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著者のジョー・シンプソンは1985年5月にザイルパートナーのサイモンと共に、南米シウラ・グランデ峰(6356m)の西壁に挑戦しました。この西壁は標高差1400mあり、この山の初登頂以降多くの挑戦を退けていました。二人は順調にクライミングを続け、苦労しながらも無事この壁の初登攀を成し遂げます。しかしよくあることですが、下山中に事故が起こります。ジョーが滑落して片足を骨折するのです。
この様な僻地の山での足の骨折とは、即ち死を意味します。救助を期待できず、クライミングパートナーが救助活動をすると大変な労力がかかり、パートナーをも危機的状況に巻き込んでしまうからです。従って、怪我をした人間をその場において、とりあえず救助を呼びに(期待は出来ないが)無事なメンバーだけで下山しても仕方が無いのです。
しかし、ここでサイモンはジョーを見捨てませんでした。急な雪壁をザイルでサイモンを1ピッチずつ先に滑り下ろして、後から自分がクライミングダウンする方法で、苦労して少しずつ1400mの壁を降りていきました。
ほぼ壁を降りきったと思える頃、再びアクシデントが起きます。西壁下部の急峻な雪壁から氷河に変化する部分がオーバーハングした氷の絶壁になっており、その下には大きな氷河のクレバスが口を開けていました。サイモンはそれに気づかずにジョーを降ろし続け、ザイルいっぱいまで伸びきったところで、ジョーは雪のオーバーハングで宙吊りになってしまいます。ジョーは大きな声で状況を伝えようにも、声が届きません。一方サイモンには、通常ならザイルが伸びきったところでジョーがステップを切って体重を抜くはずなのですが、いつまでたってもザイルはぴんと張ったままです。ジョーはプルージックでの脱出を試みますが、凍傷の指でうまくプルージックが結べず、細引きを落としてしまいます。再びザイルをよじ登るのは不可能になりました。
お互いに相手がどのような状況かつかめないまま、じりじりと時間が経っていきます。サイモンが立っている雪のステップが、時間とともにじわじわと崩れていきます。ザイルでジョーを引っ張りあげることは、とても不可能です。
「このままだと、自分も落ちてしまう・・・」
「サイモンは、すでに死んでいるのかもしれない・・・」
ぎりぎりまで持ちこたえたサイモンは、自分が引きずり込まれる直前に重大な決断をします。ジョーがぶら下がっているザイルをナイフで切断したのです。
ジョーはそのまま、20m下のクレバスの真っ黒な穴に吸い込まれるように落ちていきました。深さが何十mなのか見当もつかない氷河のクレバス。しかし、運命の女神はここでサイモンに少し微笑みかけました。奇跡的にも、サイモンはクレバス内部に出来たスノーブリッジの上に落ちて、そこでひっかかったのです。
しかし上方にあるクレバスの入口までは20m以上の垂直の氷の壁、骨折した足で登り返すのは不可能です。
「サイモーン!サイモーン!」
ジョーは暗闇の中で一晩中叫び続けました。しかし残ったのは深い静寂と絶望感・・・
一方サイモンは、最後の氷の絶壁を避けて無事に氷河に降り立ちましたが、そこでジョーを飲み込んだ巨大なクレバスを見たのでした。
「ジョーは死んだ。。。。」
そう確信したサイモンは、「私は彼を殺してしまったのか?」「ああするしか、選択肢はなかったんだ」と罪の意識に苛まれながら一人でベースキャンプにおりていきました。
氷の壁を登り返すことが出来ず、サイモンの助けも期待できないと悟ったジョーは、生き残るための最後の賭けにでます。何十mの深さがあるかわからない漆黒のクレバスの底に向かって降りていきました・・・
人間というのは、これほど絶望的な状況に置かれても、まだ最後の望みに賭けて行動する勇気が持てるものなのだと、素直に感動します。人生を生きていくうえで、強い勇気を感じさせてくれる物語です。
この物語は、映画化されDVDも出ています。映画のタイトルは「運命を分けたザイル」(写真2)
「聞いたことがある話だな」と思っていた人も、「ああ、これなら観たことがある」と気がついたでしょう。実際に映画のほうは、ヤマレコ日記でも何度か紹介されています。この本はその原作なのです。原作と映画の関係ではいつもそうなのですが、映画ではかなりはしょっている場面があります。映画の方はジョーとサイモンのナレーションを交えた再現ドラマになっていますが、中々の出来で、原作の中で描かれている悲惨で絶望的状況がうまく再現できていると思います。
(最近、メスナーのナンガパルバットでの悲劇と奇跡の生還を描いた「ヒマラヤ 運命の山」というDVDも見ましたが、こちらの方はメスナー自身がアドバイザーとして参加しているにもかかわらず、原作ほどあの悲壮感や困難な状況が上手く描かれているとは感じられませんでした。)
尚、やはりジョーがナレーション&ガイドをする「運命を分けたザイル2」(写真3)というDVDもありますが、こちらは昔実際にあったアイガー北壁での悲劇の再現ドラマになっています。
ところで、この本の最後に訳者あとがきと解説がありますが、ここにもなかなか示唆に富んだ文章があります。
訳者の中村氏は、エベレスト初登頂した登山隊の隊長だったハントの言葉を紹介しています。
「登山の価値はその成功や失敗にあるのではない。登山に必然的に潜んでいる危険の大きさの問題ではなく、危機に直面したときに発揮される、人間の行為と精神がその価値を決めるのだ」
最近読んだ本「ビヨンド・リスク」(近いうちにまたレビューしようと思います)にも、同じような意味の言葉「登山の価値はピークの高さや困難さではなく、そこで何を経験したかである」を、多くの著名クライマーが語っていました。
解説の方には、ノンフィクション作家の後藤氏が古くからの命題「はたして登山はスポーツか」という問いかけについて述べています。公的には登山はスポーツの一つに分類されていますが、すべてのスポーツに共通する因子(観客)を登山は欠いています。ヤマレコユーザーの多くは、登山はスポーツではないと考える人も多いかもしれません。登山では上述した「危機に面したときの精神性」が重要な因子であり、これが他のスポーツとの違いを際立たせているのかもしれません。
2ヶ月以上も前に読み終えて、感動したので早くレビューを書こうと思ってましたが、色々忙しくずるずると延びて、今日になってしまいました。。。
こんにちわ
>「はたして登山はスポーツか」
面白い命題ですね
日本という土壌だけで考えると山岳信仰の流れで精神の鍛錬という要素が強いと思いますね
>危機に直面したときに発揮される、人間の行為と精神がその価値を決めるのだ・・
まさしく困難な状況を追い求めるように冬山に分け入る者の気持ちを代弁しているような言葉ですね。
個々の考えはあれど、山を歩くということは難易度の違いこそあれ困難であることはハナから百も承知ですよね。
山レコ・・本来、表面に出ることのない山行を発表できる場ゆえに人気サイトなんでしょう
ご紹介いただいた本は、読んでみます
「運命のザイル」というタイトルだけは知ってましたが
でわでわ
こんばんは!
登山には確かにスポーツ的な要素もあり、それはそれで面白いんですが、言われてみれば確かにそれだけじゃぁないんですねぇ。。。
そのプラスαの部分がまた、登山の魅力であるんですが、うまく表現できないですね。
本を読まれたら、是非DVDもお勧めします。このドラマのストーリーがわかっていても、映画も良く出来ていると思えますよ!
ではでは
クロスヒルさん
ずいぶん前に読みましたよ。ハントの言葉は、ラルフ・パーカーの「最後の蒼い山」のあとがきに寄せた言葉ではなかったかな。絶版久しい本ですけど図書館にはあると思います。
遭難生還ドキュメントでは、この二冊とミニャコンカの三つが名作かと思います。
登山はスポーツではないと思います。
ルールは無いし、競争と勝ち負けも無い。そこが僕の好きなところです。競技ではない種類の武術に近いと思います。
yoneyamaさん、おはようございます。
ハントの言葉は確かにその通りです。良くご存知ですね!
私自身は読んだことはありませんが・・・
「ミニヤコンカ」は私も昔読んで、最近また読み返しました。私のとっての「奇跡の生還」の3冊は、これらとメスナーの「ナンガパルパッド」ですね。
登山はスポーツかどうか。。。
ルールが無いかどうか。。。は意見が分かれるところで、公式なルールは無いけれど、自分でルールを設定しているという面もありますね。できるだけ人工的手段を排除するとか・・・
私自身としては、人と競争するのが好きではないので、マイペースで自分の目標を設定できるという点が好きな点です。
こんばんは^^
本は読んでないですがDVDは2つとも、Cross-hillさんもご存知でらっしゃるらしい方から戴いて観て感動した記憶があります。
詳細な解説とても勉強になりました。て余り難しい事わかんないですが
済みませーん、失礼しましたー
dejavuさん、こんばんは!
「Cross-hillさんもご存知でらっしゃるらしい方」とは誰でしょう・・・?
つい最近、「アイガー北壁」とうDVDを見ましたが、これも良く出来てますよ!
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