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Day0:自宅からルートイン糸魚川 2024.7.27
ワンウェイソロ縦走は、移動に公共交通機関を使うしかない。
去年、バスタ新宿から中ノ湯(焼岳登山登山口)までさわやか信州号スタンダード(4列シート)を利用した時は地獄だった。まず、シートが狭すぎる。また、リクライニングが十分にできないためか、頭の位置が安定せず(頭が前に垂れてきて首が痛くなる)全く寝られない。おまけに、そもそも新宿から上高地エリアは近すぎるので、本来は夜行バスには向かない。よって、無意味に時間調整が入ったり、無駄に3回(うち1回は降車不可)もSAでの休憩が入ったりして、その度に眠っていたとしても多分起こされる。(ちなみに、今回の帰りは上高地バスターミナルから新宿までさわやか信州号グリーンカー(3列シート)を利用した。これは4列シートより2,000円高くつくが、快適度は3倍いい。もし空きがあればグリーンカー一択である)
今回の往路の移動は、北陸新幹線はくたかを使った。これは極めて快適だ。JR西日本のWester会員登録すれば、手持ちのモバイルスイカでタッチ&ゴーでき、何回でも乗車列車の変更可能だ。また、新幹線なのでシートも広く、時間も東京駅から2時間強だ。自宅の最寄り駅から新宿駅までも東海道線のグリーン車を使ったので、ストレスフリーだった。(ちなみに、この時遅ればせながら気付いたが、JRのグリーン車の休日料金制度は半年ほど前に廃止されていた)
糸魚川の町に降り立つと、相変わらずあまり人がいなかった。去年、駅の近くを歩いた時も、殆ど誰も町にいなかったことに驚いた。駅から西に15分弱歩き、ルートイン糸魚川に到着した。あまりの町の寂れっぷりに、「明日の朝ご飯を買えるコンビニもないかも...」と危惧したが、ホテルのすぐ近くにマルニハピーというスーパーがあって安堵した(ちなみにコンビニは駅の構内にしかなさそうだった)。ホテルは基本普通のビジネスホテルだが、客室、ロビー、浴場(扉の外側に貴重品ロッカーあり)などどこも清潔で全く問題なかった。ちなみに料金は「Net DE 早割 10日前プラン(朝食サービス)」で9,100円だった。(朝食のビュッフェは6時からで、早出の登山者は食べることはできないだろう)
2時半くらいにチェックインし暇だったので、グーグルマップに表示があった「日本海展望台」に夕方行ってみた。ホテルから北側に歩き海岸沿いの道路に出て、糸魚川駅の真北辺りまで東に歩いた所にある。2階建ての建造物で、階段で上まで上がると日本海が一望できた。波打ち際には大量のテトラポットが置かれていた。今日は天気が良かったが、少し前にヤマテンから大荒れ情報のメールを受け取っていた。
29日(月)から30日(火)にかけて、梅雨前線が津軽海峡付近から東北南部、北陸地方へと南下していく見込みです。このため、29日は東北の日本海側の山岳で、30日の午前中は新潟県や北陸地方の山岳と中部山岳で風雨の荒れた天気となる恐れがあります。前線の活動が予想より活発になると、東北の日本海側や新潟県、北陸地方では平地を含めて大雨になる可能性もあり、今後の最新情報にご注意ください。
そう、僕は今新潟県にいて、ここはまだ梅雨が明けていないのだ。美しい日本海を眺めながらも、先行きに不安が募る。「今回は停滞もやむなしなのかなぁ...」。そこからの帰りは、海沿いの道ではなく、適当に町中を通ってホテルまで歩いた。キターレというキレイな無料の休憩スペース(コミュニティセンター)があったり、おしゃれなレストランも多く、駅前よりも栄えているようだった。ホテルに戻り、今日2回目のお風呂に入り汗を流し、ロビー横のレストランで軽めの夕食をとった。オリンピックが始まっているようだったが、明日の準備をして早めに眠りに就いた。
Day1:ルートイン糸魚川から白鳥小屋 2024.7.28
タクシーが来るのは6時の約束だったが、「もしかしたら少し早く来てくれるかも?」と期待し、5時半過ぎにはロビーに下りた。ロビーのソファーにザックを下ろし、タクシーを待つ。待っていると、朝のランニング帰りか何かの男性が外からロビーに入ってきた。僕のでかザックを見て、「栂海新道ですか?」と話し掛けてきた。
彼も登山をやるようだ。話している中で上高地まで行くことを伝えると、彼は驚きながら「ちょっとザックを持たせてもらっていいですか?」と聞いてきた。「どうぞ」「25キロくらいですか?」「いえいえ、軽量化しているので20キロないですよ」。やはり、超長期縦走だと先入観として25キロくらいのザックを想定してしまうようだ。彼は今回は登山でこのホテルに滞在しているのではなさそうだ。栂海新道に行かないのにここに宿泊する意味って何なんだろう?他に選択肢がないからなのか、このルートイン糸魚川は意外に繁盛していた。他にも夏休みの小学生の家族、若者のグループ、年輩の夫婦と色んなタイプの宿泊者を目にした。僕には糸魚川と言えばフォッサマグナくらいしか思い付かないのだが...。
6時のぴったり5分前にタクシーが車寄せに到着した。外を頻繁にチェックしていたので、それにすぐ気付いた僕は、ザックを担ぎ車寄せに歩いて行った。名前を告げ、早速タクシーに乗り込んだ。運転手さんは、「テンケンですよね?」と僕に聞いてきた。「点検?」と意味が分からなかったので、「テンケン?」と聞き返すと、「あ、親不知です」。地元の人は親不知のことを「天険」と呼ぶらしい。「はい、親不知の栂海新道登山口までお願いします。親不知観光ホテルの向かいです」。車で走りながら、「ルートイン糸魚川からタクシーで栂海新道登山口まで送ってもらう登山者多いですか?」と聞いてみると、「あんまりいないですね。糸魚川駅から乗り合いのジャンボタクシーを使う人はいるようですが」という。そういえば、ホテルのロビーに僕と同じようなテン泊装備のソロの女性がいたが、彼女はホテルから糸魚川駅の方へ歩いて行った。後でネットで調べたが、単独ではあまり使えなさそうなサービスだった。早朝なので、予想通り20分弱で栂海新道登山口に到着した。メーター料金は事前に問い合わせた通り6,800円ぴったりで、送迎代金100円と合わせて合計6,900円だった。かなり割高だが、親不知観光ホテルに泊まるのに比べて宿泊料金が割安だったので良しとしよう。
タクシーを降り、特に準備もないので午前6時半頃、すぐに栂海新道に入った。本当は海にタッチして来ようかとも思ったが、登山口から海岸までは1段がかなり高い階段を延々下る必要がある。今日は遅い時間になると雨が降る可能性があったので、今回は割愛することにした。去年ちゃんとタッチしたからもういいだろう。今朝方雨が降ったのか、入り口すぐに敷かれた鉄板が濡れていて、いきなり滑ってドキッとした。ここから初めの名のあるピーク入道山、海沿いが通れないときのエスケープルートだった「二本松峠」、アスファルト道を横切り、尻高山と順調に進んで行った。もう一度アスファルト道を横切って、「坂田峠」にやって来た。ここに通じる登山口もあり、去年にゃーおさんが栂海山荘まで応援に来てくれた時、彼はこの登山口を利用した。尻高山(677.4m)以降、坂田峠までまた高度を下げたが、ここから一気に登りがきつくなる。去年ここを下りながら、「よくにゃーおさん、この急登を登って来てくれたな!」と思ったものだが、今回は自分でその急登を登って行く。シキ割の水場の手前の金時の頭までずっとキツイ登りが続いた。
午前10時過ぎにシキ割の水場に到着した。去年はちょろちょろの水量だったが、今年は雨が多く、しっかりとした流量があった。ここで、今日の夜と明日の行動用の水を2Lほど調達した。本当は3Lが適量だったが、できるだけ軽量化を図るため、最低限の量にとどめた。白鳥山のすぐ先に水場があったので、最悪白鳥小屋に入ってからそこまで調達に行くことも可能だと思った(この水場はピンクテープがあるらしいが、翌日の暗がりの中でははっきりどこか分からなかった)。
山姥平、その先の分岐(現在は通行止)を越えて、白鳥小屋に午前11時半に到着した。かなりいいペースで、これなら栂海山荘まで初日に行くことも可能だったかもしれない。ここはテント場の予約(白鳥小屋は糸魚川市の施設だが、さわがに山岳会がウェブサイトで予約管理している)をしていたが、今日はこの後雨予報だったので、小屋泊にするかテント泊にするかかなり迷った。テント場らしき場所を見るとかなり狭く、全く心地よさそうではなかったこともあり、小屋泊を選択した。この日は僕ともう1人のみの予約だったので、問題ないだろう。
小屋の中はぱっと見、きれいだった。1階には大きい荷物が置かれていて、部屋の真ん中に邪魔っけな柱があった。2階もあったが1階よりずいぶん天井が低かった。1階の壁には「山小屋の建設経緯」という汚い紙が貼られていた。気になったのは、「1998 白鳥小屋全焼(落雷?)」と書かれていたことだった。「ヤバイな...寝ている間に死ぬリスクあるんか⁉」。この小屋の売りは、屋上に部分にテラスがあることだった。テラス部分はかなり狭いが、天気がいいと劔岳も見え、もちろん日本海もきれいに望むことができる。テラスに上がりしばらく景色を楽しんだ。
その後、ホテルであまり寝れずかなり眠たかったので、サーマレストのネオエアーXライトレギュラーワイドに空気を入れ、横になった。すぐにうとうとし始めたが、この小屋の中には虫が入り込んでいて、虫に邪魔されすぐに起こされてしまう。仕方がないので、蚊帳代わりにステラリッジを小屋の中で設営した。今日は2人しかいないので大丈夫だろう。テントのお陰で少し昼寝をすることができた。
今日はもう1人やって来るはずだが、4時前頃までずっと一人だった。大分風が強くなり、雨が降りそうになってきた頃、ソロの女性登山者が「お邪魔します」と小屋にやって来た。彼女もネットの予約状況を見ていたようで、僕がいることは予想していたそうだ。彼女もテント泊の予約だったが、ずっと雨に降られているらしく、テントを乾かしたいことから、小屋泊を選択した。最初は1階の僕の隣にテントを張りたかったようだが、でかい荷物と邪魔な柱のせいで2張りするのは難しかった。結局彼女は2階に上がって行き、そこでテントを設営した。落ち着いた頃、少し彼女と話しをしたが、扇沢から針ノ木雪渓を上がり、ずっと北に縦走を続けて来たらしい。しかも危険なキレットを含め、殆どが雨に降られながらの縦走だったようだ。僕が親不知から上高地まで行くと言ったら、「私と全然レベルが違う...」と言っていたが、雨に降られながらここまで無事に来ている彼女の方がスゴイと思わざるを得なかった。
Day2:白鳥小屋から朝日小屋 恐怖の吹上のコル
2024.7.29
雨に降られまいと思い、白鳥小屋を朝の3時15分にスタートした。天気は最近の中では最高だったようだ。気持ちのいいトレイルを楽しみながら、体力を温存するようにゆっくり歩いてた。
しかし、白鳥小屋から朝日小屋は遠すぎた。今日が全行程中、最長行程だった。アヤメ平を越えてから、本格的に登り中心になり、どんどん天気も悪化していった。そして、本当にゆっくりしか歩けなくなっていた。極めつけは、吹上のコルでの暴風だった。「その名の通り」なのだが、予備知識のない僕には驚きだった。あまりに寒いのでレインを着ようと思ったら、「ちょうどよく」小雨もぱらつき始めた。飛ばされそうな風の中、必死にストームクルーザーの上だけ装着し、エクソス58にレインカバーを着けた。そこからは、ザックを背負い85キロの僕が何度も数歩押される風を進まざるを得なかった。朝日小屋に行くには朝日岳を越えて行くほかルートはないからだ。幸い、しばらく進むとトラバース道になり、西側の尾根が風避けになって無風になった。そこで、急いでストームクルーザーの下も装着した。大袈裟だが、強風帯では命からがらヨチヨチ歩きし、何とか朝日岳に登頂し、無意味な真っ白けの写真を撮る。ここから朝日小屋も思ったより遠く、ヘロヘロになりながら小屋に到着した。
小屋に着くと、ゆかりさんがすぐに入り口に出てきてくれ、「どこから来たの?テント?」と声をかけてくれた。「白鳥小屋からです。はい、テントです」「それは遠いね、しかもザックが大きすぎるよ...」。受付でテントの申込書を書きながら、「明日は小屋泊1人空いてますか?」と質問した。明日はもともと歩けるような天気ではなかったので、小屋泊するしかないと思っていたからだ。「まあ、この天気だから空いてますよ。本当は50人予約入ってたんだけど...」。小屋の経営もこの天気で大変そうだ。このエリアはまだ梅雨が明けていない。「じゃあ、今、明日の予約をするということでいいですか?」「いいですよ」。僕はそう言いながら、「今日テント張って、もし明日の朝大雨だったらどうしよう...」と不安になり始めた。「念のためなんですが、今日いきなり小屋泊も可能ですか?」「今日も、まあ、キャンセルだらけだから可能ですよ」と聞き、思案する。「どこまで行くの?」と聞かれ、「上高地です」。「それなら先が長いので、お金が許すなら小屋泊にして英気を養った方がいいんじゃない?」と勧められる。「これが近場に下山するなら濡れても何でもテントでいいと思うけどね...」。まあ、それもそうだな...。キャンセルに困っている小屋を助けることにもなるか...。結局、小屋泊2泊を選択した。
夜は予報より大雨だった。あまりの雨音で目を覚まし、耳栓を入れた。「これはテントだったら地獄絵図だったな...」
Day3:朝日小屋で停滞 2024.7.30
翌日は朝から大雨で、一日中しつこく降り続いた。
朝日小屋で小屋泊を決めた時、最初は2人部屋に案内された。その部屋には布団が2セット置かれ、奥側を使うよう言われた。「もしかしたら、後でもう1人同じ部屋に入ってもらうかもしれません」。しかし、さすがにここから大雨予報でキャンセルが続出していた(初日の夕食は僕を入れてたったの5人だった)ので、「多分誰も来ないから布団片付けるので、部屋に入っていい?」とすぐに言われ、2人部屋を1人で使えることになった。
小屋泊にしたので、せっかくなので素泊まりではなく夕食も付けることにした。料金は通常夕食付きで1泊13,500円だったが、僕は小屋泊の予約をしていなかったので、割増料金1,000円を取られ14,500円だった。しかし、連泊の場合は翌日は1000円割り引きになる。ちなみに連泊の場合は、夕食のメニューを変えてくれる。また、朝日小屋は朝食は付いていないのだが、パック入り混ぜご飯を前日の夕方に販売していて、それを翌朝朝ごはんとしていただける。夜のうちから食堂にお茶、コーヒー、すまし汁を用意してくれていて、朝早い時間でも食堂で自由に飲食できる。また冷凍の鱒寿司も販売していて、翌日の行動食に最適だ。
朝日小屋は極めて快適だった。コンセントも部屋にあり充電し放題だ。しかし知らなかったのだが、朝の忙しい時間が終わると大元の電源を落とされ、コンセントが使用不能になる。確か午前10時頃、食堂で本を読んでいたら突然「バチン」と電気が消えた。「停電かな...」と驚いたが、同じく食堂にいた富山県警山岳警備隊のお兄さんは微動だにしなかった。(ちなみに朝日小屋は富山県警山岳警備隊の詰所として提供されている。その代わり、警備隊の若者は小屋の仕事を手伝わされていた)。おかしいと思い彼に聞いてみると、毎日この時間に電気を落とすのだそうだ。「多分どこの小屋も日中は電気を落とすと思いますよ」。僕は停滞のせいで日程が1日ずれたので、テント泊の予約などを全部やり直す必要があったが、電気が落ちる前に全部たまたま済ませていたので助かった。
あまりにも激しい雨が降り続いていたので、何もやることはなかった。食堂にある本棚から昔の山岳関係の本を取り出し、時間を潰した。こんな時間に小屋にいるのはある意味貴重な経験だった。ゆかりさんは10時ごろから受付に座り、ひっきりなしにかかって来る電話にずっとかかりっきりだった。僕はあまりの電話の多さに驚いた。「この対応していると他には何もできないな...」
今日は大雨だったが、びしょ濡れになりながら10人程の登山者が朝日小屋にやって来た。白馬大池から来た人、雪倉避難小屋から来た人、白馬山荘の方から来た人など様々だった。廊下にはストーブがたかれ、みんな濡れた衣類やザックを乾かしていた。全く濡れていないにも関わらず、僕はみんなの輪の中に入り、ここまでの登山道の状況を聞きながら、楽しい時間を過ごさせてもらった。
雨は全く止む気配がなく、夜になっても降り続いた。「本当に明日行動できるんか、これ⁈」。不安を感じながらも雨が上がる天気予報を信じた。明日は天狗山荘までの行程だった。本当は白馬頂上宿舎くらいまでが適度な距離なのだが、去年立ち寄りビールを飲んだ天狗山荘の心地良さが忘れられず、長い行程を組んでしまった。この雨で全然水平でない「水平道」の状況が心配だったが、「ゆっくり慎重に歩くしかないな...」と、午前2時に目覚ましをセットし眠りに就いた。
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