会った。前飛龍から飛龍山への途中で身軽な私が彼を追い抜き、飛龍山山頂で自分撮りの為にカメラを三脚に設置しているタイミングでまた彼が追いついてきた。
彼に頼み、山頂標柱との写真を撮ってもらった。
こういった具合に、出会った見知らぬ登山者と二言三言会話を交わすことが山の楽しみの一つである。
「此方に三角点がありますよ」
「そうですか。あとで私も行って見ます」
「三條の湯方面へはどこを下っていけばいいのでしょうか」
「私も通ったことが無いのですが、地図上破線になっているので不明瞭なのではないかな」
「そうですか。これから貴方はどちらへ」
「私は日帰りで丹波へ戻ります。貴方はどちらへ」
「尾根へ直接下る破線ルートを行って見ます。それから雲取山へ行こうかと思っていますが、状況によって三條の湯に泊まるかもしれません」
「そうですか、これから雲取山に行くのですか。お気をつけて」
私は今回が初めての飛龍山登山、確かに三條の湯と飛龍山山頂とをつなぐ直線ルートは地図上破線であり、尾根道に乗るためには一度分岐点に戻るのが安全だな、と事前に考えていたことを思い出したのだが、実際に通っていないので何とも言えない。
地図上破線ルートでも、マーキングや踏み後がはっきりしている場合もあれば、確かにルートファイディング力が必要な場合もある。
彼はきっと無事に三條の湯もしくは雲取山に行けるだろう。迷いが全く感じられなかったし、とても爽やかな印象の青年だったからだ。
私は飛龍山山頂から前飛龍に戻り、サオラ峠、登山道の分岐点で日没を迎えた。
大菩薩の山の端に日が沈んでいく。午後5時である。
晩秋の日没は釣瓶落としだ。12月25日頃をピークに日照時間はもっとも短い季節に
突入だ。
まだ周囲は残照で明るい。がすぐに薄暗くなり、あっという間に真っ暗になることは必定だ。まだ手元が良く見える今、暗闇の中を歩く覚悟を決めることと準備が必要だ。
水分補給、ヘッドライトを装着し、道迷いに備え山と高原地図のスマホアプリを起動させバッテリー充電始める。
登ってきた樹林帯の道を降りていけば道迷いも絶対にしないし登山口に早く着く。とはいえ面白味に欠けるので、真っ直ぐ天平尾根(でんでいろおね)を進む。
登山に必要な絶対的要素は「勇気」である。計画の実行、撤退や停滞を含めもっとも大切な要素は「勇気」だと思う。
進むことのみが「勇気」だとは思っていない。諸変更や撤退も「勇気」である。
今日の「勇気」は小さな「勇気」だがワクワクする「勇気」だった。それは真っ暗
な初めての登山道を選ぶことであった。サオラ峠での決断である。
ヘッドライトを点けての山歩きは、慣れが必要だ。
怖くて避けようとすれば避けられる。そういった時間帯が必要な計画を立てなければ良いだけである。しかし体調不良や天候不良による想定外のヘッドライト歩きに陥ることも登山にはまま考えられる。
経験値を積もう。行こう。
薄暗くなる前に、ヘッドライトをオンにした。
まだ残照の中を歩いているため、ヘッドライトの効果は殆どない。点いているらしい、と認識できる程度の効果だ。
コナラやミズナラ、ブナやクヌギもあるのだろうか。足元は枯葉の絨毯のようだ。カサカサとした乾いた音が余計物寂しさを助長する。
丹波天平(1342.9メートル)の三叉別れを右手に降りると植林の黒木林に入る。
途端に真っ暗な世界に突入だ。ヘッドライトなしでは歩けない暗さだ。
ヘッドライトの灯りを頼りに下る。下る。
辺りは真っ暗だ。
真っ暗だとどうして心細くなるのだろうか。
初めて歩く登山道は、明るい日の中でも緊張する。緊張して歩く。
まして、初めて歩くルートを選び、真っ暗な中を歩いていく。
(大丈夫だ。問題ない。)
道は大きな九十九折に下って続いていく。
下っていく登山道は枯葉に覆われていて土の法面は見えない。これも不安材料のひとつになる。
今年(平成30年)は台風や豪雨災害の多い年だった。
市街地でも関西を中心に大きな被害が出た。
今回の山行でも倒木について考えさせられた。
登山道近くに倒木が多いのは、登山道そのものの危険性の表出である。
登山道が切り開かれたお陰で、登山道近くの高木は、根を十分に張れないまま立つ状態に晒される事になる。
さらに登山道は雨水の通り道となり、雨が降るごとに登山道を水が流れ川状になり、土が流されて次第に登山道は抉られ、さらに木々の根元は露出していく。
台風の大風は山全体にぶつかるが、森林限界以下の標高では、尾根が風の通り道となることが多い。
森林限界とは雪または風のため木々が生育できなくなる境である。今日の山は森林限界以下の標高の山であるから、山全体が木々で覆われている状態が自然である。
しかし登山道のすぐ傍では倒木が沢山見受けられた。
登山道周辺も木々の密集具合が下がり風の通り道が出来やすいので、余計木々に負担がかかるからではないのか。
兎も角、今年の秋の登山道には倒木が多い。
多くはまだ手付かずのままである。
登山道が倒木でさえぎられている箇所が例年になく多い。
丹波天平からの真っ暗な九十九折の登山道でも二箇所、大きな倒木で道が遮られていた。
数ヶ月もすれば迂回路の踏み跡が出来てきて、迷わない。乗越すことに苦労はそうない。さらに登山者の多い道では、地元の登山会や山小屋の方々が、登山者が通りやすいように倒木を人が通れる分切り明けてくれたり、倒木を動かしてくれたりしてくれる。そういった箇所を通るたびに、「ありがとうございます。」と感謝の気持ちを抱きながら通るのだ。
この二箇所の倒木を越えていくのには難儀をした。
真っ暗な中、斜面の道だ。下手に迂回すると滑落も有りうる。
枝の上を越したり、中に分け入ったり、倒木の少し下を滑落しないよう枝を掴みながら迂回したり、苦労して乗越した。
のっこしている時が一番心細かった。
ここで負けるわけには行かない。戻ること選択しには無いのだから。
擦り傷くらいですんでよかった。
小学校の明かりが見えてきた。
九十九折の登山道は、小さな渡渉の先に小学校の裏門へ続く。
裏門の鍵を開け、小学校の敷地を通ると、やあやあ、無事に登山口に着いた。
人は一人として歩いていない深閑とした小学校、さらに下ると多摩湖畔の自動車道路に辿り着いた。時々自動車が通り、ガソリンスタンドの灯りがとても文明の灯りの象徴に感じられる。
小さな、小さな危機だったが、その危機から脱出できたのだ。安堵感に浸る。
「無事帰還したぞ。」
ヘッドライトを点けての登りは、今年、富士山や五竜岳でも経験したが、周囲に誰もいない深閑とした真っ暗な登山道を下るのは久し振りである。
いつだったか西丹沢の檜洞丸と蛭ヶ岳を神ノ川から周回した時以来だ。あの時はまだ腸脛靭帯をケアすることを知らずに、両膝外側の激痛で下るのに一苦労したなぁ、と真っ暗な中を膝痛と格闘したことを思い出していた。その時も真っ暗な暗闇の中を歩き通したので、本当に心細かった。
日帰り温泉による時間も無く、ボディシートで頭や体、顔を拭き、着替えをして奥多摩駅行きの西東京バスの最終に乗って帰った。バスには三條の湯帰りの方々が一緒に乗り込んだ。バスに乗りながら、早くお風呂に入りたい、焼酎のお湯割を飲みたいと思いながらウトウトしてしまった。
倒木を乗り越えながら真っ暗な登山道を2時間位下ったちょっとした冒険、ワクワクでドキドキしたものの、少しの「勇気」で無事下山することによって得られた安心感と達成感に浸って、奥多摩駅から青梅線で帰路に着いた。
https://www.yamareco.com/modules/yamareco/detail-1660296.html
物語を読んでる様でとても読み応えある日記で思わずコメントさせて頂きました。私も今年公共交通機関で飛龍山に登ったのですが雲取山荘でテン泊したので2日間かけてです。この日の短い時期に公共交通機関で日帰りで!?すごいです。レコの方も拝読しました。暗くなるととても不安ですよね。でもまた経験が増えて山への向き合い方にもプラスになりますよね。飛龍は山頂は地味でしたがとても歩きごたえがあり、とても良い印象を持ちました。来年は辰年なので竜ヶ岳は大人気になりそうですが、飛龍山にも来て欲しいですね。
お疲れ様でした。
実は今年、南アルプスでの山行では5時間もヘッデンで真っ暗な中を歩いたのです。夜歩くと昼とは違う感覚になります。怖さもありますが、良さもあると最近は感じています。
椹島からの周回山行です。
https://www.yamareco.com/modules/yamareco/detail-5926437.html
最近はブラックスタートに慣れてきたのでヘッデンももう少し性能の良い明るい物に買い替えました。
とはいえ初見の登山道でのヘッデン使用は、いつも緊張します。
雲取山荘でのテン泊も寒かったことでしょう。お疲れ様でした。
飛龍山は山名も含めて好きな山です。
竜ヶ岳も真冬に登りましたが良い山でした。五竜岳も良かったです。竜の付く山は多そうですね。
ありがとうございました。
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