![]() |
アウターの今で言うハードシェルは、ダブルのナイロンヤッケだった。ダブルとは、外側がデニールナイロン、内側のライニングがタフタ生地の二重構造の被り物だった。ジッパーでは隙間から風が吹き込むため、プルオーバーが普通だった。
極め付けは、皮の登山靴の上からつけるナイロンの二重のオーバーシューズ、編み上げのゲーター風の代物だったが、靴全体を覆うものだった。その上からアイゼンを1本のベルトで固定した。最新の登山ギアと比べると、ずっしり重く当然ながら性能も劣っていた。
そんな昭和に登っていたので、冬靴と夏靴をわけたり、ベルト式では固定に問題があるので、歩行用以外は危険などと説明するサイトの記事などをみると、、、
てやんでい!しゃらくさい!、この軟弱野郎が、、と、ついつい言ってしまいそうになるのである。
(ゴアテックスもまともになかった時代の戯言なので、聞き過ごしていただけたら幸いです)
★当日記は、おじさんの昔話を集めて「懐古録」と名付けて全体公開しています。同年代の方は共に懐かしんでいただき、若い世代の方は、年寄りの自慢話だと読んでみてください
同じデザインの色違い(紺地に白柄、❤は赤)のハンガロテックスを持っています。
オーバーミトンと合わせてラッセルにも耐えたシロモノです。
今は出番はほとんどないですが、愛着もあるし今でも実用性は高いと思っています。
当時はミレーのグランドジョラスも愛用していました。
物品整理で捨ててしまったのが悔やまれます。
最近の装備は細分化され、機能性もよいと思うのですが、使い込みして愛着がわくというより、使い捨てを前提に作られている気がしてならないのです。登山靴なんか3年が買い替えとか、、、?かつては、オールシーズン一つの革靴で頑張りましたよね
コメントを編集
いいねした人
コメントを書く
ヤマレコにユーザー登録いただき、ログインしていただくことによって、コメントが書けるようになります。ヤマレコにユーザ登録する