震災以来、山に行く気が起こらない。私だけでなくそういう人は多いのではないか。
私は神戸なので、16年前は阪神大震災の被災地にいた。よくおぼえてないのだけど、近場の六甲山系へは、少なくとも2年ぐらいは足を運ばなかったと思う。六甲山も、震災でけっこう至るところが崩れて、登山コースによっては道が寸断している箇所も多かった。地元の人間としては、そういうことを聞くと、暗い気持ちになって行く気が失せた。
だが、今回、私は被災地にいるわけではない。それでも山に行く気がしない。津波の被害のあまりの物凄さに圧倒され恐れおののいたせいもあるが、やっぱり原発事故のことが大きい。
まったく大変なことになってしまった。まさか生きているうちに、こんな事態に遭遇するとは思っていなかった。原発が4基もそろって暴走し、あろうことかそのうち3基は爆発までしている。高濃度の放射性物質を含む水が海にドバドバ流れこんでいる。大気や土壌への拡散も(おそらく)ひどいことになっている。しかもおそろしいのは、今現在の時点で、収束の目処がまったくたっていないということだ。いや、目処がたっていないというより、どうやら対応している電力会社の人間も、メーカーの人間も、アカデミズムの専門家たちも、「何がどうなっているのか」「どうしたらいいのか」、どうやらほとんどわかっていないように見える。これが、我々素人にとっては何よりおそろしい。
つまりこの状況が、目に見えない被害をどんどん拡大させながら、続くわけだ。いつまで続き、いつ終わるのかわからないまま、続くのだ。そうであれば、たとえば、今年の夏山はどうなるか。あと、3ヶ月。素人考えだが、このまま放射性物質が拡散していったら、関東の山はもちろん、北アルプス、南アルプスにも到達しているのではないか。百歩譲って今年は大丈夫だとしても、来年、再来年はどうか。そして、3年、4年、5年・・・。そう、今度の原発事故がおそろしいのは、時間がたてばたつほど、被害が拡大し、深刻になっていくということだ。
タチの悪い冗談が好きないつもの私なら、ここで、「てなことで、今年の夏山は屋久島に決定!チャンチャン!」とオチをつけて、この日記を終えるところなのだが、さすがに今度ばかりは冗談で終わらせることができない。そんな気分ではない。
阪神大震災の後、2年ぶりに登った六甲山から街を見下ろした時には、まだそこここに深刻な傷跡を残しながらも、着実に復興を遂げつつある神戸の姿があった。それは、生まれ育った故郷の大好きな山に再び登りはじめた私の心を元気づけてくれる「希望」の眺めでもあった。
今回は、どうか。被災地の人々がそんな「希望」の眺めに再び出会えることを切に望みたいし、また、「がんばろう、日本」「日本の力を信じてる」というメッセージを素直に受けとめて、そうだそうだと頷きはするものの、一方ではそんな軽々しい楽観はかえって罪なのでは、という思いも強い。
有史以来誰も経験したことがない、想像を超えた事態に、我々は直面している。山なんか登ってる場合なのか。いや、だからこそ今のうちに山に登っておいたほうがいいのか。私はもうさっぱりわからんのだ。
donburiさん、こんばんは。
それでも、山に登ると気持ちいいですよ。
意識の輪郭も明瞭になるし。
阪神大震災の時は、六甲も傷つきましたね。
かわいそうでしたが、今はまた美人になって、本当によかった。
donburiさんおひさしぶりです。
山に行く気がしないときは仕方がないですねえ。しゃがみこんでいろいろなことをくよくよ考えるべき時もあるでしょう。
有史以来とかなんとかよく言いますけれど、それは俯瞰できる時代だから言えるわけで、これまでの大戦争や大空爆や大地上戦も有史以来でした。人類は常に「有史以来初」をばく進しています。
今回の原発惨事は日本人みんなが原発をなめてきた報いのようなものだと僕は思います。確かに驚いたけれど、振り返ってみればなるべくしてなったのだとわかる。こんなことになるなんてと、知らなかったふりをするのはどうも僕にはできない。だからといってできることは大してないけれど、原子力をなめてきた当事者の一人として、人ごとにしてはいけないなと最近思うようになりました。
そんな思索を深めるためにも、この季節、輝く雪山を一人で歩けてよかったです。先週、ようやく休みがとれて、「や、山、山・・・」と登って滑ってきました。また休みが取れれば「ヤマ〜〜」と行きたいのですが、当分被災地関連で缶詰状態です。
また北アルプスにお姉さん二人と登ったときのような楽しいお話を読ませてください。
donburiさん こんばんは。お久しぶりです。
山に行きたくないときは 無理にいくべきではないですよ。
阪神大震災のときは大阪で被害はなかったですが知り合いが阪神間に多かったのでひっくり返った
阪神高速、落下した新幹線の高架、崩れ去った家々...その時六甲山は変わらずそびえて それを見て
自然の強さと畏れを感じました。今回の原発事故は
人災です。人間のおごり、日本人のおごりの結果だと思います。原子力は人間がコントロールできるような物ではないと思います。
donburiさん、おはようございます。
それでも、「山に登ってから考える」というのも一手かと思います。
こちら茨城県北では毎日震度5クラスの地震がやってきて、うんざりです。
>Hana-Maruさま
こんばんは。六甲は復活しましたね。
最近は山ガールも増えて、さらにキレイになりましたです。(笑)
>yoneyamaさま
ありがとうございます。ちょっと私、今、原発鬱なのですねえ・・・。でも、そのうち再起動すると思いますが。
>miccyanさま
その通りですね。無理に元気だそうとせずに、もう少し様子をみてみます。
>dari88さま
そちらのほうがもっともっと大変ですよね。。。関西の人間が何甘いこと言ってるのか。。。反省。
都会の華やかな暮らし、待たずに乗れる電車、電気の力は大きいですね。それを意識せずに乗っかってきたのが現実でしょう。やはり便利な都会生活を支えていたものは危うい綱渡りの上に成り立っていたということですね。我々が生き物としての原点に戻ることができないのも現実だし、せんないことですね。批判できるだけの知見もないし、今はただ無事収束することを祈るのみです。
とりあえず、今は体力を維持しておこう、そうすればきっとそれが役にたつ時があるのかもと思っています。最近、「アメニモマケズ」が気になっていて、そんな風に行けたらいいなと思いつつそうもいかないもんだと思う今日この頃であります。
またその気になれたら一緒に山へ行きませんか。
>bokemonさん
昭和30年代のレベルまで生活水準を落としたら、今ほどエネルギーは要らなくなるんでしょうね。私はそれでもOKですけどね。山、またご一緒しましょう。
donburiさん こんにちは。
今は 非常事態なので批判的な発言や意見を言うと デマをあおってるように
言う人もいますが、
原発事故の対応 あれだけ
頭のいい人達が揃っても
結局 水をかけて冷すだけ、
水を注入すれば溜まることも
当たり前。正直どうやって収拾すればいいのか誰もわからないのが現状な
ようです。我々 西日本の人間は
いつか起こる南海地震に備えのが
勤めだと思います
でも ちょっと 引っかかるのが
これからは 今回の大震災が
基準になって阪神大震災と6400名の犠牲者は忘れられていくと思うと複雑です。
>miccyanさん
ホントですね。基本的に「コントロールしきれないもの」だとはわかっていましたが、ここまで「コントロールできないもの」だとは!
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