今日は東日本大震災からちょうど11年が経ちました。
2011年3月11日(金)、そうあの日も今日と同じ金曜日でした。
当時私は東京都八王子市内で大手企業に出張していました。職場では毎週金曜日の15時から技術会議があるため本館7階の会議室へ、エレベータホールでエレベータに乗るところでした。14:46くらくらっと眩暈かかと思う揺れが襲いました。エレベータも来なく事の重大さが分かったのにそんなに時間がかかりませんでした。もしエレベータに乗っていたら・・・と思うとゾっとしました。幸い誰もエレベータに乗っていなかったようでした。
すぐ業務は中止、中庭への避難指示と照明が消えて、職場内への立ち入りが禁止され余震の中、会社から即帰宅の指示がありました。と言っても八王子駅に行ってもJRも京王線も運転中止、駅や周囲の道路は人で溢れていました。そこは全くの別世界が広がり、帰宅困難者で座る余地もありません。同僚達と途方に暮れました。バスももちろんダメ、移動手段はもはや自らの足のみです。当時通勤として利用していたJR八高線、川越線川越行きは運転再開の目途なし、床やベンチで横になる人達を横目に北を目指して歩きます。途中食糧を求めてコンビニに寄りつつ空の商品棚を横目に国道16号をひたすら深夜歩きました。ほぼ動くことが無い車の列がとめどもなく続き、横田基地脇からようやく埼玉県に入った時はややホッとしました。時間は深夜2時たった1件開いていたラーメン屋さんでようやくチャーハンにありつけました。お客さんが他に5人、聞くと立川から歩いて来たとか?
いったい何時間歩いたのでしょうか?明け方ようやく川越市の標識が、見えてきました。入間川の土手から奥多摩大岳山がいくらか見えるくらい明るくなって来た頃に地震の被害の甚大を伝えるラジオの報道を聴きました。まさかの衝撃的被害だったと初めて知りました。
見慣れた川越の街は避難者がひっきりなしでした。本川越駅前のイトーヨーカドー(当時)が臨時営業していると立ち聴きしたため迂回して本川越駅前へ、クレアモール商店街に長い行列が出来ていてそれがイトーヨーカドーへの列だと知って唖然、列に並ぶのを諦めシャッター街を東上線川越市駅へ向かいました。電車が動いてくれている微かな期待を寄せていましたが、近寄る事も出来ない駅前広場、ここには団子屋さんが団子を路上で売っていました。駅からは危険なので線路を歩かないようにとしつこい位放送していました。駅は真っ暗でした。携帯電話も全く不通!コンビニも全部閉まっています。
坂戸の自宅までここからあと12キロ、まだ朝9時なので昼頃には帰宅できるかな?鳴る事がない警報器の踏切を渡り近道をしつつ、疲れた足を引きずりながら八王子から約12時間の長旅が終わりました。長かった!!
あれから11年。皆さんはどんな体験をされたのでしょうか?
まだ頭痛と喉が痛いですが、長々と書かせて頂きました。
長文失礼致しました。
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