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そういえば今日が青春18きっぷ春版の使用最終日でしたね。
彼は、今日は池袋〜新宿〜高尾〜甲府〜小淵沢〜野辺山〜小淵沢〜甲府〜大月〜高尾〜八王子〜橋本〜新横浜と乗り、3月18日に開業した東急新横浜線見学してから1駅新幹線を奮発して品川に至った行程だそうです。キチンとレポート用紙に書かれた行程表を見せてくれました。
野辺山は寒い位だったそうですが、天気も良く八ヶ岳も良く見えたそうです。今日の駅弁の日にちなんで駅弁を奮発して小海線キハ110のクロスシートで食べたりといい旅だったそうです。本当に羨ましいですね。夏版の青春18きっぷは購入予定なのでそんな旅をしたいなぁ!
聞けば、彼は毎回購入していて今回の5回の旅の話をしてくれました。話を聞いているとあっという間に池袋に着き、彼は私と同じ池袋駅と一緒に下車し、彼は有人改札を通り最後の18きっぷの旅を終えて、改札口前でお別れし、彼は東口へ向かって雑踏に消えて行きました。もう2度と会う事はないかも知れませんが、気持ちの良い青年でした。きっとまた18きっぷを持って何処かへ旅に行くのでしょうね。
写真1枚目は昭和52(1982)年3月1日から当時国鉄から発売された”青春18のびのびきっぷ”未使用一式で、1枚は2日間有効で8000円、ワッペン付きでした。2枚目は1983年春から改称された”青春18きっぷ”、3枚目は稚内駅で発行されたオリジナルきっぷ入れ付き常備券の青春18きっぷです。毎回の発行期ごとに違った廃止された路線の写真入りきっぷ入れでした。それが楽しみで毎回稚内駅で購入していました。国鉄のコレクションファイルから探してみました。
国鉄時代の懐かしい「青春18のびのびきっぷ」の画像を拝見してついコメント失礼します。
1枚だけ付いていた2日間有効は重宝しましたね。
貧乏学生には初回購入の1万円は痛かったですが、ありがたいものでした。
2日間有効のものはいろんな使い方をしましたが、今でも覚えているのは次のルートです。
大阪-環状内回り-天王寺-(関西本線)-名古屋-(東海道本線、二俣線、東海道本線、御殿場線、東海道本線)-東京-上野-(夜行)-小千谷〜徒歩〜西小千谷-来迎寺-(北陸本線)-米原-大阪と大回りをしました。
今では整備新幹線沿いが三セク化されてそれもできないのでしょうか。
国鉄が民営化されてからは鉄分消失してしまったのでよく知りません。
長々と失礼しました。
コメントありがとうございます😊
まだSuicaも無かった頃の駅員さんが手売りしていた頃の懐かしいきっぷを紹介しましたが、この18きっぷは何故か未使用のまま残っていました。今の若い方には新鮮かもしれませんね。
行程を拝見して、今では決して同じコースが取れないですね。上野から夜行列車って2213発長岡行きでしょうか?この列車は通勤帰りの人と同じ車両で、登山客と雑多としていて、籠原切り離し車両はガラガラで長岡まで行くのは4両しか無く床に寝ている人がたくさんいました。土合と土樽でほとんど下車しました。私も初めてこの長岡夜行で土合駅に下車しました。320頃でしたね。当時は駅員さんが居て、18きっぷを確認していましたが、まだ知名度が低く、使っている人は少なかったと思います。懐かしい若かりし頃の想い出です。後に新潟行夜行快速ムーンライトがデビューしました。
おっしゃる通り第3セクター化されて使用範囲がだいぶ狭くなりましたね。
いや〜、バラの18きっぷ、懐かしいですね。
「のびのび」の二日間有効券はすぐになくなりましたが、お金がなかった20代、これをポケットに激混みの大垣夜行や新宮夜行に乗った記憶が蘇ってきました。0時を回ると車掌が車内を巡回して手書きで日付けを入れてくれたのが懐かしいです。
今の一枚シートよりも使い易くて良かったですね。
最近はほとんど丸い日付けスタンプを押すようになってますが、先月只見線に小出から乗った際は、若い女性車掌さんがニコニコしながら手書きで日付けを入れてくれましたよ。
近年は3セク化や普通列車のコマ切れ化が進んで18きっぱーには使いづらいダイヤになってきてますが、そんな中でどうやって行程を組み立てるか考えるのも楽しみになってます。
懐かしい18きっぷ写真を拝見できました。ありがとうございました。
コメントありがとうございます😊
かつては夜行快速列車は本当にたくさん走っていました。18きっぷで乗れた夜行列車は、
・函館〜札幌:ミッドナイト
(函館2330発で新札幌着630頃で途中客扱い無く1回分で朝630まで使えました)
・上野〜新潟:ムーンライト
(後にムーンライトえちごに改称、佐渡汽船両津港行き始発ジェットファイルに乗れました)
・上野〜長岡:愛称なし
(通勤客と同乗し一番環境悪い夜行列車。ほとんど土合が目的でした)
・東京〜大垣:大垣夜行または347M夜行、(後にムーンライトながらになりました。ながらになる前はグリーン車以外自由席で、3時間前から並び出して、若い子や未成年者が深夜に駅に並ぶのが問題になりました。
ながらになってから小田原まで全車指定席になりました)
・天王寺〜新宮:はやたま
(釣り客が多く利用されていました)
・京都〜博多:ムーンライト九州、ムーンライト山陽、ムーンライト八重樫
(これは利用価値最大でした)
・京都〜出雲市:山陰
(3段式寝台車連結されていました)
・博多〜長崎:ながさき
(九州内完結でこの列車にもB寝台が着いていました)
あと、臨時で高松から高知までの夜行もありました。他にもあったかもしれませんが、私が利用したのはこの列車達です。
本当に夜行列車が多くて宿代を浮かすため良く乗りました。3日連続夜行列車移動なんてやりましたね。でも本当にあの頃が一番鉄道旅は楽しかったです。
今や定期夜行列車はサンライズだけですね。東武も臨時ですが、尾瀬夜行2345やスノーパル2355、日光紅葉夜行とか運転しています。サンライズもいつ車両の老朽化とかで廃止になるか分かりませんね。
すみません、長々と!
・新宿〜長野:愛称なし。新宿発2355発
(後に上諏訪行きに短縮されます)
・新宿〜白馬:ムーンライト信州81号
(多分一番多く利用したかも?)
失礼致しました。
あ〜、懐かしい。
青春18きっぷでは乗れませんでしたが、急行アルプス号は定番列車でした。ハイシーズンには新宿駅から3本くらい発車していました。1本だけ0時30分発だけ20系客車だったと記憶しています。松本駅で松本電鉄(現・アルピコ交通)の深夜快速島々行き(現在は島々は廃止されています)があり上高地行きバスが接続していて朝6時頃上高地バスターミナルに到着しました。本当に懐かしいです。
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