さて登山口近くの立て看板には、この鐘撞山は「武田信玄の狼煙場だった」とあるようです。一方で、神の川ヒュッテ通信93号に蛭が岳山荘友の会通信→平成10年11月1日より転記 http://kitatan.com/kannnotuu93.pdf
の中では「北條氏の狼煙台」だったとあります。小田原攻めに際して、そもそも信玄は西丹沢を経由したという史実がないこと、甲州の別動隊が(城が尾よりも)遠回りして鐘撞山で狼煙をあげて、神之川に降りて、その後犬越路を越えるような経路をわざわざとるだろうか?などのことから「信玄(あるいはその軍勢)は犬越路を越えなかった」と、考察しています。鐘撞山はどちらの狼煙場だったのか?真実は分かりません。甲州から道志に入り、どこかで大室山付近を越え、鐘撞山から下りて、犬越路を越え、小田原まで歩いて、その後いくさに・・・もしそうなら「あー自分にはできない」、と思ってしまった。歴史を知ると、いろいろ思いめぐらす楽しみもありますね。
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