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「女性がズボンはくなんて はしたない!」
「靴なんて 男性の履くものです!」
えっ?
和服に草履で登山?
富士山ですよ
しかも10月 上の方雪景色です
「雪国の女性はモンペはいてます」と千代子
「家柄が違います!」と母
明治ってそんな時代だった様です
*******
「芙蓉の人」
これは気象観測に命をかけた
野中到とその妻千代子の
ドキュメンタリーです
日本で初めて天気図が作成されたのは
明治16年3月
毎日3回の天気予報の発表開始は明治17年
野中到は
天気予報の当たらない理由を
考えていた
高い所で観測したら
もっと正確に予報できるはず
当時世界的にみて
富士山より高い観測所は
南米とフランスのモンブランだけで
いずれも夏期だけで
富士山の冬期観測は世界記録になる!
明治の人は世界記録が大好きだったみたい
使命感もって「お国の為に」と
燃えてた様です
冬の富士山は登頂さえ
誰一人成功してない時に
登山の装備もなし!
国の援助もなし!
私財を投げうって
富士山山頂に観測所を作るという野中氏
普通に考えてまともじゃない、、、
装備品見ただけで
ヤマレコなら絶対反対しますよね?
「家族のこと よく考えなさい!」
明治時代の両親は
「お国の為になる立派な仕事だ」と
応援してたみたいです
でもその計画は
氷点下数十度になる極寒の山頂で
一人で二時間おきに休む間もなく
24時間観測を
冬の間ずっと続けること
「出来るわけないじゃん!
寝る時間ないし、、、」
と私でも考えるけど
野中氏もその上のお役所の人も
気がつかない、、、
千代子さんは
家族や夫にも隠れて
登山の準備を始める
密かに体力作り、、、
一人では生きられない
誰がなんと言おうと
自分が夫を守って
仕事をやり遂げさせてみせる
読んでて気迫が
伝わってくるようです
千代子さんが準備したのは
登頂を果す為ばかりではなかったことが
読み進める内に次第にわかり
感動と共に凄い人だったと
尊敬の気持ちになりました
山頂での冬の描写は
新田次郎氏ならではの
緊迫感があり
ハラハラ ドキドキさせられます
********
野中到氏の功績を残した本は
他にも出版されましたが
野中氏は満足されなかったようです
国からの勲章も辞退し
その理由が
「千代子と二人でやったことだから」
と言うのを聞き
新田次郎氏は
「芙蓉の人」を書かなければと
思ったそうです
中央気象台臨時富士山頂観測所が出来たのは
37年後の昭和7年のことでした
富士山頂の連続滞在記録日数は
現在でも野中氏の83日千代子さんの71日が
最高だそうです
その後観測所が出来ましたが
富士山観測所の記念日は
野中氏が小屋を建てられた8月30日に
決められています
明治の方々の気骨に驚き
それを支えた千代子さんに拍手を
贈りたいと思います
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