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ここ6,7年まえくらいからか、地味な色(黒、アースカラー、それらを上下単一色でまとめるとか)で山に入る人が増えた気がする。
街中とかゲレンデとかでは自分を表現することは当たり前に自由なのだが、山となると、目立たない色=他人の意識に残りにくい、万が一に見つけられにくいというリスクがあるように思う。
いきなりですみませんが、少し「意識」の話をしたい。完全に私見ですが、量子力学の粒子と波動の二重性という話を聞いて、だったら我々も多分波動であり、粒子であるのだと思う。
養老孟司さんが、脳梗塞を起こして意識が遠のいた人の話として、自分自身が溶けて宇宙と一体化した感じで気持ちがよかったという話をしていたので、我々が粒子としての状態を認識しているのは「意識」というものなのだと思う。目が覚めている時間は意識も働いているのでいわゆる日常の景色がいつも見えているけど、例えば寝ているときは波なのかもしれない。わからんけど。
それはそうとしても、多分、我々の社会を動かしているのは人々の意識であるのは間違いないと思う。我々は意識でつながっている。
だから、山で地味な服装をして、人の意識に残りにくいというのはリスクだと思う。すれ違った人が下山した後で「あの赤いTシャツの人、頂上まで元気に行ったかな。」とか意識してくれただけでその人は安全になる。遠くに歩いている人、冬山で滑走している時も目立つ色の服を着ていれば目につくので、その時点で他人の意識に入る。それは安全なことだ。逆に保護色になってしまい目につかない場合、他人の意識に入るという安全チケットを受け取れないことになる。それは少なからずリスクになる。意識される量は多ければ多いほど力が強いので、家族や友人が知っていてくれる+山で会った人にも意識される、ほうがより安全になるのだと思う。
そういう考え方をしているので、山の中でなんか見分けにくい人とかを見ると、勝手にモヤモヤ気になったりする。
結局それぞれの人の自由なのでこういう話にまとめは難しいですが、山では目立つ服装に意味があるんではないかなという独り言でした。
人の服装のカラーについてを読んで、私も日頃思っていることを書きたくなりました。山の中や街中でも、今や黒色がほとんどです。リクルートではまず面接に行く若い人は黒のスーツです。面接官も黒、変人と思われるたくないのでしょう。さてサラリーマンはスーツからカバン、コート、靴すべて黒、とにかく目立ちたくないからでしょうか?IT関係の方は比較的ラフと思います。ビルゲイツがスーツを着たのは映像にありません。とにかく黒を着ると、「私は変人ではありません。皆様と同じ人間です。」と思っているのです。自分に自信がないのです。もっと自信を持つてもらいたいです。こんな事で独創的な仕事ができるのでしょうか?日本が良くなるのでしょうか?夏になるとほっとします。白いワイシャツが上半分になるからです。40年以前はデパートと銀行のサラリーマンが黒のスーツで、普通は、結婚式と葬式だけ黒のスーツでした。私も周りも紺色、茶、グレーといろいろでした。今や街中が黒なので風景が暗くなりました。黒がおしゃれと思っている人もいるのでしょう。官僚や会社の管理職の意識が変わらねば、この風潮はなくならないでしょう。
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